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エチュード愛

演奏法や練習法、知識や技術というものは、秘密にしておきたいものなのだろうか。

チェロのために残された数々の練習曲に触れていると、パソコンもない時代によくもこれだけの数の練習曲を書いてくれたものだと感心する。

素晴らしい演奏家には憧れる。でも、練習曲を沢山書いてくれた先生達はもっと素晴らしい功績がある。ドッツァー、デュポール、クレンゲル、フランショーム、ポッパー、ピアッティ。好き。

練習曲は面白くないという人もいるけれど、私はむしろ好きだ。嫌とか詰まらないとか全く思わない。服を着替えるのと同じくらいに坦々と取り組む。
何回か通すと、音楽的な盛り上がりはここで、おそらく練習ポイントはここ、というのがわかる。作曲者によって構成もスタイルも違う。一ページか、見開き二ページに収まるのに、必要な技術がコンパクトに要領よく詰まっている。しかも面白い。優れた演奏家と教育者によって流派が形成される。

エチュードや曲を通して、いろんなことを学ぶ。
その人がどんな曲に取り組んで、何を学んだかという道のりが紹介されていたら面白そう。

筋トレのように、練習曲が技術を底上げしてくれる。

上手いか下手かではなくて、いろんな方向性の上手さがあると思うのだ。この曲が弾けたから上手いというのはあるようで無いというか。とりあえず弾けたとしても、ただそれだけというか。
音符を音にして出せるのも技術だ。けれど、弾くだけというのでなく、その曲をどんなふうに血肉にしたかというのが面白いと思う。

フレージングに、その人らしい個性が出ていると面白い。

卓越した技術とか素晴らしい練習法とか、そういうのは隠すよりもシェアした方が豊かになる気がする。まとめることで整理されるし。

先日、デュポールの試論付きエチュードの日本語訳が出て、早速入手してほくほくした気持ちで読み進めている。当時の奏法の研究にも役立つのだろうけれど、デュポール先生の言語化が素晴らしいと思う。200年も前のチェリスト。全然古くなくて、いい演奏家かつ謙虚な先生だったんだなというのが伝わってくる。

一方で、技術というのは言葉で伝えられるようなものではなくて、見て聞いて盗まねばならぬものという部分も確かにあるとは思う。

ピアノの教材には流行り廃りがあるよう。また一般的な学習ルートが確立されてしまうと、どうしても競走してしまうのが日本人気質というか。先があるのは楽しいのか、それともうんざりするのか。

はやく進むことを追い求めるよりも、楽しく深めているうちに結果的に遠くまで来てしまったという方がいい。
読書と同じで、早く読もうとしても虚しくなるだけだ。楽しんで沢山読んでいるうちに早く読んでしまうようになる。それだけのことだし、それがいい。


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