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アクセス不便な美術館、困る。けど好き。ーArtとTalk㊹ー

皆さんこんにちは宇佐江です。
今回は、岐阜県の「東濃とうのう」と呼ばれるエリアにある美術・博物館を巡ったお話。
ほんとは「ハシゴ旅シリーズ」の岐阜編にしようかと思ったのですが、同僚に話したら「あんな不便な土地で1日にそんな行ったの?!」と驚かれるほど中々に過酷な行程でして、おすすめ旅としては少し悩むので、番外編として書きます。

ほんとにもう、美術館ってヘンな場所にあって困っちゃうんだが、やめられない。
それでは参りましょう~!

(書かれた情報は公式のものとは一切関係なく、宇佐江みつこ個人の体験による感想です。本文はエッセイ形式でお送りします。)


①市之瀬廣太記念美術館(瑞浪)

渋さが素敵な佇まい

県外の人にはあまり馴染みのない名称だが、岐阜の人は県内をエリアに分けて呼ぶことが多い。今回訪れた瑞浪みずなみ多治見たじみ、その先の恵那えな中津川なかつがわなどはまとめて「東濃」と呼ばれる。(他には西濃せいのう中濃ちゅうのうなどもある。)

まず私が降り立ったのは瑞浪駅。
名古屋からJR中央線1本でつながっており、1時間弱で着くので「駅までの」アクセスはけっこう便利。けれど問題は、駅から一歩出たら。
目的の美術館は山の方にあるのだが、まず、そちら方面に行くバスが存在しない。そしてタクシーもいない。
待てども待てども空っぽのロータリーから、案内板に書かれたタクシー会社3つ全てに電話をかけてみるも「今生憎全部出払ってまして…」。
ちょうど、私と同じ電車で瑞浪に着いた喪服姿のグループが同様にタクシー会社に電話して、同じく途方に暮れていた。

……歩くしかない……。


こんなこともあろうかと一応地図は調べて来た。しかし、街中と違い目印になるような交差点とか、お店とか、看板とかがほぼ無い。梅雨の晴れ間の炎天下。日傘も帽子もないノーガード状態で肌をひりひりと焼かれつつひたすらに歩く。地図を頼りに進むうち、私有地なのではと心配になるような、家と家との細~い道を過ぎ、やがて、トトロと出会ってしまいそうな景色へと足を踏み入れた。

「大丈夫。道は合っている。」

なんの根拠もないが無理やり自分に言い聞かせ、さらに進むと、薄暗いトンネル登場…。こ、怖い。ドラマでこのトンネルが出てきたら絶対誰か怖い人が主人公サイドの仲間をボコボコにする場面に違いないというような、迫力満点のトンネルを恐る恐る進む。

その先に…。

あ、

あったあああああああ!!
ちゃんと着いたああああああ!!

駅から徒歩35分だった。この紫の看板に出会うまでは一切看板がなかったので、やはり、歩いてくる人などいないのだろう…。
美術館と陶磁資料館と化石博物館の3館共通券というのがあったのでそれを買い(500円)、それぞれにコンパクトな施設をじっくりと見学した。そしてまた、片道35分かけて歩いて瑞浪駅に戻った。

夏が似合う瑞浪の景色


②岐阜県現代陶芸美術館(多治見)

多治見のスカイ・ブルー

瑞浪から多治見へ電車で戻り、そこからコミュニティバスに乗る。ふだんは美術館に行くのは平日と決めているのだけれど、この日あえて土曜日に行ったのは、このバスが土日しか運行していないからだ。

以前も訪れた岐阜県現代陶芸美術館は、「セラミックパークMINO」の中にあるのだけれど、このロケーションがまた、景色が美しい反面宇宙船が降り立ちそうな山のてっぺんにポツンとある。駅からタクシーで10分とは思えないほど別世界。とてもじゃないが、ここまで徒歩は、私も無理だ。

滋賀でも観たリサ・ラーソンの巡回展を岐阜でもう一度観たくて無理やりこの日に加えたけれど、やはり、帰りのバスは時間が合う便がなく、タクシーのお世話になる。今度は2社目の電話で運よくつかまった。
多治見駅へ戻る道中話した運転手さんによると、瑞浪も多治見も、タクシーがつかまらないのは利用者が少なすぎるために元の台数を減らしているからなのだそう。
「コロナもあって、ここ数年でぐっと減ってしまいましたよ」。

そうかあ…。
そうだよなあ。
バスだってタクシーだって慈善事業じゃないのだし。
でも、誰でも車の運転ができるわけじゃないし、美しい美術館ほどどうしても、街から離れた場所にある。なんとか最低限の交通手段は残しておいて欲しいなと願う。でないと、余計に人が来てくれない。

陶片が散りばめられたおしゃれな天井
(セラミックパークMINOのロータリー)


③スペース大原(多治見)

最寄の小泉駅

最後に訪れたのは、多治見駅から太多線に乗り換えた次の駅。ここは、美術館ではなくて古民家をリノベーションしたギャラリー。大好きな彫刻家・天野裕夫さんの個展が開催していたので寄り道した。

なんとも古くて赴きある小泉駅から徒歩10分、緑豊かな民家の並びにひときわ美しい平屋屋根がみえた。

摩訶不思議で凛とした、透明でいてかつチャーミングな。そんな言い尽くせないほどの魅力ある作品を生み出す天野さんは、瑞浪市の出身。実は1つ目に訪れた市之瀬廣太記念美術館も天野さんの個展を観に行ったのだった。そこで、挨拶文にこのような言葉があった。

『山の上の小さな町から、東京へ行って彫刻家になるんだと思い定めて45年、いつかは故郷に帰ると思ってきましたが、来春やっと想いが遂げられます』。


今後は瑞浪のアトリエで彫刻をするという天野さん。
スペース大原の庭に面した戸は開け放たれていて、中にいる彫刻のうさぎたちが、じっと外の景色を見つめている。同時に、その景色の中に彼らが力強く存在しているのを感じた。

その光景はあまりにも美しかった。

この美しさは、この土地の中でしか観ることの叶わない美しさだ。もし同じ作品を都会の駅近でアクセス抜群な美術館で展示をし、沢山の人の目に届いたとしても、今私が観ているこの美しさより半減しているに違いない。
出かけなけらばならないのだ。

どんなに不便であろうと、苦労をしようと、
作品は作品の在るべき場所が在る。それが鑑賞者にとって常に便利な場所であるとは限らない。いつでも、どこで見ても印象の変わらない作品なんてこの世に無い。場所があっての美術なのだ。



1日歩きどおしで疲れた。

汗もたくさんかいて上着は不快にも体にはりつき、化粧もドロドロで気持ち悪い。なのに、ああ、来られて良かったなと思ってしまっている私は、また次回も、不便な場所へとのこのこ出かけて行くのだろう。





今週もお読みいただきありがとうございました。
皆さんは、不便だけれど大切にしたいものはありますか?

◆次回予告◆
「思い出ごはん②」はじめて食べた味。

それではまた、次の月曜に。



*今回訪れた施設↓


*宇佐江みつこの美術館めぐり。その他のお話はこのような↓


*美術館の話の他にもいろいろアート。その他はこちら↓





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