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ひきこもり文学大賞応募作品「生命賛歌」

 これは遺書だ。
 人が自殺する前に書くアレのことだ。オレはこれから死ぬわけだが、面倒なことに遺書がないと自殺として処理されないらしい。
 別に他殺や事故死として処理されても構わないのだが、「この世界に生きる価値はない」というメッセージをこめるためには自殺でなければならない。

人生に失敗したのは小学校のときだ。それと同時に、人生の最盛期も小学校になる。
 オレは早くから不登校だった。昔から人見知りだったオレはクラスメイトに話しかけることができず、逆に話しかけられてもどもってしまい、うまく返せなかった。
 なんとか友達を作ろうと努力はしたが、うまく話せないことがネックになってしまった。
 そこから軽いいじめに発展した。幸いにしてカツアゲや殴られることはなかったが、無視されたり、靴を隠されたり、笑いものにされたりした。
 オレのどもり症は先生も知っていたが、「平等に扱う」という名目でみんなの前で問題の答えを発表させられたりした。
 先生本人にはいじめのつもりはなかったのかもしれないが、オレにとってはいじめそのものであり、本当にきつかった。
 そうして、やがて学校に行かなくなった。
 親は学校に行けとうるさかったけれど、布団から出ないオレに対して「きっと反抗期なんだ」と勝手に納得してくれたようで、次第に何も言わなくなった。

 一人で家にいる時間は、空虚だ。
 ゲームをしていても本を読んでいても、何もしていなくても罪悪感がある。とはいえ、学校に行くともっとつらい仕打ちが待っている。
 家にも学校にも居場所がない。
 最近は有識者が「学校に無理して行かなくてもいい」と不登校をすすめるが。責任を取ってくれるわけではないし、学校に行けないコンプレックスを解消させてくれるわけでもない。
 定期的に担任の先生が家にやってくるが、あるとき、「作文コンクールに出してみたらどうだ」と提案してきた。
 勉強っぽいことをすると多少は気が楽になったので、オレはそれにのった。その結果、受賞した。
 不登校のダメ人間でもやればできるとオレは自信を持った。何の取り柄もない学校の奴らより、オレのほうが遥かに上だ。そう思った。
 しかし、これが災厄の始まりだった。

 いざとなったら文章を書けばいい。オレには才能がある。
 不登校を続けながらずっとそう思っていて、休み休みではあるが高校を卒業した。その後、大学には進学せずに、本格的に文章を書き始めた。
 小説や脚本、漫才の台本、漫画原作、エロゲーのシナリオなどなど文章で表現できるものには片っ端から手を出した。
 ネットの友達に小説を見せてみると、そこそこ面白いという評価をもらった。
 しかし、そこそこ止まりだった。
 プロ読み手じゃないとオレの小説の良さはわからないのだなどと思いあがって、自信満々に新人賞応募した。
 一次選考すら通貨しなかった。
 下読みがダメで、たまたま運が悪かったと思った。小学校の作文コンクールで手に入れた自信は、一回二回落選したくらいでは揺るがないほど強固だった。
 階段を少しずつ上がるように、オレの戦績も良くなっていった。一次選考は安定して通貨するようになり、二次選考、三次選考へと進める。
 けれど、受賞に至ることはなかった。
 自分に何かが足りないのではない。下読みや編集部、審査員の見る目が腐っているだけなのだ。そう自分に言い聞かせた。
 そうして、十年が経過した。

 オレは小説家でもシナリオライターでもないし、学生でもない。ひきこもりになっていた。
 もしも高校を卒業したときに、文章を書くという道を選ばずに就職していたらどうなっていたろう。
 サラリーマンになって、結婚もして子供もいるオレだっただろうか。それともやっぱりひきこもりになっていたか。それはわからない。わからないけど……今のオレはただのひきこもりという現実があるだけだ。ありもしない未来を夢想したって仕方がない。
 もうすぐ三十歳になる。
 そろそろ、疲れた。

 災い転じて福となすなんてことわざがあるが、その逆もある。幸福が転じて災いとなることだ。
 作文コンクールで受賞して、おかしな自信をつけなければこんな人生にはなかなかっただろうに。
 誰を憎めばいいのか。親か、自分か、神様か。
 高卒アラサーひきこもりとなったオレは、毎日毎日死にたい気持ちでいっぱいだった。子供のころ、「人生にリセットボタンはない」などと言われたが、電源ボタンはあるのだ。人生のやり直しは不可能だが、自分の手で終わらせることはできる、
 なんとか状況を打破しようと、就職活動もしてみたが、全敗。書類審査すら通らない。
 それでも非正規雇用ならばチャンスはあるかと思ったが、それもダメだった。それも当然で、オレが人事だったらオレなんぞ雇うはずがない。
 今の日本はドロップアウトしたら復帰するのが難しくて、到底オレにはできやしない。起業して一発当てる道もあるのかもしれないが、社会経験の乏しいオレが有能な経営者になれるとは思えない。
 自分を責める心の声と戦いながら、オレはひたすら人生をまともな方向に戻そうと頑張っていた。
 でもやっぱり、疲れたよ。

 コメディやミスティやホラー、セカイ系、純文学などありとあらゆるジャンルを書いてきたオレだが、ひとつだけ書いていないものがあった。
 それは遺書だ。
 人生の締めくくりとしての文章。うだうだ生きていてもしょうがないし、ここらで最後の花火を打ち上げよう。
 文章に愛され、同時に呪われもしたこのオレの集大成。クライマックスを飾る文章である遺書を、全身全霊の力を振り絞って書こう。
 内容はどのようにしようか。オレの人生のラストシーンとなる文章はどのようなものがふさわしいか。考えて考えて考え続けた。
 今までにない奇抜なアイデアがほしい。また、読みやすいながらもエッジの利いた文章も必要だ。先の読めない構成もあるといいだろう。
 遺書にそんなものはいらないと思われるかもしれないが、遺書というものはこうあるべきといった制限がなく自由だ。ミステリなら謎が必要だし、ホラーなら読者を怖がらせなければいけない。しかし、遺書にはそういった縛りはない。
 エンターテイメントとしての遺書だ。

 面白いウェブサイトを見つけた。
 オレにぴったりだ。
 その名も。

 ────『ひきこもり文学大賞』。

 ジャンルは自由なので遺書を投稿しても構わないだろう。投稿規定である4000文字は遺書としての長さにぴったりだ。
 受賞作はプロモーションに使うと書いてあるが、日陰者であるひきこもりにスポットライトを当てるつもりだろうか。
 文豪に精神を病んでいる人が多いとはよく言うが、ひきこもり文学なるものを立ち上げるなんてクレイジーでいい。
 オレの人生の集大成を飾るにぴったりだ。
 さて……。
 この作品、このままでは終わらない。
 なぜならば遺書だからだ。
 オレが死ぬことでこの作品は完成する。

 自殺は悲しいとか二度と起こしてはならないとか人は言う。それはそうで、オレもネット友達が自殺したら悲しいしつらい。
 だが、自分事となると話は別だ。
 苦しい人生を送っている人間にとっては、死は救いとなる。
 マイナスをゼロにするようなものだ。生きていて楽しいことよりもつらいことのほうが多いのならば、死んでしまったほうが得になる。
 オレの人生、この先生きていても生活保護を使い続けて「社会のゴミ」扱いされる未来しか見えない。一発逆転の可能性はゼロではないが、オレはもう疲れてしまったのだ。生きることに。
 段ボールを切るような大き目のカッターナイフを使って、手首に傷口を作った。動脈には達していないようだが、血がしたたり落ちるくらい吹き出ている。
 強力な睡眠薬はすでに飲んでいる。
 準備オーケー。
 湯船に手首をひたしておけば、止まることなく血が流れ続け、失血死するというわけだ。睡眠薬のおかげで、寝ているうちに死ぬことになるだろう。
 今、オレは左腕を湯船に突っ込みながら、右腕だけを使ってスマートフォンで書いている。
 書きづらいせいで誤字脱字や間違いが多いが、今のところは直している余裕がある。
 だがしかし、そろそろいしきがうすくなってきた
 オレはしぬんだろうかきょうふはない。やっとおわるというきもちだkがある
 さむけがすr
 あたまがhたrかない
 しぬのか
 死
 自殺
 死し師氏し詩死死死死死死死死死死死死死死死ししししししししししししししs
 かきわすれ
 いsyのタイトルは
 『生命賛歌』


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※この遺書はフィクションです。作者はひきこもりながらなんとか生きています。時々死にたくなるけど。

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ひきこもり文学大賞に応募した作品です。「え、これ本物の遺書?」と思わせることが狙いだったので、いただいたコメントを見る限りその狙いは成功したようです。落選したけどね。


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