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窓と春キャベツ

20歳は若いなと思っている自分の感覚に気づいて、自分が年取ったと感じた……。

そして改めて、人生というのは自分が選んでいる道がほかの道と比較してどんな選択であるか、本人はよく分からないまま進まねばならぬものなのだな、と感じた。

どの仕事が景気がいいかとか、その世界で食いつないでいくためにはどんな力が必要かとか、そういうことは業界に十年以上いて何となく見えてくる。いや、分からないまま苦しむこともあるかもしれない。いい先輩に早く出会えれば教えて貰えるかもしれない。あるいは、教えて貰ったところで、なかなかその情報の真偽のほどは見抜けないし、それが自分にとって正しいかどうかは分からない。


人生で本当にやりたいことが見つかったら何回でもやり直したらいい、というのは楽観的すぎるだろうか。親としては、子どもの挑戦は応援してやりたいけれども。自分がやり直すにはなかなか勇気がいる。

タイミングとバランスだな。
スリリングで楽しかったとしても、ストレスフルで身体と心を壊したらそれはやはり不幸だと思う。
一方で、不幸な時期が続いても、納得して選んでいるなら、それは幸せにもなるかもしれない。

広く浅くも、狭く深くも、どちらもそれぞれに楽しさがある。

今日は早く帰れたので、一階の大きな窓を二箇所、洗い上げた。リビングの窓はよく眺めるので、とても気持ちよくなった。和室の方はいつも窓の前の障子を閉めているので、随分と放置してしまっていた。積もった土埃を洗い落とし手垢を拭い去り、まるで窓がないみたいにピカピカになった。

達成感としては、窓の拭き上げは大変にコストパフォーマンスが高い。(個人的に、草抜きはコスパが悪い。)じゃっと流し、ざっと拭き、しゃっと洗剤をかけてもう一度拭きあげたら終わり。
網戸はジェットで流してから、洗剤とスポンジでぶわっと撫で、少し放置してからもいちどジェットで流して終わり。

窓が綺麗だとすごく素敵な人間になったような気になれる(単純)。別の部屋に行っても「1階の窓、綺麗なんだよな~」と心の中で想像して気分良くなれる。

手の中にある達成感はとても大切だ。生活を楽しむことは、人生100年時代において健やかに生きる秘訣だと思う。砂上の楼閣なような幸福の幻を追いかけないことだ。特に他人と比較競争しないこと。要らないものは要らないのだから欲しがらなくてよい。

夢を見るのは良い。だが、手近なことを息長く楽しみながら主体的に続けることが、結局は大切なのだ。それで行けるところまで行く。行ける時には行けるし、行けない時は行けない。そして、ともかく我々の生活は続くのだ。

春キャベツと卵とウィンナーを炒めたのがとても美味しかった。季節の野菜を食べるのも幸せなことだ。


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