歌詞のメッセージ性、言葉数と時間の関係について

 このnoteは歌詞の『解説』や『考察』ではなく『感想文』ですので、軽い気持ちで読んでいただけると幸いです。歌詞を読んだとき(聴いたとき)に受ける印象や、感じることは千差万別です。このnoteでは基本的に私が感じたことを紹介するため、少しずれたことを言うかもしれませんのでご了承ください。非常に主観的で勝手に書いているのでご注意ください。
 色々な人の『視点』、『ものの切り取り方』、『感想』を知ることを楽しんでくれる人が一定数いらっしゃるとのことですので、そういう方々に楽しんでいただければと思います。
 また今回も非常に個人的意見が目白押しです、予めご了承ください。


【はじめに】
 私には、仕事上のディスカッションをすることが上手な友人が多いです。彼らは、頭の回転が速いのか議題の問題点をすぐに指摘し、話をしている中で解決策を練り上げ、淀みなく喋ります。そしてそれが非常に的確でまとまっているため聞いていて心地よいと感じます。仕事上で困ったことが起きたり、新しいアイデアを打診したりする時、そういう友人がいると助かりますし、より良いアイデアが生まれると感じます。
 一方、自分語りになってしまいますが、私はあまり喋るのが得意ではありません。自分の好きな仕事や音楽においては喋る機会をいただくこともあり、色々と話をしますが、それ以外の場所では基本的に静かなのかなと感じます(客観的に皆さんいかがですか?)。Twitterでも何を呟こうか悩むこともありますし(何か言いたい気分だけど、何を言うかは決まらない)、旅行も一人でして基本的に誰とも話はしません。しかし、気分屋なのでしょう、喋りたくない時が多いというだけで、喋りたいときも少なからずあるように思います。そんな時に、喋りすぎて何言っているかわからない私がいます。
 私が喋りすぎると、まとまりのないフワフワした言葉が多くなり、最終的に相手に伝わっていない、ということが多々あります。私の悪い癖です。伝えたいことは明確にあるのに、その伝え方が分からなくなってしまうのです。それに早口で喋ると、どこが大切な場面なのか、相手には咀嚼する余裕もありません。結果として、喋りすぎた時よりも、一言二言ぽつりと言った時の方が、相手の印象に残っていることも経験しました。つまり、「伝えたいことの本質は具体的かつ明確にあるのに伝え方が分からない状態で喋りすぎると、相手には何も伝わらない」ということですね。
 前置きが長くなりました、今回は歌詞の言葉数と伝え方についてのお話です。

【歌詞のメッセージ性、言葉数と時間の関係について】
 今回は愚痴が多いので、特集する曲はありません。私の大好きな曲を改めてじっくり聞いていると、聴き手が詞や曲の世界にじっくりと入り込むことが出来るような構成になっていると感じます。そして、歌手の歌声がその世界の雰囲気を鮮やかに描いていく、そんな気がしました。最近の曲が悪いとは言いません、この頃の日本のヒットチャートを聴いていて「特徴的だな」と思うのが以下の3点です。
① 歌い手(作り手)のメッセージ、エゴが強い
② 伝えたい情報が溢れかえっており、言葉数が多い
③ 詞の世界を咀嚼する時間が短い
 まず①についてですが、このnoteでは何回か言及したかもしれないのですが、作り手が楽しみ方や聴き方を限定しすぎているということです。つまり、聴き手が詞の世界を想像し味わう余地を感じることのできない曲が非常に多いと感じます。聴き手の心の中に染み込んでいく音楽は、個人の思い出や感情を詞や曲に幾ばくか投影することが出来たり、その詞の風景の多様な広がりを聴き手が存分に味わうことができたりするものであると個人的に感じました(確か、初回の「冬のリヴィエラ」のnoteを書いた時も同じようなことを言っていたような気がします)。ですので、作り手の世界を具体的かつ強く見せられると、私はそこに自分を投影することが出来ず、あまりにも確立した作り手のメッセージがストレートにやってきたりすると、どうも疲れてしまって聴きたくなくなります。
 ②についてです。序論で少し話しましたが、伝えたい内容は明確なのに、伝え方を誤ると何も伝わりません。ましてや「伝えたい情報がまとまっておらず散漫な状態で、誤った伝え方をする」と本当に意味が分かりません。愚痴になってしまいますが、ここのところ本当に「無駄な」言葉が多い曲が多いと思います。無駄だから、どこにフォーカスしているのかがブレてしまい、結局なにも感じないまま終わってしまうことがあります。一言の重みも軽くなります。伝え方が「誤っている」とは言いませんが、私には合わないのです(ここでの伝え方というのは、歌詞のメッセージや思いではなく、雰囲気や世界観など包括的な情報の伝え方です)。また、歌なので「論理的であれ」ということではなく、別に歌詞にはっきりとした答えがなくてもいいのです。ただ、歌詞に明確な目的、つまり全ての言葉に適切な意味があるような作り方がされていないのは聊か如何なものかと私は感じるのです。例えば韻を踏むにしても「なぜこの言葉を使うのか?」「なぜこのタイミングで踏むのか?」「なぜこの母音や子音で韻を踏むのか」等を推敲した上で書いているのでしょうか。やはり無駄が多いと感じます。
 ③は②からの流れですが、言葉が多すぎるため必然的に歌詞を詰め込みすぎてしまいます。そうすると歌詞の内容、世界を咀嚼する前にどんどんと曲が展開していきますので、結果として聴き手が置いてきぼりになってしまうことがあると感じます。もう最近だと悪い意味で何言ってるか本当に分からない曲もあります。まぁ、何言っているか分からなくても素晴らしいなぁと感じる曲もありますが、それは…、なぜでしょうか(ぱっと答えが出ません、次回のテーマですね)。
 最近流行っている曲の歌詞というと、上記のような①~③の特徴を含んでいる物が非常に多いように感じます。これについて、恐らく音楽の、また歌詞の楽しみ方、聴き方が大きく変わってきているのだろうなと思います。①に関して、最近のリスナーはもしかすると歌の中に直接的なメッセージ、生き方、指針を求めているのかもしれません。モデルケースとなるような考え方や主張を大量のメッセージの中から見つけ出し、日々を乗り切る力に変えているのかもしれません(歌詞の世界を想像し感じ味わうことで自分を詞の世界に投影するのが個人的に好きな聴き方なのですが、恐らくそういう楽しみ方をする人はかなり少ないのでしょうね)。このような曲のいいところは「スピーディに自分の考えや生き方に迷っている者の指針となり、生きていく力を与える」という点だと思います。直接的かつエゴイスティックなメッセージ性のある歌詞は非常に大きなメリットがあると感じます。しかし、私はひねくれにひねくれ、こじらせにこじらせたもので、エゴが強くメッセージが強いと引いてしまうんですよね。それにやはり自分で曲や歌詞の世界を広げて想像して楽しみたいという思いがあるので、どうも苦手意識があります(歌詞に直接的なメッセージが書かれていない場合や、作者がメッセージを入れようと考えていない場合でも、聴き手が曲を味わい感じることによって大きなメッセージを受け取ることもあります。私もいろいろな曲を聴いて、感じたことにより考え方や心に大きな影響を受けたと思います)。
 ②、③については、最近の情勢なのかもしれません、インターネットが普及して情報が溢れかえっていることが、そのまま歌詞に影響しているのかもしれません。大切な言葉1つだけでは物足りないのかもしれませんね、着飾って、着飾って、それで美しいものが出来上がればいいですが、私にとっては理解しがたい奇抜なものになっていることが多いです。結果として、天衣無縫という言葉があるように、無駄がなく、それでいてどこにも付け加える余地のなく、素晴らしい歌詞、曲と私が感じる曲が、私は好きなんだなぁと思いました。
 また②、③について、先ほどの①とは反対意見になりますが、「歌詞が伝わってこなくてもいい」という人も結構いるのかもしれませんね。大量の言葉を素早く歌う詞は、どんどん言語としての役割を失って楽器的になります。歌の中に直接的なメッセージを大量に欲しているその傍ら、その歌詞の内容も意味も感じなくても構わないということなのでしょうか。いや、大量の言葉を伝えるために、言葉が直接的かつ限定的になっていったのかもしれないですね!!

【最後に】
 言葉数について言及してきたこの記事ですが、もうそろそろ3000字をゆうに超えてしまいました。私の悪い癖が出てしまっています。noteは楽しく気楽に書いているのでこういうことがよくありますが、どうかご了承くださいませ。
 歌詞を書く時もこういう癖が出てしまうので、すぐにボツになります。私自身、歌詞の中で伝えたいメッセージがあるのかどうか、自問自答しますが正直わからない時が多々あります。しかし、自信を持って言えるのは、全ての言葉に目的と意味と、こだわりをもって私は歌詞を書いています。

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