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猫可・風呂別・5万円台ー今日も私服がネコの毛まみれ⑥ー

数年前。訳あってトムとジェリーを抱えて部屋を探さねばならなかった。
「猫可、家賃5万円台、風呂トイレ別」が私の最低条件だったのだが、不動産屋さんをいくつか回るうち、「猫可」物件の少なさを痛感した。

最初に内見させてもらった部屋は一見小綺麗だったが、部屋の広さに見合わない特大テレビがこれ見よがしに備品で置かれていて、何だか怪しい感じがした。「ベランダもあるんですね」と窓に近づくと、ぎょっ。ベランダが鳩の糞まみれ。エアコンの室外機以外、汚れが重なりすぎて床の色も見えない。
「あっ、こちらは事前に勿論、きれいにしておきますんで」
サラッと言われたが、ええ…?鳩の糞って確か害があると聞くのに、こんなものすごい状態を放置しておいて後から掃除とかそういうレベルじゃないのでは…。
その他の条件は悪くなかったが、後日断わりの電話を入れた。「大家さんが今なら備品で置いてあるテレビを付けますとおっしゃってますが」と引き留められたけれど、そんな無理やりなサービスを提案されて逆に引いてしまった。

別の不動産屋さんに案内された物件は、繁華街にほど近い、立派なオフィスビルの上階にある部屋。夜に内見に行ったせいもあるが、なんだか素性の良くない人が住んでいそうでこわい雰囲気だった。帰りの車で、「なんか、夜の街に近い場所って、帰りも人通りがあって安心な反面ちょっとこわいですね…」とぽつり感想を漏らすと、
「そうですね…」と同意されてしまって(おいおい素直な人だな…)と、まだ入社間もなく見える若い不動産屋さんを横目に見て途方に暮れた。

世は空前の猫ブームと言われ久しく、飼育数も犬より猫が上回っているとニュースでもきいたのに、この現状はどうしたことだろう。

「昔は猫より犬の方が大家さん嫌がったんですけど、最近は逆なんです。実際、猫の方が物件を傷つけちゃう事例が続いたもんですから」
5軒もの不動産屋を巡り、私もようやく理解した。「猫可」という条件がつくだけで選択肢は格段に狭くなる。同じような広さでも家賃が6万円以上に吊り上がったりだとか、無駄に3部屋も和室があるような古めかしい部屋だとか。築浅で「あっ、良さそう」と内見に行くと、大学時代の部屋より窮屈なワンルームでおまけに1階がインドカレー屋。スパイスのむせかえるような匂いをかぎながら、「どうしよう、毎日このカレーの匂いを嗅いで暮らさなけらばならなくなったら…」と自分の将来を悲観した。

ほんとをいうと「猫可」だけならばもう少し選択肢はあった。しかし、よくよく見ると「猫可(1匹)」という制限があるものがほとんど。確かに猫は無茶な多頭飼いをしてしまう人もいるけれど、私の場合は2匹。たったひとりぶんのオーバーならばどうか大目に見て欲しい。

カレーの匂いがまだ鼻に残ったままのテンションで不動産屋へと戻る車中、「あっ、そういやこの辺…」
と運転席の不動産屋さんがふいにつぶやき、電話を1本かけた。「あ、お疲れ様っす。○○てさ、こないだ空いたよね?クリーニング終わってる?」初対面の時、どことなくモッサリしてやる気なさげだけれどやる時はやる感じの雰囲気がO美術研究所のG先生に似ている…(『ArtとTalk』②③参照)と感じていた不動産屋さんの横顔を(顔もどことなく似ている…)と思いながらぼんやり見つめていると、
「まだお時間ありますか?良かったら、先日引っ越しされたばかりの物件がこの近くにあるんで、行きましょう」と、車がUターンした。

小綺麗で世帯数も程よい数のこじんまりしたアパート。近くにスーパーもドラッグストアもコンビニもあって、大通りにも近い。中に入るとキッチンのついた部屋の奥にもう一部屋独立してあって、何より窓が沢山あるのがいい。
「空いたばかりでまだ情報出してないんで、候補の中に入れてなかったんですけど、来週あたり出します」
「猫は大丈夫ですか?」
「はい、電話で大家さんに聞きましたけど、2匹でも良いそうです」
「お家賃いくらですか?」
「共益費込みで5万。あ、水道代も込みで。」
即決した。


初めて新居に連れてきた時、トムとジェリーは最初こそ戸惑いの表情を浮かべつつも、すぐに部屋に慣れた。
どういうわけかやたらと押入れに入りたがるので、はじめは都度捕まえてつまみだしていたが、2日目には私の方が根負けし、押入れの中身をトムジェリが遊んでも大丈夫なように整理した。
猫を抱えての借家は心臓に悪い。
あれだけ苦労して見つけた物件なだけに、引っ越し初日の夜は目を閉じてからも暗闇をうろつくトムとジェリーの一挙手一投足にヒヤヒヤして、眠りが浅かった。壁で爪とぎはあまりしない代わりに、窓枠にジャンプする際爪を立てる壁がすぐささくれた。これ以上酷くならないうちに、剝がせる厚手の壁紙を買い足して、心配なところ全てにあてた。

現在、まだあの家賃5万の部屋に住んでいる。運命的なタイミングで手に入れた物件は想像以上に住み心地が良く、快適だ。
当初、台所のある部屋に敷いていた毛足の短いジョイントマットは、ふたりが毛玉やごはんを吐くたびに掃除するのが手間で、ついに去年取り払った。
ソファーの下に敷いていたキルティングも、同じく度重なる掃除や洗濯に嫌気がさして先日処分した。今ではすべての床がすっきりとフローリングが見えていて、掃除がしやすい。冬場は少しばかり見た目に寒々しいが、猫と暮らす限り、オシャレなカーペットのある素敵なお部屋を私は喜んで諦めよう。

ひとりで暮らすには充分な広さだけれど、トムとジェリーが毎日を過ごす空間としては退屈だろうか、と時々思う。
たまの冒険が押入れかトイレ(なぜかトムが好きで自ら背伸びしてドアノブを開け入る)だけなんて、不憫なような気もする。
けれどふと、仕事に集中して机に向かっていると、さっきまで別の部屋にいたはずのトムがいつのまにか隣で寝ていて、ジェリーはどこか探すと、背後の棚の上で丸くなり私の頭上に居たりする。

どれだけ広い部屋になってもあんまり関係ないのかもしれない。





今週もお読みいただきありがとうございました。あれから数年経っているので、世の中の猫可物件は少しは増えているかもしれません。もし、これを読みつつ猫物件を探している人!言うまでないですが和室はやめた方が良いですよ、畳も襖も、えらいことになりますから…(経験済)。

◆次回予告◆
『おでかけがしたい⑥』自粛は続いているけれど、そろそろ心の限界。近所を散歩するだけでは憂鬱が晴れない。バーゲンに行く元気もない。夏。雨期。ゆっくり過ごせる非日常の空間…。次回、まるごと1日水族館編。

それではまた、次の月曜に。


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