平和を願う気持ち🕊
YouTubeで黒柳徹子さんが
戦時中の話をしているのを聞いて
ふと母方の祖母の逸話を思い出しました
母が亡くなった後に
伯父や伯母から聞いた
終戦に近い頃のお話……
⭐︎
当時は横浜市の保土ヶ谷
というところに住んでおり
その敷地内に焼夷弾が落ちてきた
祖母はその焼夷弾に布団を掛けて(←!!)
子供たちを守ろうとした
私の母は5人兄弟の末っ子、
伯父や伯母もまだ小さかったので
当時の詳細な記憶は無いけれど
祖母のその姿を見て幼心に
「母は強し!」
を実感したのだという
調べたら焼夷弾というのは
対象物に着火する目的で作られ
当時の日本の木造家屋を燃やすために
米軍機が多く使用した爆弾(兵器)の一つ
とのこと
⭐︎
黒柳徹子さんのお誕生日は8月9日
長崎に原爆が投下された日
ということを考えると
その日に自らを祝うことは
しないようにしていると仰っていたのが
とても印象的でした