千葉雅也『センスの哲学』を読む

本記事は千葉雅也『センスの哲学』の読書メモです。
久しぶりに発売前から楽しみにしてた本で、昨日買って一気に読了しました。

※以下の文章はコピペではなく読みながら自分なりに咀嚼したもので、その結果本の内容とはちょっとずれてる(書かれていないことを勝手に読み取っている)可能性もあります。ご注意ください。


ダサさ=モデルの再現への固執

  • 多くの人は「モデルの再現」を目指す。アニメ「風」な絵を書いてみたり、アンティーク「風」のインテリアを買ったり。それでうまくいくこともあるけど、往々にして、再現に囚われている不自由さがダサさを醸し出す。

  • そういう再現行為から一旦降りてみるのが大事。(絵でいうところの)「ヘタウマ」を目指す。身体性、運動性、偶然性が先にあり、モデルは一旦横においておく。

  • とはいえ、モデルのインプットは無駄ではない。むしろ、大量のモデルに触れることで、逆説的に、特定のモデルに執着しなくなる——つまりモデルの再現から降りやすくなる。今ヘタウマな人も、元々はモデルの精緻な再現を大量にこなしていたりする(ピカソとか)。

  • 「アンティーク風だから」という理由で家具を選ぶのではなく、ただそれそのもので素朴に良いと思える家具を選べるようになる。これがセンスの良さ。

  • モデルの再現を頑張るのではなく、むしろ忘却し、元のモデルから意味を抜き取る。創造性が引き算だと言われるのはそういうこと。

意味の前にあるリズムを感じる

  • モデルを再現することに固執するなといわれても、じゃあ何を指針にすればいいのか? 適当にぐちゃぐちゃやっても、それはナンセンスにしかならないじゃないか。何か指針が欲しい……。

  • そこで、「リズム」が大切になる。リズムは「意味(たとえばアニメ風だとかアンティーク風だとか)」の手前にある。意味を捉える前にリズムがある。

  • リズムとは強弱の鼓動、テンションのサーフィン。ビートの反復と、その中で生まれる強弱のうねり。マグカップにも、絵にも、小説にも、音楽にも、料理にも、スポーツにも、ファミレスでのおしゃべりにも、いないいないばあにも、リズムはある。

  • 物事をリズムとして捉える姿勢こそ、最もミニマムでプリミティブな形の「センスの良さ」である。(これはある意味モダニズム芸術的でもある)

  • 人は物事を空間的・静止的に認識しがちだが、リズムは時間的で動的。時間的に世界を感じ、そのリズムに身体を委ねること。

小さな意味に目を向ける

  • 「脱・意味」ばかりを突き詰めると、先鋭化したフォーマリズムみたいになってしまう。そっちは目指してない。意味は意味で大事。

  • 人は意味を「大枠で」捉えようとする。たとえば、「この映画のテーマは、何か?」とか、「今回の旅行は、なんのために行うのか?」とか、「私の人生の意味とは結局何か?」とか。それが良くない。

  • 大きな枠組みの中にはたくさんの小さな枠組みが並んでいるはずで、そういう小さい枠組みの中にこそ、一言では言い切れないような豊かな意味を見いだせるはず。それに着目すること。たとえるなら、ダイヤモンド全体ではなく、複雑にカットされた面の一つ一つのきらめきのリズムを味わうこと。

  • 何か作品を観た時に、大雑把な大枠の感想に全面的にもっていかれないようにすること。部分に感じたリズム、そしてそこから読み取れる小さな意味達を切り捨てないこと。

リズムを生成してみる

  • 作るというのは並べること。並べてリズムを作ること。たとえば映画はショットを並べる(モンタージュ)。

  • 意味の繋がる並びが普通だけれど、あえて意味を切断するかっこよさというのもある。意味がわからなくても、そのリズムにしびれるような、たとえばゴダール的な。

  • 予測から外れるような意外性も、2回目以降はそれ自体がパターン化する。パターンの中のいち要素としてイレギュラーが織り込まれる。そして人は更に新しい意外性を求める。

  • 並べ方は(本来的には)なんでもありのはず。人間の脳はそれくらいフレキシブルである。そこに何らかの制約をかけると、わかりやすい「ジャンル」になっていく。

  • すべての行為を一括りにしてざっくり言うと、一定の反復と差異がちょうどいい塩梅のばらつき加減で配置されていれば「センスが良い」感じになる。

具体的なアドバイス

  • 一発描きできれいな円を描こうとするのではなく、シュッシュと何本も大まかな線を引きながら、徐々に外堀を埋めていくように、円を浮かび上がらせていく——この方が多分、良い「円」の絵になる。身体性、運動性、偶然性を先にもってくるというのはそういうこと。

  • 上記の修練を何度も重ねると、次第に少ない手数できれいな円が描けるようになる。これは相当高度な技術だが、別にきれいな円のほうが価値があるというわけではない。

  • 小説も同じ。きちんと展開して読者を楽しませなきゃとか思わずに、まず思いつくままに余計なシーンをいっぱい描いていい。それがあなたの作品になる。そういう余計なシーンにこそ、独自のテーマがみえてきたりもする。

  • ピアノもそう。譜面通りに弾く練習はもちろんするけれども、それとは別に、鍵盤をめちゃくちゃに叩く音遊びも必要。そういうランダムな音遊びから「絞り込む」過程を経て、人は物事に上達していく。

  • とりあえず手を動かす。生まれるリズムが不安を消してくれる。

個性について

  • 優れたピアニストは譜面通りに機械的に弾いているのではない。鍵盤をめちゃくちゃに叩けるような凶暴なエネルギーを「有限化」して、一時的に譜面に合わせているだけ。だから同じ曲を弾いても迫力やスケール感がでる。その「有限化」の仕方に個性が出る。

  • 不足や欠落を補おうとせず、自身の過剰な部分に目を向けること。うまくやれないのは、「正解」に至る力が不足しているからではなくて、自分に過剰なところがあるからだ、と考える。その過剰さ、余っている部分を肯定し、活かすこと。

  • 有名な作品よりも、自分にとって大事な作品を思い出す。このとき、意味的な重要性に惑わされないこと。なんとなく自分の身体に残っている欠片に注目する。

  • 個性とは、何かを反復してしまうこと。「このひと、いつもこういうことやっているな」という、やむにやまれぬ、必然的な反復性。それはときに「センスの良さ」をスポイルするが、そういう「アンチ・センス」があるから芸術に意味が宿る。ナラティブとも言える。

  • 個性は、逆説的な話だが、ある種の「テンプレ(画一性)」と無関係ではいられない(たとえばドット絵を個性にしている人がいるとして、そのドット絵というのはひとつのテンプレである)。どんなテンプレと関係してきたかがその人の個性を規定している。それは不自由さだが、不自由ゆえに個性として機能する。「ある種のテンプレのその人なりの表現」が個性になる。


感想

センスはリズムだ、という話が一番おもしろかっです。実際この本を執筆する上でのキーストーンになっていると思う。また、自分が普段考えることと似ていて、シンパシーを感じました。

それで、第2章でリズムを持ち出すところまでは興味深く読んだんですが、そのあとはリズムについての細かい分析が始まり、哲学的な話が持ち出される。それが期待した展開とちょっと違いました。『センスの哲学』というより『リズムの美学』という感じ。

多分、私は千葉雅也さんにもっとエッセイ的なものを期待しているんだろうな…。もっと軽やかな調子のエッセイを読んでみたい。その中でたくさんの気づきにふれたい。哲学とか科学の話も面白いけれど、扱おうとしている題材に対して、どこかこじつけっぽい印象もある。餃子の話とか面白かったので、ああいう話をもっと聴きたかった。

巻末に読書ガイドがあり、ここで挙げられている本がどれもおもしろそうだったので、少しずつ読んでみる予定。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?