音楽に付随する情報と、印象の変容
このnoteは歌詞の『解説』や『考察』ではなく『感想文』ですので、軽い気持ちで読んでいただけると幸いです。歌詞を読んだとき(聴いたとき)に受ける印象や、感じることは千差万別です。このnoteでは基本的に私が感じたことを紹介するため、少しずれたことを言うかもしれませんのでご了承ください。
もし特集する曲を聴いたことがない方がいらっしゃったならば、是非一度聴いてからお読みいただけたら幸いです。詞の世界を自分で想像して、色々と思いを馳せる時間こそが一番の幸せだと思います。また、あなたがその歌詞に触れたとき、どう感じたのか、なにを思ったのか、もし良ければ教えてくださると非常に嬉しいです。
色々な人の『視点』、『ものの切り取り方』、『感想』を知ることを楽しんでくれる人が一定数いらっしゃるとのことですので、そういう方々に楽しんでいただければと思います。
(敬称は略させていただきます)
また今回は歌詞というか、音楽についての話になります。非常に個人的意見が目白押し、かつ若干まとまっていないので予めご了承ください。
【音楽に付随する情報と思い込み】
音楽には色々な情報が付随しており、曲を聴く前にそれらに触れる機会が非常に多いと感じます。例えば『邦楽ランキング1位!!』とか『某有名雑誌で高い評価を得た!』とか、最近だと『TikTokで話題!』とかでしょうか。そのようなポジティブな情報を前もって知っていると、初めて聴いた時になんとなく「いいかもしれない」と思ってしまうものです。逆に、非常に酷評されている音楽を聴いた時、素直な気持ちで聴けるでしょうか。また、お気に入りのアーティストが出した新曲は、余程のことがない限り恐らく好きになるでしょう。これらは先入観による思い込みによるところも大きいように感じます。また後から印象が変わることもあるでしょう。とあるアーティストの歌が好きだったのに、不祥事を起こした途端にその歌の魅力を感じなくなってしまったり、自分が好きなアルバムが通販サイトでレビュー最低点だったら何故かもう聴く気がしなかったり。
音楽のみならず、映画やレストランの料理などにも当てはまる現象だと思います。グルメサイトの星の数やレビューによって、ヒトの味覚は案外簡単に操作されてしまいます。音楽と同じように、不祥事を起こした飲食店の食事はなんだか美味しくないように感じたりしませんか?
『音楽を聴く時にこれらの先入観や思い込みがかからないようにして聴くべきである』という意見を持った方が一定数いらっしゃるらしいです。『本質的な音楽を聴かなければならない』ということらしいですが、皆さんはどう思いますか?前置きが長くなってしまいましたが、今回は私にとって衝撃的な情報が付け加わった曲、『真冬の恋人たち』です。もともとこの曲は大好きな曲でよく聴いていたのですが、とあるきっかけがあり、大好きな曲から『特別な曲』になりました。
【推しが歌ってくれた曲】
今は引退され別の名義で活動されていますが、数年前、私には1人の推し活動者がいました。私はいつの間にかファンになっていまして、推しはYouTubeに動画を投稿したり雑談配信をしたり、時に歌配信をしたり。ある日の推しの雑談配信、私の大好きな聖子ちゃんの『真冬の恋人たち』の話題が出ました。思わず「私もその曲だいすきです」といったチャットを送信すると、それを見た推しはサビ部分をアカペラで歌ってくれたのでした。その時、この曲の持つ印象や情報量が一気に変容したのを覚えています。もともと好きだった曲が『推しが歌ってくれた曲』という付加価値を獲得し、特別な曲になった瞬間でした。6枚目のアルバム『Candy』は数ある聖子ちゃんのオリジナルアルバムの中でもTOP3に入るお気に入りでよく聴くのですが、『真冬の恋人たち』が流れる最後、曲の素晴らしさに感動するとともに、推しが歌ってくれたあの時の嬉しかった気持ちも一緒に感じることが出来、非常に幸せな気持ちになります。
今回の私のケースは、もともと好きだった曲に後からポジティブな情報や意味合いが付随しました。しかし、先述した通り原曲を聴かずに曲の情報に触れる機会は意外とたくさんあるなぁと感じます。恐らく口コミやマスコミュニケーションという媒体を介して音楽や芸術の情報は昔から世に広まっていたと思いますが、インターネットが普及したことで、作品に触れないまま情報だけ知っているという現象は拍車がかかったように増えているように思います。これにより、所謂『聴かず嫌い』や『聴かず好み』が増えているのではないでしょうか。音楽そのものに触れてもいないのに自分の好き嫌いを決定してしまうのは時期尚早な気がしますし、あまり理解できない現象です。私個人的には色々な音楽に実際に触れた時の感情を大事にしたいなぁと思っていますが、今この文章を書いていて、それも曖昧だと思いました。例えば、私の身内や友人に危害を加えたり不幸にしたりした輩が音楽作りましたーって、私は聴く気にもならないと思います。言っていることの軸がぶれまくっていると私も思いますが、一番大事なのは自分の気持ちに正直になることかもしれません。聴きたい音楽を聴く、聴いた時の感情を正直に受け止める、色々な情報に触れたときの感情も正直に受け止める。だから、『真冬の恋人たち』を初めて聴いた時の感動を大切にして、加えて推しが歌ってくれた時の感情も素直に大切にしようと思います。音楽に付随する音楽以外の情報もひっくるめて、その時感じたことが真実ですね。
【最後に】
思い込み、バイアス、先入観、個人的にはいいと思います、誰の迷惑になるのでしょうか。先入観を持つことにより感じ方は左右されると思いますが、実際に感じたことは素直な本人の気持ちだし、本質でしょう。研究論文を書くわけじゃないんだから、バイアスもひっくるめて、音楽は自由に聴きゃいいじゃん、と思うわけです。自分が感じたことを素直に受け入れたらいいじゃないか。不祥事を起こしたアーティストの作品を好きになるも嫌いになるも、人それぞれ。ただひとつ、自分の感じた好き嫌いを他人に強要するヒトがいるのです、それが一番面倒だと感じます。
音楽の絶対的な質の良し悪しはあるとは思いますが、だからといってそれが全てではありません。音楽に付随する沢山の側面も、全てひっくるめて楽しんでしまえばいいのではないかなと私は考えています。いつか結婚して子どもが生まれたら、多分その子の産声は一番素敵な音楽になるのでしょう。誰かにとってはうるさい泣き声が、私はその音楽の背景を知っているからこそ感動できるのでしょうね。
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