サマータイム・ブルース ~歌が世界を変えること、歌の世界が変わること~

このnoteは歌詞の『解説』や『考察』ではなく『感想文』ですので、軽い気持ちで読んでいただけると幸いです。歌詞を読んだとき(聴いたとき)に受ける印象や、感じることは千差万別です。このnoteでは基本的に私が感じたことを紹介するため、少しずれたことを言うかもしれませんのでご了承ください。
 もし特集する曲を聴いたことがない方がいらっしゃったならば、是非一度聴いてからお読みいただけたら幸いです。詞の世界を自分で想像して、色々と思いを馳せる時間こそが一番の幸せだと思います。また、あなたがその歌詞に触れたとき、どう感じたのか、なにを思ったのか、もし良ければ教えてくださると非常に嬉しいです。
 色々な人の『視点』、『ものの切り取り方』、『感想』を知ることを楽しんでくれる人が一定数いらっしゃるとのことですので、そういう方々に楽しんでいただければと思います。
(敬称は略させていただきます)

【はじめに】
 政治とは、複雑すぎるほどに絡まりあった大量の糸を、政治家が1本1本持ち、一枚の絵織物を完成させていく過程だと感じます。それぞれの政治家が描きたい模様は違うし、自分の糸が目立つ場所で輝いてほしいし、「皆で織るのなんか面倒だ」といって糸を放っておく人もいるし、糸の値段はどうするのか、絡まった糸を誰がほどくのか。そんな無茶苦茶大変な作業をしている政治家に対して、心ない誹謗中傷の言葉を投げている人がいると、見ていて非常に悲しい気分になります。
 前もって断言させていただきたいのですが、私はこの記事で政治的主張や意見は全く言いません。いや、『言わないつもり』が正しいかもしれません(受け取り方によってはそう聞こえるかも)。

【歌で世界は変わるのか】
 よく議論されるテーマです。私が考える結論から申し上げると、変わっていると思います。しかし、『世界』の意味が非常に曖昧であることを強調します。例えば、私の周りの世界は、音楽のお陰で大きく変わっていると思います。この記事を読んでくれているあなたと出会えたのも音楽のお陰です。しかし、例えば『歌で世界が平和になるのか』、『歌で戦争がなくなるのか』、『歌で政治的争いがなくなったのか』と聞かれると、今のところNoと言わざるを得ないでしょう。世界平和を唱えたジョン・レノン、ベトナム戦争の悲惨さを歌ったマーヴィン・ゲイ、政治的パンクで世の中に激震を走らせたセックス・ピストルズ…。そのあまりにも素晴らしい音楽をもって、戦争がなくなったのでしょうか、政治が良くなったのでしょうか。
 ただ、『変化』は確実にもたらしています。歌の力で、反戦、世の中を良くしていこうというムーブメントが起こり、それが人々、世界に与えた影響は非常に大きいと感じます。クリスマス休戦を御存じでしょうか。第一次世界大戦勃発後、長期化した戦闘の中、クリスマスにフランドル地方(オランダ南部、ベルギー西部、フランス北部に広がった地域)に展開するイギリス軍とドイツ軍の間で起こった出来事と言われています(詳しくはWikipediaを参照)。このクリスマス休戦のきっかけになったのは讃美歌『きよしこの夜』です。歌がきっかけで、たった1日ですが争いをやめたという出来事もあった、そう伝えられているのです。音楽の力って素晴らしいですね。しかし、戦争や政治的争いはなくならないのです、非常に悲しい現実です。

【変わっていった自分と、曲の捉え方】
 1988年、RCサクセションは『COVERS』をリリースしました。洋楽のカバーアルバムとして発表されましたが、歌の内容に反原発、核問題が大きく取り上げられており、発売中止騒動が巻き起こりましたが、結果として20万枚以上の大ヒットとなりました。特に、原子力発電所批判色が非常に強い曲として、『サマータイム・ブルース』が挙げられます。
 私が初めてこの曲を聴いたのは高校生、バリバリに尖りまくっていた時期です。私は清志郎がカリスマ的存在に思えました。『みんなが言いにくいことを大きな声で伝えてくれる代弁者』、もしくは『不満を抱えた民衆の革命的リーダー』のように感じたのです。それからというと、『政治家は皆最悪だ』、『政府は嘘っぱちだ』という観念が私の中に染み付いていきました。それから数年、社会に出てすぐ、政治の複雑さを知ることが出来ました。そして、『どの政党が正しい』とか『この政策は間違っている』とか、一概に言えないということに気が付き、私はアナーキー観念から解放されました。一方の意見ばかりを聞いていると、どんどん考えが偏ってくるのです。メディアで批判されている政治家でも、様々な政策を成功させて、日本をより良くしようと努力している人もいるのです、悪い部分だけを切り取ってはいけないように感じます。
 そんな中、『サマータイム・ブルース』を聴いた時に感じる私の気持ちが大きく変化していくのを感じました。高校生時代、なにも意見がなかった私にとってこの歌は、1つの考え方や思想を提示してくれる『道しるべ』でした。社会人になってすぐの頃、政治の複雑さを知った私にとってこの歌は、偏った思想を植え付ける可能性をもった『危険なバイアスにまみれた歌』になってしまいました(この頃、COVERSはなかなか聴けませんでした)。でも、しばらくするとなぜか、知らない間にCOVERSが聴けるようになり、好きになっていたのです。そして今、渋谷陽一氏と桑田佳祐氏の対談を読み、その謎が解かれました。

【ただ歌いたいことを歌う】
 ROCKIN’ON JAPAN 2015年4月号で、渋谷陽一氏と桑田佳祐氏が対談していますが、そこで渋谷は「自分の言葉のメッセージで社会を変えよう、政治に物申すっていうのではなくて、桑田佳祐も清志郎も、歌にした動機はひとつ、歌いたいからだったと思うんですよね」と語っています。社会人になってから再度COVERSを聴きだして好きになって言った理由はこれだったのかと、はっと気が付きました。いまサマータイム・ブルースを聴いた時に私の心の中に浮かぶ感情はただ1つ「かっこいい」だけでした。その歌から政治的な考えなんて1つも生まれなくなったことに気が付いたのです。清志郎の歌は、『道しるべ』でも『危険なバイアスにまみれた歌』でもなんでもない、『かっこいいロックンロール』だったんだと、私はやっと気が付きました。本人に聞いてないので分からないですが、清志郎の「ただ歌いたいことを歌ってやるぜ」という魂がなんだか伝わってくるような気がしたのです。この歌詞の思想に影響される人も多いと思いますが、私は歌詞の思想やアナーキーさではなく、音楽に対して素直なところがこの曲の魅力だと感じます。

【最後に】
 聴衆に対してメッセージを伝える歌に、素晴らしい歌は数多くあります。しかし、個人的な印象として『政治的思想や意見の押しつけがましい歌』は苦手で、私たち自身に考えるきっかけをくれる歌は魅力を感じます。音楽を武器として利用し、政治家を罵倒するのは個人的にナンセンスです。清志郎のサマータイム・ブルースは、紆余曲折ありながら、今の私にとっては純粋な「かっこいいロックンロール」になりました。考えるきっかけを昔はくれましたが、今はなにか違うものを感じます。
 音楽で世界が変わり、私が変わったことで音楽も変わる。小さな歯車の小さな変化が、世界中に溢れているのでしょう。音楽だけで世界がガラッと変わることはないと思いますが、世界を変えうる私たちを変える原動力となるでしょう。そして、その私たちもまた、音楽の捉え方を変えていくのだろうなと思います。インタラクションです。
 とりあえず、『なぁんぼのもんじゃい!! あら?』ってなるような大人にはならないようにしよっかなぁと思います。

【引用】
https://ja.wikipedia.org/wiki/COVERS_(RC%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%A0)

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