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随筆|"あだるとちるどれん" 【note創作大賞2023 エッセイ部門 応募作品】


 忘れていた切り傷を眼前に突き付けられて、逃げるように地下から這い出した。慣れ親しんだ、なんて言うつもりはなかったのに、気付けば確かに自分の一億分の一にはなっていた無骨な通路を足早に行く。カーキ色のジャンパー。後輩に慕われる同輩。きちんと獲得した者と、獲得し得なかった者。或いは、そもそも獲得しようとしなかった者。ならば当然の報いか。
 十代後半が画鋲で壁に留められたままの、動けない、"あだるとちるどれん"。周囲が十代なら年相応だが、後は海溝が拡がり続けるばっかりで。望むも臨むも自分だけれど、今日が昨日になるにつれ状態は悲惨になるのだろう。一人きりで循環して生きられるなら問題はないけれど、他者との交歓を一番の幸福とする辺り、志向と気質が背中合わせで共倒れしている。背は接着剤で貼り合わせられているのに、両者が真反対の方角へ行こうと互いに互いを引っ張り合うのだから。

 ふと、爪先のコンクリの割れ目に拒絶を見、息をつめた。部外者を弾く結界。見えずとも触れられずともそれは自分の中にある。罪悪感に非常に似た元素で組み上がった障壁。母校の高校に対してよりかはまだ幾分か緩い、と、そんな微かな安堵も結局は一瞬で消えてしまったのだけれど。
 
 ……夜の大学は好きだ。静かで青くて、何より人がいないから。けれど今日は「やりきれなかった日々」を示す小道具の一つだから、おちおち見つめてもいられない。中庭の新しく設置されていた机と椅子の上辺だけをなぞって、慣れないブーツの硬い音で道を作る。門を抜けた。はじめの二年は通る度「ここから飛び込んでみたらどうなるだろう」なんて、ぼうっとした眼をして覗き込んだ歩道橋。例えその意思があったとして、行動に移す勇気はないことを自分はとうに知っている。
 耳元で声がした。

「いくら歯車から外れて一人やり直したって、あの日熱中を怠った、関わりを持とうとしなかった、過去と今後の損失がなくなる訳じゃないんだよ」

 忘れかけていた傷が開いて、その痛みが受信した。「わかっているよ」と強がって応えた。……確かに文字列として頭にあったのかもしれないが、理解したのは今この瞬間だ。気付いてブレるくらいには、自分の決意や覚悟というものは、相当甘ちゃんであるらしい。

 人と同じは嫌だけれど、人には好かれていたい。普通というには奇妙だけれど、変人というには凡庸だ。手を繋ぐことを諦めて細い道を往くか、細い道を往くことを諦めて手を繋ぐか。いずれにせよ、自分は未だどちらも選べず只々その場に突っ立っている、愚鈍で未熟な二十二才児だった。

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