見出し画像

文章を書くということ。

先日、とあるテーマで文章を書く依頼をいただいた。『ミュージアムの女』の書籍でコラムページを少し書かせてもらったものの、漫画とセットではなしに文章だけを寄せるのは初めてで、ものすごく身構えてしまい、たった2000字弱の文章をちっともまとめられなかった。今ようやく、提出が出来てほっとしているところである。

「宇佐江みつこ」としての活動の原点はもちろん『ミュージアムの女』から始まる漫画なわけで、そこから徐々にイラストも少し描かせていただいたり、最近、このご時世によってご無沙汰しているが似顔絵なんかも描かせていただいている。このnoteではエッセイと称して文章をいくつかあげているけれど需要があまりない気がするのは自覚している。けれど、書かずにはいられないのである。

私はもともと、文章に対する憧れがものすごく強かった。始まりは恐らく中学の同級生Nの影響だと思う。時代が変わっても同じなのではと思うが、クラスの文系女子のグループあるあるで、漫画だったりイラストを好んで描いたり見せ合ったりする、まさに私はそんなグループの一員だった。その中で、唯一「文章」を武器にしていたのが、同級生たちより少し大人びた風貌と考えを持つ、Nだった。萩尾望都先生と竹宮惠子先生をこよなく愛すNはいわゆる耽美的な文章が得意で、彼女が描く小説は、当時の私には出版されても大丈夫なレベルに思うほど完成されているように映った。

中学卒業を待たずに他県への引っ越しでNとは距離が離れてしまったが、反対に、Nがそばにいなくなったことにより、気後れをせずに私は自らも文章を書く楽しみに目覚めた。高校は美術科に在籍していたが、絵の課題提出と同じかそれ以上に気合を入れていたのは、年に2回ほど開催された校内の読書感想文コンクールだった。そこで、私は佳作をもらったのである。
高校生の読書感想文なんて、大概の生徒は面倒くさいとしか思っていなかっただろうし、けれど生徒数だけは結構なマンモス校だったので、分母の大きさを考えると私は賞をもらったことに舞い上がった。そして、一度賞をもらってからはもっと上を目指したくて張り切り、その後も2、3回何かの賞をもらったような記憶がある。ちなみに最初に賞をもらった時選んだ題材は宮部みゆきさんの『模倣犯』だった。

大学に行ってからも私の文章熱は冷めなかった。受験を経て予定どおり美大に進み、けれど入学当初はなんだか気が抜けて制作にまったく身が入らず、アトリエで裸婦デッサンを描きながら、早くアパートに帰って書きかけの文章を、具体的にはワープロ(父から譲り受けた当時の宝物)を打ちまくりたいとじりじりしていた。しかし文章、と言っても小説はなかなかうまくいかなくて、もっぱら私が書いていたのは自分の回顧録や日記ばかり。初めての一人暮らしの淋しさも手伝ってたいして面白くもない1日を大学ノート4ページにも渡る長文で記録したりしていたのだから、今考えるとよっぽど暇だったんだろうと思うが、とにかく「書く」ことが自分を発散させる最善の方法だった。(これが、「描く」の方だったら私は今頃もう少しまともな絵描きになっていたのではと思うが、高校、大学を通して「描く=勉強、課題」の意識が根付いてしまったため、発散とは程遠い代物になってしまったことが残念である。)この「文章熱」は公募などのまともな方向には結局発展しなかったが、美大のエッチング授業をさぼった時に未完成の作品とともに「なぜ私が今回の課題を完成できなかったか」を切々と記したレポートを提出したところ、後日校内でばったり会った担当教授から、「あのレポートすごく良かったよ!他の学年の子にも見せたいんだけどいいかな!?」と握手されんばかりの情熱で受け入れてもらったという、不思議な感性の人が集まる美大ならではの恩恵を受けたことがある。(単位も勿論もらえた。)

社会人になり、日記を書く余力もないほど忙しく働いていた会社員時代。やたらと努力目標やら感想やらを書かせる社風だったため、他の社員が苦心して短文で済ませるなか、私だけがいつも用紙の記入欄をはみ出すほどにびっしりと書き込んでいた。反対に、端的に書かねばならないタイプの報告書は苦手だった。それは今も同じで、伝達事項を短文で的確に済ませられる人がすごく羨ましい。

20代後半はあまり文章を熱心に書いていた記憶がないが、それでも、人生に迷うとき、私は誰かに話して相談するのではなく、パソコンのwordを開くのだった。手書きで日記を書くこともあったが、たいてい悩み事を書くときはばーーっと気が済むまで気持ちの全てを書ききってしまうと、そこで気が済むので、一気に消去できるwordがとても便利なのである。一時、本当に気持ちが病んでいて、誰かに話を聞いてもらいたい、でも誰に相談しても角が立つ…という状況のときは、文章の中で一人二役を演じたこともある。相談者というテイの私が、心の相談室的なカウンセラー役の人に会話形式で自分の悩みを打ち明けていき、そのカウンセラー役(それもつまり私)が「そうね。わかる。そう思うのも仕方ないと思いますよ。」と答えていくという地獄のような文章である。今思うと恐ろしいが、当時はこの仮想のやりとりが自分の心の拠り所であり、正気を保つ唯一の方法だった。



こうして、振り返ってみるとなんだか執念深い文章への愛だが、しかし大人になり、他の人の文章を読んでいるとプロ・アマ問わず皆本当にうまくて、自信が持てない。これまで書いてきたものはあくまで自分のためだけの自己満足の文章だったので、誰かに公開することを前提で書く、または、何かのメッセージを含んだものとして客観的に成り立たせる、という事が難しくてたまらない。そうしたことに少しでも慣れたくて、noteでも文章をあげ始めたというのもある。語彙も乏しく言葉遣いや国語の基礎もあやしい私が、他人様にみせるような文章を書いてよいのだろうかと不安になる。
絵の基礎は、学校で学んだ。
漫画は描きたいものさえあれば、表現は自由にできる。
なのに言葉は、日常的に話して、聞いて、読んでいるのに、どうして未だに日本語がうまく操れないのだろう。自分の書きたいことが書けないのだろう。
そうして悩みながら書いた冒頭の原稿を、いつも私の漫画をチェックしてくれている美術館職員に見せたとき、こう言われたのである。

「なんか、宇佐江さんの書く文章って、90年代の香りがしますね。こういうの私、好きです」

がーんと衝撃を受けた。最初は「えっ、古臭いってこと?」というネガティブな印象で受け取ってしまったが、次第に冷静になると、「あっ、そうだ。私、だって80年代から90年代にかけてのものが大好きだもの。絵柄だってなんかそんな古臭い(レトロでは決してない)感じだし、そういうのが好みだし」と、だんだん嬉しくなってきた。

自信はまだ持てないけれど、絵を長く描いていくことで自分っぽさが出始めるように、稚拙ながら文章もだんだんと、知らぬうちに私の雰囲気がにじみ出ているらしい。「上手下手」ばかりを意識していたけれど、文章だって表現方法のひとつなのだから、書く内容のレベルだけでなく、言葉づかいひとつでも、伝えたいと思うものが表現できていけるようになりたいと今は思っている。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?