生きる実感を得る時代
こんにちは。
バドミントンサイト『バドチュー.NET』を運営している齋藤です。
新型コロナウィルスでスポーツ界は大きな打撃をうけています。
各種プロスポーツが開幕できず、学校の部活は当然のように自粛。
さまざまなイベントや大会が中止決定との情報が入ってきます。
私もスポーツに携わる仕事を多くしており、流行の情報が入り始めてすぐに
「これは仕事に直接影響がでるな」
という予感はありました。
しかし、そのころからうっすらと新しいチャンスにもなるのではないか?
との予測もありました。
予測が「スポーツは今後、確実に見直される」ということが整理できてきたのまとめていきます。
見直されるスポーツの価値
今回、スポーツとしていますが、スポーツに限らず文化芸術活動や趣味も含まれると考えているのですが
間違いなくこれらの「価値が見直される」と考えています。
ではなぜ、「価値が見直される」のでしょうか。
結論からお伝えします。
それが、「生の実感」ということだと考えます。
生の実感が欲しい
今、私は生きています。
感染症の影響により、私自身の経済活動は、ほぼほぼ停滞しています。
このまま、補償がなければ間違いなく・・・。なわけですが、
仕事もできない、バドミントンもできない、人と気軽に会えない。
それでも、生きているわけです。
「生きていながらできることが制限されるというのはどんなに苦しいことか」ということを感じているのはわたくしだけではないでのはないでしょうか。
私自身、生きていて体も頭も元気で時間もある。
だけど自分のやりたいことをすることができない。
このストレスたるや。このストレスの正体それこそが「生の実感」なのではないかと思うのです。
ドキドキとワクワク
「生の実感」はまさにドキドキとワクワク。
それは体と心と両方。
運動すれば心拍数が上がるので「ドキドキ」しますよね。
でもこの運動だけの「ドキドキ」では足りないのではないかと思うのです。勝負に対する「ドキドキ」仲間と会える「ワクワク」考えだしたらきりがないくらいのドキドキとワクワクがあるのではないでしょうか。
つまり、スポーツ、文化芸術そして趣味にはこの「ドキドキとワクワク」による生の実感があるわけです。
生きるためにスポーツは必要ない
コロナウィルス流行の兆しを見たときにスポーツ界は厳しいなと感じたのは
「生きるためにスポーツは必要ない」
と認識されているからだ。
生きるために必要と認識されているものはなんだろうか?
衣・食・住?経済を回すこと?仕事をしてお金を稼ぐこと?
生きるために必要と認識されているものの中に、スポーツはきっと入ってきていません。
実際スポーツ関係は真っ先に自粛対象となっています。
これが今までのスポーツに対する認識です。
当たり前が変わること
今回のこの期間、多くの認識が変わることになりそうです。時間労働、オフィスへの通勤、お金を稼ぐということ、生きるということ。
今まで「当たり前と思ってやってきたこと」実はいらないことだったのかもしれません。もっと少なくても生きていけるのでは?
今まで「当たり前と思ってやってきたこと」ないと生きていくことがとても苦しくなることかもしれません。生の実感を得るために大切なのでは。
アフターコロナと呼ばれる時代、そこには「生の実感」がとても大切にされる時代になっていくのではないでしょうか。
その時代にスポーツそしてバドミントンはどのような存在になっていくのでしょうか。
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