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養殖モノと天然モノの「ありがとう」

機嫌の悪い人、がいる。もう、趣味といってもいいのかもしれない。楽しんでる様子はないし、本人はつらいというけれど。

ずっと不機嫌である。この世で一番自分が不幸だと思っている。あらゆることを呪っている。お天気にも空気にも聞こえてくる音にも漂う匂いにも怒っている。そしてなにより、そういう自分を一番嫌っている。無駄に過ごした日々を数えてさらに無為な時を過ごす。

そりゃ、つらかろうなあ、と思う。

どうしてあげたらいいのか、と思うのだが…差し出した手は大抵振り払われ、提案はほとんど拒絶され、こちらも心に多少の傷を負う。それで、遠巻きにすると孤独を訴えて声を上げてくる。…めんどくさい;;   ますます孤立化するので世を恨む。


さて、どうするべきか。何かできないだろうか?


ほっとけ、といわれる。できればそうしたいが、大抵の場合、こう人は「かまってちゃん」気質も持ち合わせているので、自分の不幸を見る観客をそばに置きたがる。孤独を訴えるけれど本当に一人にはなれないのだ。


こういう人に効く1番の薬は「感謝すること」だという。感謝する心をもってもらうことがこの人を幸せにする特効薬だと。


ただ、これが難しいのは…感謝ってのは持とうとしてもなかなかうまくいくものではないってこと。人工養殖の「ありがとう」は、虚弱だったり無理な形をしていたりするので長続きしないのだ。感謝とは自分の中から「湧き上がってくる」天然モノが一番だ。

苦労して育ててくれたお母さんお父さんに感謝しなさい、世の中にはご飯が食べられない子もいるのに自分の恵まれた環境に感謝して過ごしなさい、こうして生きていること自体に感謝するべき… etc. 養殖モノの代表例だ。

「〜なさい」「〜べき」からうまれた人工「ありがとう」は弱い!すぐ消えちゃう。

ありがとう、は自然に生まれ出てくる。

誰か(何か)の言葉や行為や思いに接して、心が動かされて出てきた「ありがとう」は強く、大きく、逞しく、半端ない分量で、ながーく生きる。永遠かもしれないくらい。

だが、これがいつどのタイミングで得られるのかがなかなかわからない。なので、作ろうとする、あるいは、どうもこれはみんな喜ぶらしいぞ、感謝の心が生まれるかも、と予想されるもののところに近づく、うれしい、ありがとう…だけども、それはもう、天然モノじゃない TT


困った。本当に困った。


目の前にいる不機嫌な彼にどうやったら感謝のこころをもたせてあげられるんだろう??できれば人工じゃなくて天然のやつ。

あ、そもそも、こんなに心配してくれている人が目の前にいるってものすごく「ありがとう」だと思うけど…感動モノだと思うけど…ダメだよね。感謝しなさい、ってアタシが言っちゃ。

ふーん…こまった。

天然「ありがとう」はそのパワーゆえに増殖するって聞いたことがある。それにかけてみるしかないか;;


私の目の前でこんなふうに自分の不機嫌を見せてくれているキミ、本当にありがとう。おかげで、いろいろ考えたし、ブログも書けたよ。感謝。

「ほんとうにありがとう」×∞

うーん、ちょっと作ってる??


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