無題、そして放棄

少しぼかしながらも、ある程度詳しい話を書こうと思ったんだけど、そうしないと伝わらないと思ったけど…。やっぱり書けそうにないので、ぼんやりと書きます。それでもやっぱり、しんどいだろうなと思います。


その人はちょっと強引だけどリーダーシップのある人で、面倒見も良く、おまけにわりとイケメンでした。人柄の悪い人では決してなかったので、私は人として信頼していました。何も疑うことなくそう思っていました。

その人と関わるようになってしばらくしてから、私はあることでとてもつらい思いをするようになりました。身体が拒否反応を起こしているのか、息ができなくなったことすらありました。本当はちゃんと呼吸してるんだけど、きっとパニックというやつだったんでしょうね。

その人は面倒見が良かったので、その件についても、私が悩んでいるのを放っておけなかっただけなんだろうと思っていました。そんな風に気にかけて親切にしてくれる人はいないよって、私はむしろ感謝してたと思います。

もちろん、その人の中には、人としてそうしなければという思いもあったのだと思いますけど。そこはあまり、疑いたくないのですけど。
でも、あまりに親切なように感じたのは、やはり別の理由からだったのだと思います。

話を聞いてくれていただけだと思ったんです。私はその頃背負っていた出来事が辛くてその人の前でも泣いていた。けど、それはあくまで、その人を相談相手として信用していたからでした。

けれど。

そんな風に見られているとは思っていなかった。


男の人になりたいわけでもないし、女の人を恋愛対象として好きになったこともないしたぶんそれはこの先もないです。決してそういうことじゃないんだけど、自分を「女の子」と思って過ごすことに私は昔からどうにも抵抗感がありました。
他人から、世間から求められる「女の子らしさ」に自分はどうにも欠けているし、期待に応えるように動くことも苦手のようだと自覚があったのですね。

ただ人としてガサツなだけだったり、性格が歪んでたり、変なものばっかり好きだったりするだけなのかもしれないですけど、とにかく向いてないと思った。身内に他人の容姿を酷く貶す人がいたり、子供の頃酷くいじめに遭った記憶から、容姿にもコンプレックスしかなかったので、自分は他人から求められる「女の子」の基準は満たせないだろう、きっとこんな自分は女じゃないんだから、女の子らしさみたいなものは放棄して、自分とは別の世界にあるものとして生きていこうと思ってました。それはそれで、面白い部分も無かったわけじゃないですしね。

けど、それでも、女として見られることがある。それがどうしてなのか私にはわからなくて、そのたびに戸惑っていました。

まさか、その人もそうだなんて私は思ってなかったんです。

しかもその人は、ほかの人たちとは違っていた。きっと繊細で優しかったほかの人たちは、決してそんな強引なことはしなかったのに。
腕力でどうにかしようなんてしなかったのに。


詳しいことは書きません。書かないと伝わらないんだろうけど、やっぱり書きたくないです。

今までそんな感情言葉にもしてなかったのに、急に行動に出られたので余計にショックだったし、色々慰めとか褒め言葉とか言われても、混乱しかなかったし抵抗するしかなかったです。


それがたいしたことなのかたいしたことじゃないのかはわかりません。自意識過剰の範囲なのか完全にアウトの範囲なのかもわかりません。

けど、私はその時のことを思い出すと今も恐怖心しか湧き上がってきません。昔ほどではなくなったけど、何かの拍子に思い出しては吐き気がしたり、その人の乗ってた車に似た車やその人に似た名前を見るだけでも怖いです。もう何年も経っているのに。


その人とはその後もどうしても関わらないといけなかったのですが、どうにか気にしないでいようとしたけど、ずっとどうしたらいいのかわからずにいました。

その人は私への恋愛感情が暴走して突然あんな行動に出たのでしょう。恋愛なんて狂ってなきゃできない。何よりもコントロールが難しいものかもしれません。だからあんまりその感情そのものは否定したくなかった。その人は明らかにモテるタイプだったので、どうやらあまり拒絶されたこともなかったようですし、プライドもあるだろうと思いましたし。

ただ、モテるだけあってその人はどうやらポジティブでした。その人のことを男性として意識していないから抵抗したということは伝わってないらしかった。また強引な手に出るのではないかとびくびくしていたし、別の形で強引な手に出ようとしていたのかと思ったこともありました。それがそういう感情なのか親切心とか別の感情からなのかがわからないから、余計に振る舞い方に悩みました。何より恐怖心がどうしても抜けずにいたのです。

おそらくもう生涯その人と関わることはないのに、その恐怖心だけは残ってしまったようです。元々いじめに遭ったことなどが原因で男性が苦手だったのに、ますます苦手になってしまった。社会人ともなればそんなことも言っていられなくなるので、努めて普通に、明るく振る舞おうとしてたけど、そして向こうは何とも思っていないこともわかっているんだけど、隣に並んで歩いているだけでどこかびくびくしている自分がいる。それを悟られないように必死でした。誤魔化しきれてたかどうか自信はないです。
身内ですらも時々怖くなることがあって、ここまで自分の中に根深く残るとは思いませんでした。

誰かにその時のことを相談したこともあります。もちろんちゃんと聞いてくれた人もいたけど、そんなの気にするな、忘れろ、嘘なのでは?スキがあったからじゃない?自意識過剰なんじゃない?的な、こういったケースでよく耳にする意見に近い態度の人もやっぱりいました。そしてそれが二重に自分を苦しめることになる。

実際にそういうケースもあるんだと思うし、自分がこの出来事に遭うまでは否定的に感じる人たち側に私も立ってたかもしれない。別にこの件に限ったことじゃないけど、人によって感じ方はそれぞれ違うので何とも言えない。こんなにいつまでも怖がってる私はおかしいんじゃないかと悩んだりもしました。

そして、男女を同列に考えることのできない話だと思った。精神的な面だけの話なら「人間」の話として区別なく考えていいと思うんです。けど体の構造は決定的に違う。大抵の女性は腕力でも負けるし、最悪のケースの場合は肉体的に強いられる負担が全然違う。

自分は一生そんな話に関係なく生きようと思っても、のらりくらりとかわして生きてても、女性にしかかからない病気にかかったり、今回のようなケースに遭遇したりして、嫌でも女の自分を自覚させられるのにうんざりでした。


「僕のこと、怖いですか?」

そう聞いたあの人は、もちろん私の事情なんか知らないし、自分の振る舞い方が正しいのかどうかだけが気になって私にそう尋ねただけであって、深い意味など当然ながら無かったはず。

男性として認識できないとかそういうことは全然なかったんだけど、その人は珍しく恐怖心が湧いてこなかった相手でした。そういう相手に限ってそんな質問をしてくるなんて、皮肉なものだなと思いました。

怖くないですよ、そう答えた私の言葉の裏を誰も知ってはいない。

そんな相手に何人も巡り会ったら、恐怖心はなくなるのかもしれない。仕事や遊びに没頭したところで、ふとした瞬間にぱっくり開いたままの傷口に気づいてしまうこともなくなるのかもしれない。

この件だけは、異性との幸せでしか上書き保存できないのだと悟った私は、ずっとその「救済」を願っていたけれど、そもそも恐怖心が残ってしまっているのに、出会いの場に出掛けてチャンスを、なんてできるわけもないので当然うまくはいかない。そもそも、元々苦手だったのに。

それでも、救われたくて願い続けていたけれど、わりと最近になって、あることで相談した相手の言葉で、どうやら折れてしまった気がする。自分が幸せになりたいと思っちゃいけないし、思い切って話しても、寄り添う言葉ひとつ掛けて貰えないんだなって。

私は対人関係のライフハック的なものを呟く意識高い系の人が苦手なんですけど、その人たちは自分が幸せになることにだけフォーカスしてるんだなとしみじみ感じます。そりゃ自分さえ幸せでいられるライフハックなんだからその人たちは成功するだろうよ。みんな自分のことを肯定したいから、数字と金が欲しいだけの言葉なのに刺さったような気持ちになって、自分は悪くない、と言い張る人間のできあがり。
本当に苦しんで傷付いて出た言葉は、似たような言葉に見えてもやっぱり違うのに。

けど、いざ自分の幸せを願うと、それは我儘だと取られかねなかったりする。こうやって自分の気持ちを綴って自分でどうにか消化しようとする行為も、悪口言うなとか誰かを傷付けるなとか言われたりする。傷付いたのは私であってあなたじゃない。あなたの話なんかしてないのにそんなこと言われても対処しきれない。
他人に寄り添うことをやめた人間は他人からも寄り添っては貰えない。だから金と数字の力にしか頼れなくなって、あんなライフハックに辿り着くのかもしれないけど。
私はそちら側の人間にもなれない。

もういいやって思った。

私は時々無駄に記憶力が良くて、昔の嫌なことを思い出して眠れなくなったり布団から出られなくなったりすることがある。自分が他人を傷付けたとか何も知らなくて深く考えていなかったこととか失敗したこととか、今更考えても仕方がないのかもしれないけど考えずにいられない。
何か失敗してないか、何か迷惑をかけてないか、そう思い始めると出掛けることすら強大なストレスになることもある。

決して他人が嫌いなわけでもないし、ひとりでいたいわけでもないのに。
感情がコントロールできなくなる自分が怖い。そうなるかもしれないと思うととても怖い。実際自分は狂っているからひとりになってしまったのだろうし、この先誰かと知り合ってもその人もきっと私を憎んで離れていくんだろう。

誰にも会いたくない。誰にも会わずに過ごしたい。社会や他人が怖い。馴染めない自分が暴走しそうで怖い。

このご時世もあるのかもしれないけど、だんだんそんな気持ちになってきている。前からどこかにそんな気持ちはあったけど。

ただ生きているだけでいいなら国に頼めばそういう生活をさせてくれる可能性はあるから、死ぬまでずっとほとんど家から出ないでいられるかもしれない。身体も辛いしお金もないし頼る相手もいないから。

ボサボサ頭で化粧もしないで、ゆるゆるのフリースのズボンで近所のスーパーしか行かない生活してれば、もうあんな怖い目に遭うこともないだろう。

何も期待しないで、何も望まないで、死んではいけないって助ける気もないのに言われるの面倒だから、社会との繋がりを切ってただ生きてる。そうすればいい。狂ってる私は見えない檻に閉じ込めてしまえばいい。

悪いことをした人へのいちばんの罰は、この国では肉体の機能を止めることになってるけど、記憶を破壊して、何も知らないその人にして国民の奴隷的に働かせるほうがいいんじゃないのって時々思うことがある。トラウマや思い出がその人を歪めたのなら、それをその人の記憶から消せば、めちゃくちゃ優秀な人も中にはいるんじゃないかって思ったし。
もちろん実際にはそんなに都合よく記憶が消えることなんてないしそんな技術も確立されてないから無理なんだけど、肉体として死んではいけないなら、記憶だけでも死んで、過去の私が死んで、全然別の私になれたらいいのにってよく考える。

あの怖いという感情は、記憶は、もう私の中からは消えないだろう。願うことも祈ることもやめてしまったから。
狂った人間は狂った人間らしく、自分から檻の中に入って一生生きていくよ。何のために生きているかなんて、もういい。
執着しなくなれば、楽になるかもしれない。

こんな記事に限って拡散されたりやたらアクセスが増えたりする。けど誰も助けようとも寄り添おうともしない。そんなもの。詳しく書いてないから今回は仕方ないけど、詳しく書けない私の気持ちの裏まで読む人はそんなにいないだろう。
人の不幸って面白いんですよね。どんなに目に見える部分だけいい人ぶったって、人間なんておしなべて醜い生き物。自分の中にあるそれも他人の中にあるそれも認めずに、明るい部分だけ見て生きようとしたところで、新たな闇をどこかに生むだけなんじゃないか。そんな気がする。

自分で自分に寄り添うための文章だから拡散とかしないで。本当にやめて。あなたの醜い感情を満たすために私は生きてるわけじゃない。

本当に私の人生って何なんだろうか。恨みで世界が滅ぼせるレベルだと思うんですけどね。でもみんな自分がいちばん不幸だと思ってる、私もただそれだけなのかもしれないしさ。

かなりぼかして書いてしまったから意味不明だと思うけど、言えないだけで、言うことが許されないような空気があるだけで、私のような経験した人いっぱいいるんだろうなと思う。その人を家族だとか仲間だとか友達だとか思ってるなら、そういう心の痛みにも気付いてあげられる人であって欲しいと、私には生きられなかった人間の世界の人たちにはせめて望んでいたいです。

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主にフィギュアスケートの話題を熱く語り続けるブログ「うさぎパイナップル」をはてなブログにて更新しております。2016年9月より1000日間毎日更新しておりましたが、現在は週3、4回ペースで更新中。体験記やイベントレポート、マニアな趣味の話などは基本的にこちらに掲載する予定です。お気軽に遊びに来てくださいね。

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