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今思うと「もう一度、まっさらな状態で『やり直したい』企画」だった。#わたしのチャレンジ

どうもこんにちは。とある絵描きの(もち)です。

なんで「絵描き」なんだと思われる方がいると思いますので、経緯を少し。

以前、こんな企画をやってました。
そこまで参加者が集まらず、なのにスキだけ異様に多い。意味のわからない謎の現象が起きてました。
参加者って、スキの数に比例するもんじゃないの、と当時の私は思ってて。まったくそんなことはなく。ただ「知名度」の低さからぜんぜん集まらなかったのか、設定そのものがよくなかったということが発覚しました。

私はただの一般人です。どっかに寄稿してるとか、毎月の連載とかもないし、ライターでもなければコンテストで賞を取ったとか、読書感想文コンクールも佳作にもならなかったし、同人誌をつくったことも載せてもらったことも、ほかの同人誌のひとつの製作にも関わったことがないのです。
やってみたいなという憧れだけは今でも持ってて、でもそういう人たちとのつながりは、今のところありません。いや、あるにはあるんですけど、声がかからない。マジでひと声もかからない。
そんな河原の石ころみたいな存在なので、個人企画やったって「誰かがなんかやってんな」くらいの印象しか持たれませんでした。

こんなこと自分で書くのすごい恥ずかしいんですけど、最初、この企画は自信があったんです。ほんとは書きたくないんですけど、とにかく自信があった。自分でも意味わかんないけど、自信ありました。
noteって「クリエイター」の街なんだろうけど「小説」とか「エッセイ」の色が強くて、文章以外の企画って、見たことなかったんです。noteに登録する前はアメブロでちょっとだけ書いてた時期があったんですけど、こっちも基本は「文章」での表現で埋まってました。
テキスト見てもだいたい文字の羅列。疲れはしないけど、たまには違うの見たい、って思ったのもきっかけのひとつでした。

で、すっぽかして1年がすぎました。と思います。で、埋め込んだ記事を少し編集してたときに(ゴミ箱に捨てた記事もあるので)、
「干支の絵でも描いてもらえばええやん」
ってなってやったのが昨年の1月? トラの絵を数人の方に描いてもらえたのと、番外編(にもならなかった)「『ねこ』を描いてください」も数人の方に描いてもらえました。けど、そっからは恥ずかしすぎて、実は話題にされるのもイヤでした。
「やらなきゃよかった」って思った日も、もちろんありました。
まず、フォロワーの間で話題にならなかったからよかった。ぜんぜんよくないけど、まったく話題にされなかったのも少し謎でした。例の記事のタイトルに「まったく集まらなかった」とつけたのは、そういう理由もあったからなんです。
「文章を書く」じゃなくて「絵を描く」だから、絵なんて描けないよ…って人もいたはずです。
宣伝するたびに申し訳ない気持ちが先に出ちゃって、そのあとフェードアウトしてったんです。

ただ、私生活では絵を描きたいらしくて。
スマホのメモ帳アプリでお絵描きしたり、スケッチブック買ってきたり、トイレのカレンダーに「謎の鳥(?)の絵」を描いたり、カエルとかカタツムリとか魚とか描いたり。
よくわからない(もち)を生み出したり、野菜に手足生やして遊んでみたり、七十二候の記事に使うヘッダーの「うなぎ」を描いてみたり。スマホに入ってるメモ帳には落書きがいっぱいです。
たまに「描きたく」なるらしいんですよ。なぜか。テーマはなんでもよくて、だからこの企画も「テーマなし」で進めればよかったんです。

なにも考えずに描くと、こうなる。

笑ってくれたのは「最初のうち」だけでしたね。あとは引いてった。
参加しなくても話題にされた(?)ことはなんの自慢にもならないし、自慢にしちゃいけないけど、その瞬間だけは誰かを「笑わせた」らしいです。
笑われるほうは、すごく恥ずかしいんですけどね。

また始めるかもしれないし、二度とやらないかもしれない。って思ってたとき、例の記事にコメントがつきました。

「またやってください」

例の記事 コメント欄から

二度見しました。またやってほしい、って人がいることに驚きました。

絵が見たい。ほかの人の描いた絵が見たい。
描いてて「楽しかった」って言ってくれた人がいたのはたしかです。それ見て「やってよかったのかな」から「やってよかった」になってったのもたしかです。

いただいたサポートは「自分探し(できてないけど)」のために使わせていただければなぁと思ってます。