韓国料理と下宿
韓国料理しか出ない。
日本人や在日コリアンといった日本文化圏、またそれ以外の文化圏の外国人が多い下宿はどうだったのか知らない。
🐇谷のように、韓国人の大学生や若い会社員など、外国人が少なかった下宿では、出る料理は韓国料理だけといっても言い過ぎではなかった。90年代中頃のことである。
下宿では、朝夕の食事が出た。
朝ごはんは、韓国語でコンナムルという豆もやしのスープに、ケランプライという目玉焼き。そしてキムチや海苔に代表されるミッパンチャンと呼ばれる常備菜のおかずなどが出た。
夕ごはんは、朝ごはんと違って、出てくる汁物やおかずなども常備菜を除いて、毎日ちがった料理が出た。サムギョプサルやサバやタチウオなどの焼き魚や煮つけといったおかずもあった。
ちがった料理が出たといっても、先ほど書いたように出てくるのは韓国料理である。
日本人を含めた大概の外国人は、いくら韓国料理が好きだといっても、毎日、毎日、韓国料理ばかり出てくると、流石に食傷気味になってくるようなことが多かったのではないか。🐇谷もそんな時期があった。
そんな時は、昼ごはんに選ぶのは韓国料理ではない料理、
つまり、マクドナルドやロッテリアのようなファストフード。またチャンポンやチャヂャン麵などの中華料理を食べていた。
また、たまに韓国風ではない、ほぼ日本のものに近いうどんが食べられるうどん屋があった。
そういったお店は、ファストフードや中華料理店よりも値が張るのが玉に瑕だったが、如何せん、韓国料理以外の料理が食べたい時には、財布には響くが、意を決して行ったものだった。
しかし、それ以上にキツイと感じたことがあった。それは、おかずに肉や魚がほとんど出ない期間があったことだ。理由は分からないが、他の何かで、出費がかさむなどして、お金をかけられないことでもあったのだろうか。
流石に1週間ほど、肉や魚がない食事が続くと、フラストレーションも溜まってくる。「肉が食べたい病」である。
ああ、「発病した」と感じたら、当時おなじ下宿の、日本留学経験があり語学堂に通っていた臺灣人といっしょに、「脂っ気を補給しないといけないねえ」と意見が一致して、下宿の夕ごはんを食べずに、チキン屋に行った。
チキン屋では、手を油まみれにしながら、フライドチキンを食べ、焼酎やビールを飲むのが、「肉が食べたい病」の治療法だった。
しかし、だからといって韓国料理が嫌いになったわけでは決してなかった。一時的に、食傷気味になるのは、ある種のサイクルのようなものであった。サイクルだから、一時的だった。
そんな韓国料理の中で、思い出すのは「タㇰトリタン」だ。
タㇰは韓国語で、鶏を意味し、トリは、日本語の鶏が残存したもので、タンは汁やスープの意味で使われる。
今はトリが日本語であるため、国語醇化運動の影響で言い換えが進み、メディアでは「タㇰポックムタン」と紹介されることが増えたようだ。因みにポックムは、炒めぐらいの意味であろうか。
どんな料理かと言うと、骨付き鶏肉と玉ねぎ、人参、ジャガイモ、ネギなどの野菜を、コチュジャンや唐辛子粉などの調味料で味をつけた、煮込み炒めのような料理であり、色は赤黒く、見るからに辛そうな印象を受ける料理である。
だが、食べてみると、見た目とは異なり、辛さ以外にも、骨付き鶏肉の出汁の味に野菜の甘みも加わった、ただ辛いだけでなく重層的な味なのだ。特にジャガイモは、骨付き鶏肉の出汁が沁みて、ジャガイモのやわらかい甘さと相まって、ホクホクして美味しかった。
特に厳冬期に、この料理が出ると、嬉しかった。
語学堂の授業は、お昼までで、昼食後は、語学堂の母体である大学の図書館で勉強していた。夕ごはんの時間になると、一旦勉強を切り上げて、下宿に戻る。
図書館を出るや、コートを着ていても外気の寒さが体の芯まで伝わってくるほどの寒さが珍しくなかった。急ぎ足で戻ると自室でコートを脱ぎ、食事をとる部屋に向かう。
「タㇰトリタン」の辛さと美味さは、寒さでこわばった体をほぐしてくれる。それどころか、寒さでやりきれないような気持ちまで、あたたかくしてくれるような気がした。
食べ始めて少しすると、顔から汗が出てきて、ハフハフしながらジャガイモを食べていたことが今でも思い出される。
忘れられない韓国料理である。