踏切で通過列車に飛び込んだ話

タイトルの通り。私は電車が迫る踏切に入り、電車と正面衝突し、人身事故を起こしました。

これはその事故から現在までのお話です。



はじめに 

私はこの事故を起こしたことをとても反省しています。反省では許されないことをしたこともわかっています。

多くの方々に多大なるご迷惑をおかけしたこと、本当に申し訳ございません。

本題 

私は精神疾患を患っていて、常日頃から希死念慮に襲われては自殺未遂を繰り返しているような人間でした。

その日は大切な人との揉め事があり、もう頭の中が「よし、死のう」と染まり、家族や友人のことなど一切頭に浮かびませんでした。

そう思った時には、もう家をでて近くの踏切に向かっていました。夜0時あたりだったと思います。
部屋の片付けや遺書を書く、SNSに投稿するなどは一切しませんでした。今すぐ、すぐに死にたかったのです
失敗は絶対にないと確信していました。

気がついたら踏切の前にいました。どの道を歩いてきたのか、一切覚えていませんでした。
すぐに踏切が鳴り、バーが閉まりました。私は大切な人に一言LINEでメッセージを残し、スマホを踏切の隅に置いて、バーをくぐりました。
横で、「おいなんかやりそうじゃん笑」と笑っていた男性たちの声を覚えています。

右から電車が来ました。真ん中の通過列車だったので、少し歩いて電車の正面へ。大きなブレーキの音で、私の記憶は途切れています。


緊急処置 

目が覚めた時には、病院でした。身体中傷だらけだったので痛かったはずですが、痛いという記憶はあまりありません。
右目の上が切れていたらしく、入った砂利をとってもらっていました。ジャリジャリした感覚を覚えています。その他に、足の裏、膝、お腹、顎も縫合され、病室に移りました。


EICU 

病室は、EICUという救急の集中治療室でした。
体はというと、手足の切断もなく、脳の影響もなく、一生失うようなものは何もありませんでした。
大きな怪我は骨盤骨折、腰の骨の骨折、眼底骨折、頭蓋骨から顎にかけての骨折。のちに右肩の骨折も判明します。

骨盤は緊急オペが必要で、オペまでは身動き一つできず、オムツを変える際は3人がかりで体を横にしてもらっていました。骨盤の骨がずれて激痛でした。「体幹ログ」と言われていました。

右目は視界がおかしく、両目で見ることができませんでした。

EICUにはなにもありません。スマホ等の電子機器はもちろん、本やノートも禁止でした。

意識のある患者さんが少ないのか、テレビが3台しかないとのことでしたが、私はずっと使わせてもらっていました。中国のアジア大会を毎日楽しみに見ていました。おかげさまでアジア大会のある夜は退屈せずに済みました。(昼間の番組ってなんであんなにつまんないんでしょうね)

辛かったことは、便秘のため下剤や浣腸で便を柔らかくして、それをおむつにすること、3人いないとオムツが変えられないためそのまま30分我慢すること、お風呂に入れないことでした。

髪の毛はお湯で流してもらえるのですっきりするのですが、体はおしぼりで拭くだけなので辛かったです。

緊急オペからの一般病棟へ 

緊急オペは事故の3日後の予定でしたが、別のオペが入ってしまい一週間半後になりました。

家族に会えると聞いていたのですが、当日は家族に会わずそのままオペへ。全身麻酔は初めてではなかったのですが、起きれなかったらどうしようという不安でいっぱいでした。

手術室に入ると、なんやかんやあって、麻酔です。すっと意識が消えました。

起きたら、苦しくて仕方なくて、思わず麻酔科の先生の手をにぎってしまいました。麻酔科の先生が握り返してくれて、手をさすってくれたのが嬉しかったです。

苦しかったのは、呼吸のチューブが入っていたからでした。抜く時も苦しかった。。

そして酸素マスクをつけ、病室に戻りました。

手術の痕は、あまり痛まず驚きました。のちに知ったのですが、当初30cmほど切る予定だったのが、2cmほども傷3つで済ませてくださったそうなのです。そりゃ痛くないわけだ。お医者さん感謝。

そして、一般病棟に移ることが決まりました。



重傷個室 

一般病棟というので4人部屋かと思いきや、個室でした。家族は差額なしのベッドにしてたよな?と思い看護師さんに聞いてみると、重傷のため監視ができるナースステーション前のカメラ付きの部屋になったとのことでした。

スマホが解禁されました。しかしWi-Fiがない!!povo入れといてよかったです。データ無制限プラン、お世話になりました。

暇することはなかったのですが、右目は眼帯で、目がすぐ疲れるのであまりスマホは見ていませんでした。

最初のうちは、車椅子にさえ乗れなかったので、トイレは全てベッドの上でした。尿瓶、なかなか出ません。笑

車椅子に乗れるようになってからも、二人がかりで移動してもらって大変でした。

片足がつけるようになって、車椅子への移動が一人でできるようになったのですが、右肩が折れているので漕ぐことができず。。看護師さんにはたくさんお世話になりました。

そして肩と足に荷重がかけられるようになり、4人部屋に移動になりました。


退院 

4人部屋に移動してから、松葉杖で歩けるようになり、片松葉でも、ついには杖なしで歩けるようになりました。


当初、3か月ほどのリハビリ入院で転院予定だったのですが、先生が「これほど回復してるなら帰ろう」と言ってくださり、退院しました。


最後に 

EICUにいた間、またその後も、ひたすら今回の件について考えていました。

最初は、「なんで死に損ねたんだ」「死ねばよかった」「退院したら死んでやる」と考えていました。

でも、看護師さんやお医者さん、家族から「5体満足で、いやそもそも生きていたのは奇跡だ」と言われ、これは神様がもっと生きろと言っているのではないかと思い始めました。

まず、私はものすごい迷惑をかけた。なのに、病院の人たちのおかげで、手術代、入院代を払ってくれた家族のおかげで回復できた。この命は無駄にしちゃいけない。もう二度と自殺行為はしちゃいけない、しない。そう決めました。


辛いことはたくさんあります。また死にたくなることもあります。でも私は絶対に行動には起こしません。自分との約束です。



お読みいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?