一度きりの上映 ~「一度きり」に感じる憧れと、それぞれの思い出~

 このnoteは歌詞の『解説』や『考察』ではなく『感想文』ですので、軽い気持ちで読んでいただけると幸いです。歌詞を読んだとき(聴いたとき)に受ける印象や、感じることは千差万別です。このnoteでは基本的に私が感じたことを紹介するため、少しずれたことを言うかもしれませんのでご了承ください。
 もし特集する曲を聴いたことがない方がいらっしゃったならば、是非一度聴いてからお読みいただけたら幸いです。詞の世界を自分で想像して、色々と思いを馳せる時間こそが一番の幸せだと思います。また、あなたがその歌詞に触れたとき、どう感じたのか、なにを思ったのか、もし良ければ教えてくださると非常に嬉しいです。
 色々な人の『視点』、『ものの切り取り方』、『感想』を知ることを楽しんでくれる人が一定数いらっしゃるとのことですので、そういう方々に楽しんでいただければと思います。
(敬称は略させていただきます)

【はじめに】
 ドラえもんの秘密道具に『時』の流れを可視化する道具がありました。その道具を使うと、時間がゴウゴウと流れていっている様を見ることが出来るのです。そしてドラえもんはのび太に「よくみておくんだね。きみがひるねをしている間も、時間は流れつづけてる。一秒もまってはくれない。そして流れさった時間は二度とかえってこないんだ」と伝えます。私が今こうしてキーボードを叩いている時間も、メガネをくいっと持ち上げた瞬間も、流れさってしまえば過去、二度と戻らない瞬間です。
 しかし、普段仕事をしている時、学校で勉強をしている時、仲間と食事をしている時、そんなことを考えたことはありません。そんなことを考えるのは決まって、流れさった時間を後悔したり振り返ったりする時です。今この瞬間にどの程度の価値があるのか、そして今この瞬間が将来、「戻ることのできない憧れの思い出」になるということに、私はまだ気づけないままでいます。

【現在を通じて見える過去への憧れ】
 堀込高樹氏のソロアルバム「Home Ground」から「一度きりの上映」を今回は取り上げてみようかと思います。詞には寂れてしまったアーケード、劇場の景色が、高樹氏独特の美しく繊細でどことなく人間臭いタッチで描かれており、メロディはその世界の静けさや寂しさ、懐かしさ等を汲み取りながら、スーッと心の中にたなびいていきます。聴き終えた後、寂しさだけでなく何か暖かいものを感じました。
 この歌詞で個人的に気になった点として、現在の劇場の景色しか描かれていないということです。「あの頃は~」みたいな回想もなく、ただ寂れてしまった現在の劇場の風景、町の風景を切り取っています。しかし、お聴きになっていただいた皆さん、胸の中には過去の劇場や町の様子が浮かび上がっていませんか?同時に懐かしさや寂しさを感じませんでしたか?これは一体どうしてなのでしょうか。
 例えば、皆さんが知らない土地のボロボロの商店街を通るときに「あー、ここも昔は繁盛していたんだなぁ、しみじみ」なんてことありますか?私はほぼありませんでした。ここで回想、懐かしむことを促すキーワードとして「一度きり」があると私は感じました。つまり、過去の劇場はもう過ぎ去ってしまった「一度きり」ということで、歌詞の中にも登場しないのではないかと感じたわけです(現在の劇場は、たった今「一度きり」です)。過ぎ去った過去の劇場を歌詞の中に蘇らせることは、「一度きり」という儚く美しい世界をぶち壊しにしかねないのかもしれません、だから歌詞の中で過去の描写がされていないのだろうかと感じました。手に入らないもの、二度と戻らないものに対して、人間は憧れを抱きます。この歌詞では、今まさに人知れず過去になろうとしている「一度きりの上映」への憧れを感じさせてくれるのと同時に、現在の劇場の景色を通じて、もう二度と戻らない「一度きり」だった過去に対する憧れを再認識させてくれたように感じます。すべてのことが「一度きり」だったのにそれを忘れてしまっているような気がしますが、この曲を聴くと、美しい歌詞とメロディが、寂れてしまった劇場の風景から、あの頃の記憶を美しく色付けると同時にもう戻らないのだと知らしめてくれるのでしょう。

【人それぞれの思い出が歌詞になっていく】
 さらに、この曲が過去の劇場の風景を描写していない点にはもう1つ重要なポイントがあるように感じます。それは、人それぞれの心の中にある思い出が浮かび上がってくるということです。皆さんの思い出と私の思い出は全く違うと思います。趣味趣向、年齢や性別、住んでいる場所も違えば、人それぞれがそれぞれの思い出を抱えています。そんな中、この歌詞は非常に優しく、それぞれの思い出を呼び起こしてくれるのです。私がこの曲を聴いた時思い浮かんだのは、なぜでしょうか、遠い昔、旅で店先を訪れた草臥れたストリップ劇場、ネオンが所々途切れているスナック、「誰が入るんだろう」と突っ込みたくなるような地元の電気屋さん、そして子供の頃に連れていってもらった今はなき遊園地でした。私はその店や劇場が繁盛していたころは知らないのですが、なぜか、そのお店の過去を思い出したくなるような、なんだか似非ノスタルジーな気分になりました。また遊園地は自分が体験した思い出が所々かすれながら浮かび、寂しさと懐かしさを感じました。
 過去を事細かに描写し限定してしまうと、思い出が縛られます。色々な人の思い出に繋がるのは、曖昧なきっかけ(トリガー)なのかもしれませんし、もしかするとその方が美しくみえるのかもしれません。寂れてしまった現在の劇場の風景から、聴き手それぞれの思い出が溢れ出てくるような構成になっているように私は感じ、改めて私は堀込高樹氏の詞の世界が大好きなのだなと感じました。

【最後に】
 「今を大切にしよう」、私はこれからの人生そんな言葉なんて忘れてしまってふらふらと生きていくのだろうなと感じます。しかし、ふと、今の風景の中に過去の思い出を見つけたら、ふと、今の風景が過去の思い出を色付けたら。「今この瞬間が、憧れの思い出なのかもしれない」ということを私は思い出すのかもしれません。将来、のび太もドラえもんと過ごした少年時代の思い出に対して憧れを抱くのかなぁと思います。ドラえもんが伝えようとしたのは、「今まさに過去になろうとしている現在への憧れ」、そして「一度きりの過去に対する憧れ」なのかもしれません。
 久しぶりに、あの頃よりずいぶんと綺麗になった母校を訪れてみたくなりました。

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