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節目のごあいさつ、はしたい方です

年度末になりました。新しい出会い、出発がある季節。そして別れも。一旦の別れということもあるでしょう。門出には、ベタベタした関係の継続は無粋です。もしもご縁があるなら、その時に関係性が再開するものです。一旦切れてもいい。ご縁が復活する、そういう時もあるかもしれないから、節目のあいさつは、どちらかというとちゃんとしたい方です。

普段からあいさつのきっかけが欲しい方なのかもしれません。大したあいさつでなくても、しておいて後で良かったことが多いと思っている方なので。一声かけておく。今後何か必要なら関われればとも思うし、お世話になるかも。結局自分に返ってくることもわかっているから、きちんとしているというよりも、打算?少しズルいところがあるのでしょう。だから自分がしたいからやっているだけです。

考えは人それぞれなので「あいさつがない💢(=失礼だ!)」と思うことは(皆無に近いほど。絶対、と言い切ると嘘っぽいですね)ないし、人の行動は気にしません。それはこれまでの長い人生で、出会い別れさまざまな場面に遭遇してきて、結論として気にするところではないと思っています。自分がどうしたいか、だけです。どちらも尊重し、ニュートラルでいたい。ただ、「あいさつしたいと考える人はいる」という想像力のもと、生活しています。

年賀状もそうですね。年賀状を送りたい関係と、年賀状否定の人たち。そこを争うつもりはありません。私は今も年賀状を送ってはいますが、本当に数少なくなっています。送りたい人同士のやり取りで、これも自分が負担に思うようになったら、やめようと決めています。

昨日、担当している学生さんが、最後のあいさつにいらしてくれました。今、ちょうどそういう節目の時期です。1年間のコースが終わるところです。これからは各自の道に進むのですが、最後に、とわざわざ足を運んできてくれた。「あいさつをしたいと考える人」がいたということです。この日予定通り出勤していて良かったなと思いました。体調壊していきなり休み、という可能性もない訳ではないですから。経過はもちろん大事だけれど、最後もそれなりに大事。

ハンガリーに滞在していた時、駐在生活を終えて日本に帰るわけですけれど、去るときにお世話になった方にお声をかけ、直接会えなくてもお礼の言葉を言いました。ありがとう、楽しかったと。その数年後、期せずして再びハンガリー生活をすることになる訳ですけれど、あいさつをしていたから、現地に着いてすっと関係性を再開することができました。思いの外スムーズに。考えてみれば知り合いと言っても、数年会わないことって普通にありますよね。あいさつは、近況報告のきっかけみたいなものです。節目節目に近況報告としてあいさつしてあれば、万が一どこかでご一緒する時に「久しぶり!」で済むのです。

(30代の当時、「同じ地に二度目の駐在をした」方と知り合いになって、そういうこともあるのだと話を聞いていたからだったと、今思い出しました。私の行動はいろいろな方の影響を受けてできているということです)

こういう習慣ができていて、特にプライベートではあいさつに関しては似たような行動をする人が周りにいることに気づきます。程よい距離感でいられることが、精神的な豊さにつながる気がしています。ありがたい関係性です。

節目のあいさつ、したいけれどできないこともあるかもしれません。たとえば年度末にしそびれた時は、暑中見舞いあたりが次のチャンスです。後日のあいさつでもいいのです。その後は年末のあいさつ。お久しぶりです、と言うのです。結局は、いつでもいいのかもしれません。気楽でいい。今はLINEもありますし、スタンプでもいいのかもしれません。いろいろな方にお世話になったことを感じる3月、年度末です。


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