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宇佐江みつこ物語

はじめまして、宇佐江みつこと申します。

プロフィールを開いてくださり、ありがとうございます。noteを始めるにあたり、皆さまに私のこれまでと、今いちばん欲しいもののお話をします。お好きな飲みものを片手にのんびりと読んでくだされば幸いです。

【1.美術大学卒からの一般企業へ就職】

私は1985年名古屋市に生まれ、そのまま名古屋で育ちました。いわゆる「絵を描くのが好きな子」で、放課後自宅に帰ると夕方放送のテレビアニメを見ながら、オレンジ×黒柄のスケッチブックになにかしらいつも描いていました。高校受験の時、寛大な母から美術科という選択肢を知らされ、そこから専門的に美術を学び始めます。石膏デッサンや油絵を描く日々であっという間に今度は大学受験。画塾にも通い始め、益々制作漬けの日々を経て金沢美術工芸大学(石川県)の油画専攻に入学しました。ここで人生初の引っ越しを経験し、かの有名な兼六園の近くにあったアパートで4年間暮らすことになります。

大学在学中は油彩を専門として学びながらグループ展などを開催しつつ、興味のあった文章を書いたり、イラストを描いたりもしていました。しかし、いずれの道でも目に見える実績を残せないまま卒業を迎えて、社会人になるにあたり「一度美術と離れた環境に行ってみよう」と急に思い立ち、慌ただしく就活を始めて縁もゆかりもない一般企業へ就職することに。居心地の良かった金沢の八畳アパートを空にして、私は当時飼っていたハムスターと一緒に故郷・名古屋へ戻ってきました。

【2.憧れの職場と、焦り】

社会人になったあとは、ひたすら会社に捧げる時間が長くなりました。卒業以来油絵の画材には手を触れず、もっぱらイラストや文章などを細々と続けていたのです。しかしオーバーワークもあってその制作すらも次第に遠のき、自ら選択したはずの美術から離れた環境で生活をしていることの虚しさを悟って、社会人5年目に募集を見つけた美術館の仕事へ、思いきって転職します。

そこは、高校の頃から憧れていた私の大好きな岐阜県美術館でした。通勤時間は片道1時間半でも、毎日好きな場所で好きな仕事ができる喜び。ところが同時に、作品発表の最前線で多くの作家さんたちのパワーを間近で浴びるうち「自分もなにか形になるものを、一刻も早くつくらねば」という今までとは次元の違う焦りが募りました。


【3.ミュージアムの女、誕生】

あるとき美術館の広報担当者がふらりと私のいる受付にやってきて、「美術館のSNSのフォロワーが、なかなか伸びないんやけど」と愚痴り始めたと思ったら
「あなた、なんか、書いてみない?」と言い出しました。
それまでは主に学芸部職員が書いていたのであろう美術館SNSの内容を、当時私は見たことがありませんでした。なぜなら、私の携帯はガラケー。「つぶやく」や「なう」の意味すらもベールに包まれた状態です。

つぶやくとは…なんぞや。

机に向かい私は腕を組みました。文章ならば素晴らしい学芸員さんたちの書くものにかなうはずもないことは自覚していたので、よし、絵にしよう。と、考えました。
いや、考えたのでしょう。正直なところ、この時自分の中に何が生まれたのか記憶にないのです。ただ確かなことは、自分の描いたものが突然の4コマ漫画だったことと、それを恥ずかしげもなく件の広報担当者に翌日差し出したこと。内容は「合コンに行って自分の仕事が地味なことを切なくおもう美術館監視員…のネコ。」という奇天烈な漫画でした。しかもタイトルは『ミュージアムの女』。伊丹十三監督に影響されているのがバレバレです。
奇跡は、このあと起こります。

そのような問題作を、一瞬のためらいもなくその広報担当者は
「いいね!よし、アップしよう」と、足取り軽く学芸室へと持っていったのです。そのネコは、数時間後、世界に配信されてしまいました。

時が経ち、2017年9月27日。奇しくも私の32回目の誕生日の前日。
ふたたび奇跡が起こります。
あの日描き始めた4コマ漫画『ミュージアムの女』は、大変あたたかく皆様に受け入れていただき、ネコ監視係が勤勉に働くさまは続々と更新され100話を数え、ついにKADOKAWAさんの手により書籍化されたのです。
「どうか、いつか自分の描いた作品が本になりますように」。
本が好きで、自分の描いたものが―漫画でもイラストでも文章でもなんでもいいので―書籍化することを密かな人生の目標としていた私にとって、それはまさに「夢が叶った瞬間」でした。

【4.念願の書籍デビューを果たしめでたしめでたし。…ではなかった】

『ミュージアムの女』をきっかけに様々なご縁も出来て、知り合いの紹介で企業のホームページのイラストを描いたり、美術館関連のイベントにお誘いいただいたり、他の作品を描き始めたりと、枯れそうになっていた私の制作活動は徐々に潤いを取り戻しました。猫人間が登場する『ミュージアムの女』にちなんで、相手をネコ化して描く「ネコ似顔絵」も新たに習得しました。
ところが、ここで問題が発生します。

私の携帯はいまだにパカッと開く二つ折りのガラケーで、SNSも個人アカウントではやっていませんでした。連載を続けている『ミュージアムの女』の配信は美術館の職員にお任せしており、美術館とは別に作家として参加するイベント告知は個々の主催の方にお願いをしておりました。そのうち、活動は以前より精力的にやっているはずなのに、自分の活動がまったく線として伝わっていないことに気づきます。せっかくイベントのチャンスをいただいても、情報が行き渡らないので集客に結びづらく、お店側にも非常に面目ない状況が続きました。また、お客様の側から「今回は都合があわないんですが、次回の予定はどこでわかりますか」というお問い合わせをいただいても「ここを見てください」という私の主となる情報の発信地がない。作家としていわば「住所不定」の状態です。さりとて、大学卒業まで父のお下がりのワープロを愛用したり携帯も8年くらい使い倒さないと機種変更しないような私が、いきなりツイッターなどの高速文明を取り入れる自信など到底なく、どうしよう…と悩んでいたところへ、この「note」との出会いが待っていました。

【5.新しいおうちができました】

noteのことも、恐縮ながら、現時点でほとんどよく理解できていません。でも、なんとなく他の方の記事を拝見したりしているうち、noteの世界で流れる穏やかな空気のようなものを感じた私は、「ここなら、住めるかもしれない」と一歩踏み出すことができました。

おてもとの飲みものはもう空ですか。たいへん長い説明になりすみません。そのような次第で、私は自分にとってかけがえのない制作活動を継続していくためと、作品に興味をもってくださった方が気軽に情報を訪ねにきてくれる“おうち”を手に入れたくて、ここにいます。

なにとぞ、これからもお付き合いのほどよろしくお願いいたします。


宇佐江みつこ

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