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白黒のおたまじゃくしがからみあってる…のではなくて、この世界全体を表す「太極陰陽魚図」である。

太極とはこの世そのものであって混沌としたひとかたまりのパワー球の球体である。白は陽(相対的に動的)黒は隠(相対的に静的)なエネルギーの動きを模している。白の中の小さい黒丸は陽中陰、黒の中の白丸は隠中陽といい、ふくらむ力(遠心性)と縮む力(求心性) を同時に存在させている。

大きな球(太極)はそれ自体がぐるぐると回転を続けているので、その中の陰陽も回転する。また、陽中陰、隠中陽は膨らむことと縮むこと両方を無限に繰り返す。

動きは止まらない。原因と結果、というようなことにはなならない。この世で発生することは常にプロセスにすぎない。常に変化をし続ける全体のほんの一部だ。 

山本克仁さんの「太極陰陽論と五行論の実践」講義だった。

陰陽「二」、五行「五」、十二経「十二」で分割して、考えつつも、常に太極「一」の視点を外さないこと。

動きは止まらない。原因と結果というような単純なことにはなならない。この世で発生することは常にプロセスにすぎない。常に変化をし続ける全体のほんの一部だ。

難しい、わかりにくい、アタマではね。理屈に合わないからだ。

だけれども、感覚として、経験としてはとても腑に落ちるし、ああ、そうかやっぱりと心地よい。


ワンネス、とよく耳にする。

地球は一つ、みんなの絆、心を開いて手を繋ごう…みたいなイメージが実はちょっと苦手であった。けれど、この講義を聞いていて気づいた。

一人一人が手を繋ぐ必要などないのだ。だって、もう、一つのところにいるんだから。一人一人でさえないのかもしれない。世界中で、ずっと動きを止めない体と心が縦横無尽に動き回っているのだから、時空のどこかではきっと、ぶつかったり、まざったり、触れ合ったりしているはずだ。

とっくにワンネスだ。常に変化し続ける世界の一部にすぎない。何をしても、どこにいても「ひとつながり」だ。われわれは。


自律的に自分軸を持って生きよ、などともよく叫ばれるので、個を固く持たねばと思いがちだけれど、それは違うのだ。いつから自分が今の自分自身であったかなんてわからない。ココロとその入れ物であるカラダの変化をよく観察し、自覚して、プロセスを味わうこと…人間にできるのはどうやらそんなとこだ。


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