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もっともらしいことを語る散文詩

生きる上で大切なことは『アドバイスを受ける時は、なりたい自分になっている者からのことばを受け入れる』だと思います。

同じ世界に生きていてもそれぞれは違う価値観を有するシステムの中で暮らしています。
グループAとグループBにはまったく違う社会があります。

人はなんでも言う。あなたの為を思ってと、言います。
親も先生も、知恵や経験がある人も『さもありなん』とあなたへ話すことでしょう。

その人は、あなたのなりたい人ですか?
あなたの望む幸福を体現しているでしょうか。

もし、あなたとは違う価値観や人生観の人が『さもありなん』と諭してきた時。もし、その人が例えば『人生とは苦難や根性の連続で苦労は買ってでも……』と、それが世界の真理であるかのようにもっともらしく語る時、あなたがそれを訝しく苦痛に思う時、そのことばは手の平に置きますように。
ことばは咀嚼してから飲み込みますように。
丸呑みしては腹をくだします。

さあ、私のことばも手の平に乗せ、不要なら地へ払いますように。

あなたがある人のアドバイスを受け実行し失敗した時、その人はあなたの人生に責任をとってくれますでしょうか?
また、誰かがあなたを否定したとして、そこから出た不利益の責任をその人がとりますでしょうか?
自分の人生に責任をとってくれる人って、つまりは誰でしょうね。
自分をしあわせにする人って、結局誰でしょうね。

私は子どもの頃、本当に愚かでした。
親や先生の言う事は正しいと信じていました。
夏休みの宿題をすることを疑いませんでした。
工作や絵を楽しみ、理科や社会の宿題もがんばってやりました。
どんなに辛くても学校へ行かなくてはいけないと思っていました。
そういう、素直な子どもでした。
かわいいでしょう?
いじめられたこともあるし、バカにされたこともあります。
卒業式までの日を指折り数えたこともありますが、私をいじめた子は何十年も経った今、そんなことを覚えてないでしょう。
そんなものです。
独りでお昼の弁当を食べることを恥じていた思春期もありました。
でも、大人になるとひとりで食事することは当たり前なんです。大人ってほんとうに楽です。
(そんな事はないと話す大人がいたら、私とは違う価値観で生きてるだけのことです。それが社会では当然のことなんですよ)

これを読む子の中で、学校へ行くことが苦しい子がいたら(そんな子はいない方がいいんだけれど)生きる方法は一つではないことを知ってください。社会の中には様々な場があり、多種多様な価値観を持つ人は各々、棲み分けています。

そうして、私が最初に書いたことを実践してください。
『あなたがなりたい人を探し、相談して、アドバイスをもらう』
これだけです。
あなたを大切にする『師匠』や『場』は必ずどこかに存在していて、あなたを認めてくれます。その人はあなたの言葉を話してくれるはず。

ちなみに私はそういう人や場所を見つけるまで30年以上かかりました。
失ったものもたくさんあります。時間やお金、他にもたくさん。
がっかりしました?そんなにかかるなんて、って。
私も途中で諦めそうになりました。
でもね、諦めなくてよかったです。

ですから、あなたはあなたを大切にして、あなたが好きなものを失わないように大切にされてください。
そうしたら必ず、あなたを認める人が現れます。
自身という大前提をもとに仮説を立て、検証し続ければ必ず実証にいたると信じて。

これがあなたへのささやかな杖となりますように。


(了)

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