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今日の自分語り

高校時代の究極の選択

私は高校時代の合唱部の顧問が大嫌いだった。
私は大の男嫌いで女子校に入ったのだが、結構規模が大きく、部活の数もそれなりにあったので高一になった時にその女子校には美術部の合唱部であったのでどちらに入部しようか当時かなり悩んだ。冷静に考えてみたら私は"イラストを描くのが好き"であって"美術"にはそんなに自信が無かったので小学生時代でも合唱部を選んだので高校でも合唱部を選択した。私が入部した当時の合唱部は10人にも満たない小規模な部活で正直部員人数的に活動がギリギリだった。ただ唯一の救いは違うクラスの1人同級生と先輩達がみんな優しかった為、自分のクラスに居場所が無い私とってこの部活動は癒しの場所でもあった。

中学時代はあまりにド田舎の小規模な中学だったので自分の好きな美術部も合唱部も無く、中学時代は吹奏楽部か野球部しか無かったので私は中学卒業まで帰宅部を貫いていた。

吹奏楽部と合唱部の格差社会

音楽科の先生は自分の女子校に2人もいたのに何故か世間から吹奏楽部に比べて合唱部は舐められてる空気もあってか母校の音楽科の先生も2人とも吹奏楽部に取られているもの本当に嫌だった。

そういう状況だから私の所属していた合唱部の顧問は音楽科でも無ければピアノの伴奏も出来ない英語科の女教師が担当された。その女教師はプライドだけは無駄に高く、ピアノの伴奏も出来ないのに一丁前に指揮棒だけ手にして指導を行っていた訳だがピアノ伴奏の方は経験がある先輩がやってくれたり大会前の練習時間の時だけは音楽科の先生に伴奏を頼んでくれていたりもした。本当になんで合唱部ばかりいつもこういう扱いなの?

そのクソ顧問が担当する英語の授業も嫌で誰に問題を当てようかジロジロしているのも本当に嫌だった。(英語に関しては小学生時代の苦手を塾で克服し、多少難しい問題を当てられも答えられたのはよかった)

女子校に入学はしたはいものの、本当に私は自分のクラスに居場所が無く友達も出来ず暇を持て余しては絵を描いているジメッとしたオタクを装いながら放課後になればすぐ自分の好きな合唱と優しい先輩達との交流や練習に向かった。別に部活が楽しければクラスに居場所が無くてもいいよね!!

ある日のクソ顧問の問題発言と行動

時は過ぎ優しくて大好きな先輩達との別れを繰り返し、私は高3になり私を含め3年生は3人しか居らず別のクラスの子が部長に、私には冷たい態度を取っていた同じクラスの子は委員長を担当していたので必然的に私は副部長を担当していた。
クソ顧問の事をあまり言えないが私も合唱はやるがピアノ伴奏が出来ないタイプの部員でありながらパート練習ではなんとか楽譜を見ながらキーボードで音取りをした。

高校時代最後の文化祭、日が近づくにつれ練習でバタついている中私はある事をしてしまったせいでクソ顧問に呼び出された。(具体的な事は忘れた)馬鹿みたいに怒鳴られたその時の台詞が「お前そんなんじゃ就職出来ないぞ!!」と言ってきたのだ。 ……いや、それ今怒られている事と全く関係無いしそもそも就職に向けて頑張っている生徒に向かって教師が言う言葉じゃないですよね????私はその言葉に深く心を傷付けられ、あまりのショックで家に帰っても泣き続けたのでその流れを知った母は大いに怒り、学校に連絡を入れた。

なんか今でも自分が思っている以上に私はあの時のクソ顧問の言葉が忘れられず無事、社会人になった今でもこんなしょうもない事でモヤモヤしてしまう。だから反面教師に相手に言う言葉は本当にその人に言っていいか痛い程学習した。

因みに母がその事件の後、学校に連絡を入れた数日に校長から直々にお叱りを受けたそう。
私はいっそあんなクソ顧問クビになればいいのにと心からそう思った。


文化祭当日。 講堂は保護者や学校の生徒、先生でいっぱいだった。何回経験しても大勢での発表って緊張する…… 文化祭の出し物という事で楽曲も楽しげでちょっとしたパフォーマンスを毎年取り入れていたのだがそのパフォーマンスの演出に問題があった。そう、文化祭は保護者が自分の娘達の合唱を聞きに来ているのによりにもよってソロパートをクソ顧問が担当したのだ……(こいつ正気か????) 案の定、講堂がザワついた。あれは絶対おかしいだろって空気だった。クソ顧問は自分を可愛く見せたいだけに提案したのだ、圧が強いクソ顧問の意見には部員は黙っているしかなかったのだ 悔しい事に。

最後に

高校時代の合唱部での思い出は顧問が顧問だけあって問題ばかりあったりしたけど楽しかった事も沢山あったそれはまた次の機会に書ければいいなと思います。


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