見出し画像

「ながら遊び」はやめよう!

「遊ぶ」という言葉が、「仕事」の反対語のように思うようになったのはいつからだろう。

本来はそれはすべきではないことだけれど、「仕事」をうまく進めるための気分転換や休憩のために行うことはゆるされるもの、であると思い始めたのは…


「仕事」という言葉ではなくて、それが「勉強」ということだった時代だろうな、とは思う。長時間の勉強のために途中で休憩をいれるとか、頑張ったから自分へのご褒美として気分転換、なんてことをやってるうちにすっかりそういうもんだと思い込んでしまった。

動画やゲームに夢中になったり、本を読み耽ったり、ショッピングに行ったり、友人としゃべったり…それは何一つ悪いことではない。それどころか、自分自身を喜ばせるし、世の中を動かすから社会もhappyになる。

だけど、心の底にいつもある「こんなことやっていてはいけない」

やるべきことがあるのに「時間を無駄にしている」

わかっているのにやめられない

実際には「休憩」にも「気分転換」にもならない。だって、自分でそんなこと呟きながら遊んでいるからね。

真剣にまるっと、本気で遊ぼう、気を抜こう、と決めて時間を過ごそう。ほんとはこんなことしてる場合じゃないんだけどな、と思いながら遊ぶな!だ。「こんなこと」扱いなんてその「遊び」に失礼じゃないか。やりたくないなら、すぐやめてやるべき作業に戻ったら良い。ちゃんと真剣に遊べ!


まあ、50年以上もやってきてしまった「ながら遊び」は実はなかなかやめられていない。ついつい、

「ああ、これが終わったらあれやらなきゃ、でももうすこし」

「こんなことしてる場合じゃないのになあ」

思う日々。

だけども

「これは自分がやりたいことだ」と思ってとりくむ「遊び」は結構真剣で、そういう雑念がはいってこないものだということもわかってきた。ということで、余計に時間を忘れちゃいがちだから困るんだけど。でも、確実に満足感のようなものはあるから、後悔はしない(リカバリーのための時間や手間が必要になるけどしょうがないなって笑っていられる;;).


遊びと仕事の区別ってなんだろう?自分の大好きなことを仕事にしている人はどうなるの?遊びに夢中になって仕事が疎かになったら本末転倒では?

むむむ。ムズカシイことになってきた。

noteを書き始めて変わったこと、気づいたことの一つが、わたしはこうして文章を書くということが大好きなんだという事実。まあ知ってはいたけど…時間を忘れてしまうくらい夢中で取り組めることなんだと改めて気づいた。で、今も、たのしくてしょうがないんだけど、でもこれって遊びなんだろうかな?書くこと見つからないなあって苦しむこともあるし、なげやりなものを書いちゃうこともあるしな。これは仕事をこなす、っていうことに似ているなあ…

むむむむむむむむむ…さらにムズカシくなってきた。


まあ、とにかく、遊ぶこと、休憩すること、遠ざかることに罪悪感を感じながらすごすのはやめよう思う。なにごとも「ながら」はよろしくないことが多い。…ここでダメ、と言い切らないのは、両立したりマルチタスクを同時にこなす人たちもいるからだけど。

ただ私は、いろいろ混ぜて薄くいろんな味がしちゃうよりは、いろいろな味を順番にゆっくり味わっていくようにしたいなあと思っている。

いっこいっこ真剣にまるっと取り組もう。

うん。その方が絶対面白い🎶 時間かかるけどね。


画像1















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?