覚え書き(『感傷ストーブ』批評会をきっかけに)

 先日の『感傷ストーブ』批評会では、パネリストの花山周子さんの発言に頷くことが多かった。ただ、疑問だったのはレジュメで「価値の創出」とした箇所である。
 『感傷ストーブ』では、ギャグや自虐の歌が多く含まれる。ギャグも自虐も、ある知識や価値観を共有するからこそ成立するものである。それらの面白さは周子さんも指摘していた。一方で、さらに突き抜けた「何かを突破している」と感じさせる歌は、既存の価値観とは異なった作者独自の価値観の上で詠われている……というのが、私の理解した周子さんの指摘であった。
 ただ、「価値の創出」という語の選択が少しまずかった。富田睦子さんとの議論が空中化したのは、富田さんが「価値の創出」を歌の新しさと捉えたところから始まったように感じた。先の私の理解で言えば、「価値の創出」はむろん歌の新旧ではなく、どの価値観の上で詠うのかという文脈の話なのだ。

 ところで、『十二組十三人の建築家』という本を読んだ。建築家の古谷誠章氏の対談集である。興味深かった箇所を引いてみたい。

今のお話を伺いますと、とにかく大地から生まれるということで、その土地の、その土地にあるコンテクスト抜きには建築は生まれない、というお話ですが、たぶん、そそっかしい人が解釈すると、「その土地にあった何か」でつくり上げる、あるいは、「その土地にあったものを踏襲する」かのごとく勘違いする人がいると思うんです。ところが、伊丹さんの場合はそうではなくて、それは現代美術にも通じるものですが、その土地にあるものの上に、その土地にないものを持ってくるかもしれない。つまり現代美術と同じで、そこにあるものをぐっと引き上げるけれども、全く脈絡のないものを結び付けても、そこにまた新しい力が生まれる場合もある。そういう創造的なことをおっしゃっていますよね。
/『十二組十三人の建築家』所収、伊丹潤氏と古谷誠章氏の対談から古谷氏の発言

 コンテキストと、それに載せるものについて考える。

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