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お金が欲しい?

自立して働き始めると、社会保険・厚生年金保険やら、自動車保険に生命保険、所得税に住民税、あれやこれやとお金にまつわる仕組みの中に自動的に組み込まれていく。何が必須で、何が選択で、何が贅沢なのか。面倒くさがっていると騙される…というか相手に搾取される。

便利な制度は請求しないと教えてはくれないし、無駄な保険は黙っていても向こうから誘いにやって来る。

だからお金の勉強は必要。
何のために払っているのかわからない支払いをしてはならない。それは、いざとなった時に活用することさえ忘れている危険性があるから。

お金の話は、勉強の話しとか仕事の話しとか教育や家族の話しと同じくらい、というかそれ以上に根本的で重要な話。なのだけども、家庭によってその取り扱われ方はまちまち。大人の話しに子どもを入れないという考え方もあり、家計事情は子どもに話さないということもあるだろう。

ブラジル人の知人がおり、ニュースを見ながら中学生の息子と母国の政治の問題についてあれやこれやと議論していた。子どもには難しいとか関係ないなどとは思っていない。知らないことは学び、感じたことは言葉にし、異なる考えをぶつけ合う。それが、子どもを(その部分においては)一人の大人として尊重している感じがしてとてもよかった。

お金の扱い方って、人生を大きく左右するものだと思うのですが、どうでしょう。

制度とか投資とか、調べても細かすぎることもあるけれど、自分に関係のあるところだけでも家族であれこれと調べてまとめて意見を出し合うといいのだ。

そういう会話を子どもも何となく聞いたほうが良いと思う。知識が付いたら、一緒に話し合うほうが良いと思う。だって、いつか子どもも自分でそれをやるようになるのだから。両親が普通にしていた会話が、子どもに取っての普通になっていく。

お金の話をするのは下品だという雰囲気を漂わせているのに、私が何かを買うと「それいくらだ」と聞かれて不愉快に品定めされ、そのくせ自分が買っているものについては黙って値段を話さない。そういうのをされてきたので、私の金銭感覚はどこか地に足がついていなかった。そういう家の変な文化。嫌い。

物の価値って不思議なもので、あるようでないようなものだ。相場なんて誰がどこでどうやって動かして決まっているのか分からない。そこに価値を見いだせるかをよく考えること。

いいものは高いと言えばそうなのだけど、高いからといっていいものとは限らない。いいものが適正価格で売っている場所を見つけるには経験と知識が必要だ。

あと、見栄には注意。見栄こそが、不要なものの購買意欲に火をつけてしまう親玉。そういう競争に乗らないためには、最初から物を持たないに限る。要らないものは持たない。そうすれば人と比較することもなくなる。
好きなものは、自分の好きの明確な基準を見つけると良いと思う。

一方で、楽しむためには上手に大胆にお金も惜しみたくないなとも思う。それが目に入る度にみんなが幸せになるような買い物は、いいお金の使い方だなと思う。

お金はないよりあるに越したことはない。でもお金のことばかり考えるのは嫌だ。お金のために生きているのではない。だが、お金があると人生が豊かになる。

やりがいのある仕事をこつこつ積み上げていくうちに、それに見合ったお金が入るようにする。お金を使うなら、理解して納得しているものにだけ使う。

心に滓が溜まってきたら、みんなが楽しめることのためにお金をどんと使う。長期的計画を立てたら、それに見合った現実的な生活スタイルを身に着けて、ストレスをためずに楽しみながら暮らす。

時々自分の素直な心の声に耳を傾けてみて、冒険したいことがあるかな、と聞いてみる。

そんな感じかな。断然安定志向の考え方だと思う。

人生でどうしてもやりたいことなんてそんなすぐに浮かんでこないし、タイミングとそれに見合った能力や環境が整っているとも限らない。だから、とりあえずは地盤を固めて、生活の足腰を鍛えて置けば、いざ跳びたいと思ったときにぴょーんと跳べるのではないだろうか。


大事に使いたくなるなら、いい買い物。

お金の使い方上手っていうのも、ある意味ではいっぱい変な使い方をしたからなれるっていう側面もあるかなぁなどとも思う。


#お金の話し

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