怪物 を観てきた

ネタバレ感想です。
















CMから「怪物だーれだ」っていうテーマが明示されていて、やっぱりその問いについて考えさせられる映画なんだろうというのが第一印象で、見終えてからもその印象は変わらなかった。

で、見終えた今、「怪物とは○○である」という問いの○○を埋めてみようとすると、複数の回答が思いつく。

①僕
②すべての人々
➂世界の仕組み

①僕について

「怪物」という赤い字のタイトルロゴを観て、怪物誰だ、と怪物を見つけてやろうという気持ちで映画を観始める。それで、何度かキャラクターに対する印象が変わって、そのたびに、ああ、歪んだ先入観の物差しで怪物探しをすると、俺が怪物になってしまうんだな、と思わされた。

例えば、主人公の麦野くん。
序盤は、いじめられっ子に見えてた。靴をなくしたり、砂利入りの水筒持って帰ってきたり、突然髪を切ったり。髪を切った理由は、序盤の段階では、いじめか何かで不揃いに切られてしまった髪を自分で整えようとしたのかなとか、そんなような予想をした。
それで、瑛太演じる先生が出てきて、ぼそぼそしゃべるこの人、印象悪いな、なんで謝らないんだろう、ムカつくな、と思う。校長先生も、魂が抜けたようで腹が立ってくる。この段階で、まんまと安藤サクラ演じるお母さんの視点にかなり自分を重ねながら物語に入り込んでしまっていたと思う。

お母さんは、「地獄ね」みたいなセリフからも、「お母さん」のイデアからは若干離れてて、でも確かにこういう人居そうだな、というリアルなラインの人物に思える。クリーニング屋の、恐らくパートとしての収入だけで、こんないい部屋住めるくらい稼げるんだろうか、とか気になっていたはずなのに、「豚の脳」というセリフが強すぎて、そのセリフに乗っかった怒りが強すぎて、いつの間にかそういう違和感を忘れて感情移入してしまう。

それで、中盤、星川くんが出てくる。振り回す笛の音は、冒頭でチャッカマンを持っていた人影を思い出させる。この子が火をつけたのか。あまりにニコニコしすぎていて、怖い。何かを気にするように横目に麦野母を見ながら水を飲むシーン、怖い。この子が何か麦野君に対してとんでもないことをしていて、麦野くんはそれを言えずにいるんじゃないか、と思う。最初の「怪物だーれだ」も怖い。トイレに閉じ込められているときのセリフじゃないだろ、と思う。

中盤、その予想に少しずつ違和感を抱き始める。麦野くんはいじめられておらず、星川くんがいじめられている。何なら、麦野くんの方がいじめに加担していて、加担しきれなくなって暴れて、という流れ。靴も本当に貸してあげただけだった。むしろ仲が良いくらいで、つまり星川くんはいじめっ子ではなかったのか。だとすると、麦野くんは何に苦しんでいたのか。

この当たりで、髪を切った理由は、罪滅ぼしの意味を持っていたのかも、と思い始める。そういえば校長先生も、こびり付いた汚れを一生懸命落とそうと掃除する人として描かれる。この作品のテーマはそういう罪の意識で、怪物とは罪を犯した人のことなのかも、と思う。友達を裏切るようなことをしてしまった麦野くんが、自分で自分を許せずに、自分の罪悪感を洗い流すような意味で、髪を切っているのかも。そう思うと、生まれ変わりについても納得ができるか?

先生についても印象が少しずつ変わる。誤植を指摘することを趣味にしている人、と思うと嫌な人に見えていたのに、子どもたちへの言葉のかけ方はひどく優しく、温かく見える。「豚の脳」って言いそうだな、とも、言わないんじゃないか、とも思えてくる。

「怪物だーれだ」が、怖いセリフじゃなかったこともわかってくる。このフレーズは、犯人捜しをさせるような言葉なんかじゃなく、親しい友達にだけ通じる秘密の合言葉だった。

終盤、最初はあんなに共感できた母親に、「まあまあ落ち着いて」と言いたくなる先生の気持ちがわかるような気がしてきてしまう。麦野くんが髪を切った理由は、罪悪感も一部にはあるのかもしれないけど、罪悪感と呼ぶには悪でなさすぎる感情なんじゃないか、と気づかされる。そんな麦野くんに、お母さんは悪気なく「普通」と言い、先生は「男らしく」と言う。星川くんはビルに火をつけたかもしれないという意味では確かに怖い。でも、もし父から何らかの暴力を受けているのだとしたら、しかもその暴力には何の根拠もないのだとしたら、それで「怖い」と思うなんて適切だろうか。むしろ、彼は純粋すぎるだけで、その純粋さを信じられない僕が臆病なだけだったのではないか。不安な怪物の声のような音は、実は誰にも言えない思いを叫ぶラッパの音だったとわかる。誰にでも手に入るものが幸せだと強い言葉でいう校長は、言うほどその言葉を信じていないように見える。嵐の朝、濁流を見つめる校長の表情は危うい。


ラストシーンで、「良かった」と何でもないことのように言う星川くんのセリフが胸を突く。

怪物がいると思うと、誰かが怪物である証拠を探していくらでも怪物を作り出せてしまう。だとしたら、怪物は僕の頭の中にこそ住み着いているのでは?怪物とは、僕なのでは?


②すべての人々について

でも、僕が怪物を作り出してしまうのと同じように、多くの人は、自分の中で怪物を作り出してしまうのではないか。誰もが誰かを怪物にすることができる。誰でも、誰かの怪物であり得る。

だから、怪物とは、すべての人々である、と言えるかもしれない。




➂この世界の仕組み について

「怪物だーれだ」と二人で遊ぶ麦野くんと星川くんのゲームのように、自分がどんな怪物であるか、自分ではわからないかもしれない。自分がどんな怪物であるかを確かめるためには、自分がどんな怪物なのかという情報を、他人を通じて確かめるしかない。

だけど、他人を通じてしか得ることのできない情報は、他人の目を通した情報であって、真実ではない。真実を手に入れてからでないと、自分がどんな怪物かを把握できないし、誰もが怪物であり得る。でも、真実を一度に把握できるのは、神みたいな一つ上の次元の何かであって、人間にはすべての事実にアクセスする能力も、その事実を客観的に認識する能力もない。

こういう、神の視点で物事を見る態度についても、作品の中で示唆する描写があったように思う。麦野くんがトンネルの中でスマホのライトを振りながら歩くシーン、一瞬だけどゴースト(反射光)がフレームに映りこんでいる。これだけ緻密に作られた映画で、あえてノイズになるような何かを映像に残さないのではないか、という気がする。この映画自体、登場人物に感情移入しながら主観的に没入するための物語としてだけでなく、客観的に物語(を通して描かれる世界)の構造を観察するための箱庭でもある、というメッセージとして、あえてノイズが残されたようにも思えてくる。

一方で、映画の中でさえ、「先生は本当に『豚の脳』と言っていないのか」、「校長先生は自分で意図して孫を轢いたのか(というか、そもそも孫は本当に轢かれて亡くなっているのか)」、「星川くんは本当にビルに火をつけたのか」、「麦野くんと星川くんは同性愛者であったのか」、「星川くんの傷跡は父の虐待に依るものか」といった複数の疑問について、暗示はされていても、実は明示されてはいないという部分にも注目すべきだと感じる。さすがにそれは勘ぐりすぎというか、行間読めなさ過ぎじゃない?と思いつつ、一方で、行間を読むことで誤解が生まれるリスクが上がって、その誤解から新たな怪物が生み出されると思うと、むしろ行間を読まない方が適切なのかもしれないという気もしてくる。

こういう、すべての情報へのアクセスできなさ、現実をありのままに捉える難しさ(というか不可能さ)が、実は①や②の原因かもしれないと思い始める。怪物とは、そういうこの世界の仕組みなのかもしれない、と思えてくる。それを思うと、ラストシーンの「良かった」は、星川くんという人物の思い(物語の構成要素)というだけでなく、誰も怪物を倒せない、誰もが怪物でいるしかない世界をどうにか肯定しようとする祈りのようなものであるという気がしてくる。


なんていうことをずーっと考えながら観ていた。「僕が愛したゴースト」という打海文三の小説に少し似ていると感じたり、モチーフ的には銀河鉄道の夜っぽくもあるな、とか思ったりしたけど、そういういろんな情報の引き出しを次々開けるだけ開けさせておいて、思っていたのとは全然違う場所に連れていかれて、でもトータルでは何だか満足していて、という不思議な映画だった。ずっと考えながら観るしかないという意味で、緊張感があったし、少しミステリー的・娯楽的な要素も含んでいるようにも思えて、どういう生活を送ったらこういう映画を撮れるのか、脚本を書けるのか、と思う。音楽ももちろん素晴らしくて、体験したことのない夏の記憶でなつかしさを感じさせる精度を音楽が異常に高めていたと思う。

それから、個人的に、僕が映画を知らないだけかもしれないけど、電車の窓のカットは発明だと思った。雨が点々と当たる窓の上に泥がかぶさるとあんなに美しい模様になるのか、という素朴な感動があったし、拭っても拭っても泥をかぶって見えない窓の内側をどうにかのぞき込もうとする感じとか、泥を避けるとかじゃなく開けないとのぞき込めない窓をのぞき込もうとする人の鬼気迫る表情とか、色々象徴的な要素を含んでいるようにも思えて。

トータル、感動しました。



追記:子役のポテンシャルの高さについて書き忘れてた。本当にすごい。創作物であることを超越したメッセージを僕が勝手に受け取りすぎている部分もあるけれど、そういうメッセージを受け取った気になってしまうほど、媒介として彼らは完璧すぎた。柳楽優弥以来の逸材になっていくのだろうと思う。言うほど「構造を観る」みたいな客観的な観方ができていない当たり、僕はやっぱり怪物なんだけど、そりゃあ怪物になるよね、っていうクオリティでした。

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