ナビゲーションシステムに従い、二画面にする

自己紹介がてらマイヒストリー的なものをつらつら綴り続けて、その過程でnoteを始めた経緯を詳しく書こう、などと思っていたのですが、
「ってそれいつになるんだよこの調子じゃ」
って長さになりつつあるので(汗)、ささっと今日書いてしまいます。


私はわりと占いマニアでして、雑誌の占い特集は好んで読むし、実際に鑑定もしてもらいに時々出向いていました。「これをやったら開運する!」ってなネタを聞けば自分でも試してみたりして(笑)。だからごく普通の人に比べるとちょっと詳しくなってしまったかもしれませんが、不思議と占術を覚えて占うことはしませんでした。
…理論がよくわからんかったんですよ(汗)。とりあえず自分のことを調べてみるけど、どう解釈したらいいのかわからない。全然鑑定の入口にもたどり着かなくて、覚えようともしませんでした。

そんな「本当に単なるマニア」の私が、これまでにあちこち出向いた中でも圧倒的に当たるので「めっちゃ面白いけどここまでくるとこわいんですけどー」と思ってる手相鑑定の方がいて、その方に鑑定していただいた時のことははてなブログの方で記事にもしています。こちらの全3回+1回のシリーズ↓↓↓

有機的ナビゲーションシステムを両手に乗せて①
有機的ナビゲーションシステムを両手に乗せて②
有機的ナビゲーションシステムを両手に乗せて③
取扱注意、立入禁止

こんなの書いてると回し者のようですが(汗)、そうじゃないんですよ。
ホンマに当たるんですよ。ちょっとありえないくらい(汗)。

「あなたみたいな偏った変な人が普通の社会で生きていこうとするなんてそもそも無理です」という趣旨のことを一貫して言われつつも、そしてどこかでそのことは自覚しつつも、それでも生活のために安定と「普通」を求めるコースから外れるつもりはまるでなかった私が、気が付いたらとりあえずライターを名乗っているという事実。仕事上の変化があった時期(だいたい月単位で教えていただける)が振り返ると全っ然外れてないー。こえええええええええ!こえええええええええ!

で、鑑定の際に「ブログを分けた方がいいかもしれない」という話も実はなさってたんです。自分自身を見つめたような話も結構書かれてますよね?それとフィギュアスケートとで、完全に分けた方がいいかもしれない、と。僕の個人的な意見です、とおっしゃっていたので手相とは関係ないかもしれませんが、よく考えなくてもあの話は何故その時に出てきたのか。
もう完全にフィギュアスケートに特化したブログにしてもいいかもしれないな、とちらりと考えてはいたものの、ブログを分けることでせっかく続けてきた毎日更新が途切れるのも残念だなと思ったし、完全に特定の分野のことしか書いていないブログより、たまに本人の素顔が覗くらいの方が親しみを持ってもらえるし私も人様のブログでそう感じるし、実際そういう記事を好んで読んでくださってる方もいらっしゃる。なので、このままでもいいんじゃないかなあ、と結局放置してしまっていました。

しかし、つい最近になって、思わぬところから突然もたらされた優しさの中に「noteを書くといいかも」というアドバイスが含まれていたのです。やめるつもりはなかったし実際に今後も続けるけれど、はてなブログに限界を感じていたこと、おそらくは自分の適性であろうと考えられる今後の方向性を考慮したら、文章を発表できる場を増やした方がいいこと、そして「ブログを分けた方がいいかも」と何故かおっしゃった、あの鑑定中での言葉。
ブログを分けるといっても実はどうしたらいいのかわからなかった、noteの存在は知っていたけどこれまたよく使い方などがわかっていなかった私に、具体的でわかりやすいアドバイスをしていただけたことで(本当にありがとうございます!)、一気にガタガタッと何かが動きました。これまでの経験から、こういう時は逆らわない方がいい。「なんかやだな」という直感にも逆らわない方がいいけど、「なんかやだな」と思わないということはやった方が良かろう。はてなブログを始めた時は相当長期間迷っていましたが(やろうとは決めてたが勇気が出なかった)、今度は迷わなかった。はてなを2年間毎日更新していたこともあり、文章を書くことにまったく抵抗がなくなってもいました。今のところ、どうしようもなくなるまでブログふたつとも毎日更新してみよう、と考えてます。まだ一週間程度ですが実行できてますね。

ええええ…。本当に突然note増やしちゃった…。自分自身のだらだらとした話とか心の叫びとかただの日記的なものとか近況報告的なものはnoteに書こうと決めちゃったよ、一瞬のうちに…。
たぶんガチ知り合いはスケートの話なんざどうでもいいんだろうけど、スケートの話で書きたいことがいっぱいあって自分のことは思ったほど書けてなかった。旅日記やら観戦記やらは、内容に整合性を持たせるため最後まで書いてから載せるので、一度それらの掲載に入ると長いときは二週間くらい続き(2000字前後で記事を分割するので)、リアルタイムな記事はあまり載せられない。そういう話が書きたい時も確かにあった。ツイッターじゃ短いし、ツイッターは過去の呟きを遡りにくくアーカイブとしては使いづらい。拡散はしやすいけど、それは実はいいことばかりでもない。
だから、こうやって分けてしまうことは、確かにいずれはたどり着く未来だったのかもしれません。でもねえ、やっぱ不思議だよねえ。


noteを開始した過程としてはこんな感じなんですけれど、こんな感じで、「げっ、あれ鑑定で言われてたじゃん!」と気付くことが諸々あったこの数年…。しかもそれ、ひとっつも外してなくないか?うん…。うん、こわいんですけど(汗)。
どうも数年前から運気の悪い時期にいたようで(確かにその通り、これ以上悪くなりようがなかろう、というとこまできてたしきてる)、今年完全にそれから抜ける、という鑑定にとりあえず祈りを託していますが、んでまだ底にはいるけど「ちょっと違う世界の入口にくらいなら立てたのかも」と萌芽のようなものは感じるようになってきてもいるのですが、実はもっともっと希望のある鑑定もたくさんしていただいてるんですよ。これまでのことがこれだけ当たれば、それはいずれ訪れる未来だと思っていてもいいんじゃないか?そしてその未来と、その未来に至るまでの過程(それもまた未来なのですが)を信じるのなら、私はどれだけ貧乏しても苦労しても、文章を書くことを諦めてはいけないんじゃないのだろうか。
だって、そんなつもりはまるでなかったのに、今はほんのちょっとだけどライターだと名乗れてる。はてなブログも鑑定後に相当ぐるぐる悩んだ結果始めたもの。そしてそのはてなブログがあったからこそ、私はnoteにもたどり着いたのです。

私はよく悪い占いは当てられますが、いい占い結果は滅多に当たらない、という何かに見放された人間でしてね(泣)。「人に話すから外れちゃうんじゃないのー」なんて言われてましたけど。でも、希望のある占いをしてもらえると、しかもその内容が面白いと人に話したくなるじゃないですかああああ(泣)!
だがしかし、よく聞く話で、悪い夢は人に話すと逆夢になるから話した方がいいけど、同じ理論でいい夢は話さない方がいい、なんて言いますよね。おんなじことかなあ、などと考えたりもしていました。
ですが、色々経験していくうちに、「人の運命って最初から決まってるんじゃないか」って思うようになったのですよ。枝葉末節は変えられるかもしれないけど、大きな運命は人間の努力では動かせないんじゃないのかと。予め決まっているのなら、人に話したとか話さないとか程度で動かないんじゃないのだろうか。要するに、単なる読み間違い。

いい言葉を使っていたら人生は良くなる、みたいな考え方も私は大嫌いで、あまりスピリチュアル的なものに興味がないのもあるけど(ただし、いわゆる科学で説明できない、人間の第六感的なものがいくらでも存在していることはまったく否定してないです)、そんな程度のことで自分や誰かの人生をコントロールできると思ってたら痛い目に遭うんじゃないの、とどこか冷めた目を向けています。何故か昔からものすごく苦手でした。
そう信じることで本人が幸せならそれでいいんです、ご自身の自由です。否定はしません。けど、そういう人の何が悪質かって「そうでないと幸せになれない。自分は間違ってない。だからアンタはダメなんだ」って押し付けてくるところですよ。それは呪いであり、洗脳であり、自分の平穏を乱すものは排除したいというどす黒い欲。上っ面の前向きな言葉で騙せるのは愚かで純粋な、そして少々疲れている魂だけです。私は苦労したんだー、かわいそうな私の言うことを聞けー、と叫ぶあなたよりもたぶん私はドン底を見ている。だから騙されてあげられない。ごめんね。

明るくて優しかったあの人やこの人を、あんなに若くして神様が連れていってしまったのに、誰からも存在を望まれてはいないであろう人間が、わがままの限りを尽くしていつまでもここにいる。「彼ら」の理論が正しければ、逆でなければいけないはずです。運は人生を決定する大きな要素のひとつで、それは人間の意思とは別に存在するのだと私は感じています。
だからこそ、運をコントロールしようとするビジネスは太古から廃れることなく、むしろ隆盛を極める。人生を歩きやすくするためにそれをうまく利用しようとするのはまったく問題ないと思ってます。強い人ばかりじゃない。険しい山道を歩いていくために、幻でもいいから杖が必要な人もいるのです。ただ、その杖を絶対だと信じて、その人が杖を必要としているか、その杖を好きかどうかを確かめもせずに、同じ杖を使うように強制してはいけない。喜ぶ人もいるかもしれないけど「大きなお世話」だと感じる人もいて、それだけならいざ知らず、あなたの振り回すその杖によってもうその道が通れなくなることすら起きうる。あなたにそんな権利はありませんよ。
その辺の勘違いが生じやすいので、身近ではあるんだけれど難しい世界でもあるなあ、と思ってるんですけどね。


ちょっと脱線しましたが、要するに「いい鑑定の結果を書いたらいつものように外れてしまうのでは」とちょっと怯えていて、なかなかはっきりネタにできずにいたのですよ(泣)。
いたのですが、もうこれだけピッタリと時期まで含めて当たるのなら、少々なら先のことを書いても大丈夫では、と思いまして、自分を励ます意味も込めて、最近は時々ネタにしてます。っても詳しいことは「ホントになった時のお楽しみ」ですけど。てかそこまで具体的に言われたわけでもないしね。
どうやらそんなに遠くない、数年後の未来には、私は大きな仕事ができるらしい。そこまでの道程も聞いている。ただ、あと半年くらいはギリッギリのギリッギリだろう、ということも同時に言われていたりする(泣)。今が正念場です、という話でしたが、ちょっと正念場過ぎて白目剥いてまーす!ホームがレスだけはいやでえええええええす!!でもギリッギリのギリッギリだということは何とかそこまではいかないってことだと信じてますが白目剥いてまああああす←ヤケ

いやね、私なんだかんだ言ってつまんなくていいから毎月給料をくれる安定した仕事がしたいんですよ。つまんないのも面白いのもやってたけど、やっぱり毎月給料が入る身分って安心できた。だから隙あらば体調を回復させて雇われ人に戻ろう、と思ってたんですよ。今も思ってるよ。だからそういう鑑定結果になることをどこかで期待してたんですけどねえ、全然そんなこと言われなかった(泣)。ギリッギリなのは文筆一本でやっていくから、ということですってよ。やっていけてねえええええええ←超ヤケ
まあね、確かに今まで普通に私が組織で働いてたことがたぶんおかしい。確かに私は人としてかなりおかしい。会社員に戻っても、きっとまたわけのわからないことが起きて追い出されるように環境が激変して心がバッキバキに折れて再起までに激しく時間がかかるに違いない…。だったらもう別の方法を試した方がいいんじゃあないのか、とも考えてしまう。
そもそも私の体調でも雇ってくれるとしたら知り合いくらいじゃないか。んでそんな知り合いはいない。倒れるかもしれない人間なんてどこも欲しくないんですよ。たぶん死ぬまで忘れないだろうな、って言葉を私も食らったりしてますよ…。
心身ともに健康な人間しかいらないっていうのは最近話題になった水増し問題なんかでもくっきりはっきりわかったことでさ。そういう人に寄り添わなきゃいけない立場の人だってそうだからさ。でもこれを読んでる人だって、雇う立場になったら同じ事を考えるんじゃないのかな。紆余曲折を経て一定の立場を得て、人を使う立場になった途端、その人になら持てたはずのまなざしを捨ててしまった人も見てきたから。自分の立場や利益を守るためなら、人の人生や心や命を壊すことに皆ためらいがないんだよ。
会社によくいる「困った人」というのは確かに心が不健康なのかもしれない。でもその人が同じ会社の仲間を壊していくのを「しょうがない」って黙って見ているだけの人だって結局心が不健康な困った人で、そう考えるとみんな似たようなものなんだからもう仲良くしようよって思ってるけどそれが通じるなら地球はとっくに平和ですよね、はいすみません。


そんな感じで、迷ったり悩んだり戸惑ったりして「これでいいのだろうか」と自問自答しつつも、いくら探してもどうしても見つからなかった自分の居場所を探しあてて、ひとりでもそこに立って歩いていけるようになるまで、手相鑑定の中にあった希望にたどり着くまで、どうにか死なないでいられれば…、と今はそれだけを願っているのです。

…どこが「ささっと」なんだ。超長文やん(汗)。「あんたはまたそんなの信じて…」と言われちゃいそうですが、そんなのでも信じてないとぶっ壊れちゃうので、信じたまま淡々と言葉を綴っていこうと思うのですよ。あとなんだ、人間と直に会話した方が悩みや困りごとって先に進むね。めちゃ実感してます。私がそういうタイプなんかもしらんけど。
「印象に残ってる占いネタ」は自己分析にもなるし振り返って面白いので、またぼちぼち書こうかな。てなわけで、よかったらまた読んでくださいね。


はてなブログもやっています。フィギュアスケートのことが主ですが、ほかにも色々。現在オータムクラシックの感想をつらつら連載?中。
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「うさぎパイナップル」

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