「ポルト・リガトの聖母」のこと

 2017年の3月、僕はいろいろあって長崎の友人の家に1週間くらい居座っていた。友人は大学院生で昼間は研究室へ行っていたから、夕食を彼とともにする以外は一人で過ごしていた。最初の何日かは「せっかく長崎へ来ているのだから」と観光へ出たものの、長崎は決して広い街ではなく、数日で主要な観光地は周り終えてしまった。軍艦島、平和公園、グラバー園、大浦天主堂……。それぞれ魅力的な観光地であることは確かだったが、1日中暇を持て余していた当時の僕にとって1週間もつものではなかった。

 滞在5日目くらいだろうか。ついに観光地の選択肢を失ってしまった僕は、Googleマップで調べて海港にある美術館へ行くことにした。立地は鎖国中の貿易で有名な出島のすぐ隣り。長崎県立美術館である。慣れない土地だったが、数日前に近くを観光したところだったので場所は簡単に想像できた。

 当時の長崎県立美術館で開催されていたのが、「福岡市美術館・北九州市立美術館名品コレクション『夢の美術館~めぐりあう名画たち~』展」だった。福岡市美術館が2016~2019年、北九州市立美術館が2015~2017年のあいだ休館していたことにより実現した両美術館コレクションの巡回展だ。主に近代以降のコレクションで、印象派・キュビズム・シュールレアリスムなどから現代作家まで幅広く展示されていたと記憶している。(今回は触れないけれど、このとき観たやなぎみわの連作「エレベーターガール」も好きな作品なのでリンクを置いておこう。)

 僕は有名な作品しか知らない程度の美術ファンだから、「超有名」とまでいかないまでも質のかなり高いこの展覧会に圧倒されていた。中でも特に印象に残っているのがサルバドール・ダリの「ポルト・リガトの聖母」だ。「解説」にあるようなダリの原爆や宗教への関心をそのときの僕が理解していたとは思えない。ただ、海上に浮く鉱物(?)や御座の幾何学的なカッティングに、人工物の危うさが表現されているとは感じ取っていたように思う。何より僕が注目したのは、聖母とキリストの身体に開けられた方形の空間である。聖母の身体に開けられた空間の奥にちょうど水平線が来ていることは、羊水=母なるイメージと無関係ではあるまい。そしてこの方形の空間もまた幾何学的=人工的なものと捉えるならば、絵画の中心において、母なるイメージと人工物の危うさの衝突が表現されているわけである。母なるイメージや子どもに対する貫通という意味では、解説のように原発を想像することもできたかもしれない。このテーマ性や、各アイテムの発する象徴性、絵画自体の大きさ、何もかもに僕はのぼせたように絵を観ていた。

 平日の真昼間の地方美術館はとても空いていた。5~10分にやっと一人が通り過ぎていくような空間で、僕は長いあいだ「ポルト・リガトの聖母」の前に立っていた。美術館を出たあと、しばらく港を散歩した。海風がとても気持ちよかったのだが、散歩しているうちにすぐ日が暮れてしまったことを覚えている。

 ところで話は変わるが、2017年の塔短歌会全国大会は福島県での開催だった。僕はそのとき歌合せに出場したのだが、題詠の中に「洞」という題があった。そして、僕が提出したのが次の歌である。

その奥に水平線を見せてをりダリの聖母の洞(うろ)なる身体/永山凌平

 美術に関する思い出というと、この体験のことを、当時のモラトリアムも含めて真っ先に思い出す。

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