タイトルをつけられない記憶
「彼は○○さんがお気に入りみたいですよ」
何の会だかパーティーだか忘れてしまったけど、大勢で食事をしていたその時、わりと話をする間柄だった女性から、そう声をかけられた。
その時、「彼」に覚えがあったかどうか、もう思い出せない。話したことは一度もなかったはずだし、同じ空間にいた記憶もなかった。本当はあったのだけど、私が完全に忘れてしまっていたのかもしれない。それほど、私は彼を気に留めていなかった。
子供の頃に酷く外見でいじめられたことなどから、自分にまったく自信のない私は、ほんの時々そうやって、好意を向けられていることを知ると、いつもどうしたらいいのかわからなかった。
あまり仲良くないのに、ほとんど話したこともないのに、どうしてだろう?好かれるような容姿じゃないのに、と混乱するばかりだった。
自分に置き換えてみると、話したことなんかなくたって相手を素敵だと思うことはあるし、特別美青年でなくともそう感じることだってあるのに、いざ自分の話となると、同じことだと認識できずにいた。
その女性にそう言われても、私は照れ隠しに何かつまらないことを返してしまったに違いない。彼は「ふられちゃいました」と笑っていた。
その後、その女性と彼と私の、3人で遊びに行ったりもしていた。
彼はその女性に背中を押されないと、二人では会う勇気がないタイプの人だったのかもしれない。私を好きになってくれる人の大半が、そうだったから。
だから3人だった。その女性は既婚者でかなり年上だったので、彼とも私とも、先輩後輩のような間柄だった。
一緒にカラオケに行ったことは覚えている。彼の選曲はKinKi Kidsの『全部だきしめて』だった。
私はこの曲の歌詞が大好きで、ひとりだけこんなことを言ってくれる人がいれば人間生きていけるんだろうな、男の人に直接歌われたら惚れちゃうかも、なんてのんきに考えていた。
けど、結局全然惚れなかった。彼が地味だけど穏やかでいい人なのはわかってたのに。
私が何を歌ったのかは忘れてしまったけど、彼がずっと見ていてくれたのは覚えている。
個人的な感想だけど、カラオケで各人が見せる視線には真実があるような気がする。好きな人が歌う時は皆視線を外さないし、好きな人がいなくても好きな人の好きな歌を選んでいたりする。歌っている間に曲を探している人は、歌っている人にそんなに興味はないかもしれない。私は好きな人とカラオケに行ってその人が歌っているのを見るというケースの経験が実はないから、誰が歌おうとひたすら曲を探してジュースを飲んでいたけど。ごめんなさい。
一緒に遊んだり話したりした回数は、結局それほど多くはなかった。きっとシャイだったのであろう彼は、私の連絡先すら聞いてこなかった。その女性が仲介役だったから、要らなかったのかもしれないけど。
そのうち、私の個人的な事情で、私はその女性にも彼にも会うことがなくなってしまった。彼らが嫌になったとかそういう話ではまったくなかったけど、あの時の私は会える状況ではなかった。彼ら以外にも、多くの人とまともに顔も合わせなくなっていた。
最後に会った日から、何年も経っていなかったと思う。きっと、2年は経っていない。1年くらいだったかもしれない。
彼は自ら、命を絶った。
どうしてかはわからない。未だに、何も聞いていない。
怖くて聞けなかったのかもしれない。あの頃の私には、きっととても受け止め切れなかった。今だって、どうしたらいいのかわからない。
あの穏やかに笑っていた彼に何があったのか。もう、聞くことは決してできない。
あれから長い年月が経ってやっと、言葉の形にできるようになったけど、それでいいのかどうかも、よくわからない。
ずっと考えていた。
もし、私が恥ずかしがったりせずに、彼の気持ちに応えていたら、彼の人生は、変わっていたんだろうか。
考えても仕方のないことだとわかっていても、そんなことを考えるのも傲慢だとわかっていても、考えずにはいられなかった。
考えれば考えるほど、受け止められなくなっていった。
昔友達が言っていた。自分は結婚してくれれば誰でも良かった。誰でも良かったから、好きな人と一緒になりたいという女の子の可愛い気持ちがわからなかったって。
好きな人と一緒になりたい女の子とは、私のことだ。私は彼女とは逆で、誰でもいいから結婚できればいいという気持ちがまったくわからなかった。その根本的な考え方の違いで、あることですれ違ってしまったのだ。
彼女の言うことも間違ってはいないのかもしれないと思う。幸せに、安定して生きるためにはそれがいちばんだ。
自分のことを好きだと思ってくれる人を好きになればいい。ほとんどの人がシャイでなかなか言葉にできないみたいだったから、私がにっこり笑って積極的に受け入れてさえいれば良かったのだ。人間同士としての好意なだけで、恋愛感情はなくても。
彼ら以上に不器用な私には、そうする以外になかったのに。
彼にもそうできていれば、自分から近付くようにしていれば良かったんだろうか。恥ずかしさと自信のなさで顔もちゃんと見られないようなことをしないで。
そうしたら、彼の訃報を聞くことはなかったんだろうか。愛はなくても、愛に変わっていたんだろうか。ほんの些細なことで人生が大きく動くことは人生にままある。彼の人生も、そして私の人生も、そうなっていたのだろうか。
こんなタラレバを言ったって仕方がないのに、傲慢過ぎる考えだとわかっているのに、ずっと、ずっとそう思ってしまう。
次にまたこんなことがあれば、今度は逃げ腰にならないでちゃんとしよう。
そう誓ったものの、誰かに背中を押されながらがやっとだけど、それでも彼らなりに距離を縮めようとしてくれる、彼のような可愛い人たちには、あれ以来出会っていない気がする。
自分が好きな人にもいつも何もできずにいたけど、一度だけ、必死で頑張ってみた時には、二度と思い返したくないほど傷付いてしまったし、積極的なタイプの人にだって、結局好きではない相手には首を縦に振れなかった。
もう勘違いもしたくないし、傷付きたくない。でも、逃げたくはない。
そう考えて、勇気を振り絞っても、やっぱりうまくはいかないみたいだ。
ずっと信じられなくて、認めるのが怖くて、色々考え込んでしまったことを含め申し訳なくて、文字にできずにいたけど、今年のお盆の機会に、そっと置いておく。
嬉しかったのに、何もできなくてごめんなさい。悲しかったのに、何もできなくてごめんなさい。
本当は嬉しかったんです、ありがとう。
魂がどこから生まれてどこへ行ってしまうのか、私にはわからないけど、今のあなたが苦しみの中にはもういないことを願っています。
私が幸せでいることがいちばんの供養だと思い込もうとしても、人生って難しいですね。
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