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Tinderの渋谷ジャックは世界を変えた (と思っている)

*この記事は出会い系を正当化するつもりも推奨するつもりもありません。あくまで個人の感想に基づいて書いています。

去年、2019年の9月から渋谷に突如として登場した数多くのTinder広告達。初めは山手線を降りてすぐにある広告群の中に垂れ幕として出てきて渋谷の奥にいくにつれてどんどんとTinderの広告が増えていきます。

日本の世の中にはTinder = 出会い系アプリという認識が根強くあり、その手軽さから、良いことも悪いことも起きているのが現状です。

これをよんでいる画面の向こうのあなたは、隣にいる方が「私は出会い系アプリをやっています」とカミングアウトしたらどう思うでしょうか。
「アプリであうのって危険じゃない?」
「危険を省みない愚かな行為だ」
「そこまでして出会いたいのか」
などと様々な意見がわれるでしょう。

しかしこの広告はそんな否定的な意見をものとものせず「私、Tinderやってます」と堂々と言っている気がしました。
この広告をみた当初は単純に「悲観的な意見に真っ向していいイメージをもたせる」という手法に関心しました。

そもそもTinderは出会い系アプリなのか

結論から言うと違います。Tinderは「マッチングアプリ」というジャンルです。マッチングアプリ = 出会い系アプリかと思われるかもしれませんがこの2つはプロダクトとして似て非なるものです。

簡単に説明してしまえば出会い系アプリの目的は出会うことであり、マッチングアプリの目的はマッチすることです。マッチしてからは両者の意思にまかされます。要は出会わなくてもいいのです。

出会わずにオンラインで英語を教えてもらうユーザーや、観光でいく先の国の地元の人と予めマッチして仲良くなり宿泊させてもらうなんてケースもあるくらいです。

もちろんそれが元で犯罪がおきたりもしました。そしてそれを抑制するために日本独自のセキュリティを設けているということもあります。

Tinderの渋谷ジャックはなにを変えたのか

SNS上で渋谷ジャックの感想をみると、賛否両論、様々な意見が発信されています。コピーがダサいだとか、かっこいいだとか、クサイだとか、心に北だとか。本当にみんながTinderに対して興味をもっていました。

ぼくのプライベートなインスタのアカウントでも何件か写真付きのストーリーが投稿されているのを見ました。

みんなが口々に忌避していた「こういうアプリ」に対して認識して干渉するようになったのです。
広告の目的が認知だけなら、これは大成功なのでしょう。

「誰であれ、ほかの誰かに近づこうとするときには、自分がアプローチしたいと思っていることを相手も分かっている 方が気楽だ」

という発想がいまのTinderをつくりました。純粋に人との繋がりを形成するためにつくられたプロダクトなのです。

いまのネット社会、クローズな個人こそが少数派となり、希少価値を持ちます。「誰かと関われない 」「関わりたくない」という個人の声を無視してまでこのプロダクトは勧めるべきではありません。
しかしながらどんな人でもスワイプだけで関係を築ける社会は、オルダス=ハクスリーの「すばらしい新世界」よりも自由でこれからの時代に合っているのではないかと思います。

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