丹沢山 0621
行きつけの美容院の美容師さんは、昨年登山にはまっていた。日帰りで行ける山に何度も足を運んでいたらしい。
「今度、塔ノ岳に行きたいんですよね、十年前に一度登ってへろへろになったんですけど」
という話をしたら、
「自分も昨年行ってきたんですよ、塔ノ岳へ行って、それから丹沢山を通って蛭ヶ岳まで行って……」
私にとっては塔ノ岳も十分遠くて、自分の足で行けるぎりぎりの範囲だったので、その先は地図の確認すらしていなかった。
「それって、一日で回れる範囲なんですか?」
「十時間以上かかりましたけど。まあ、マラソンもやっているので、その辺の感覚は普通の人とは違うんでしょうね」
その先があると聞いて、ますます行ってみたくなってしまった。七月に入るとまた一つ年を食ってしまうので、その前に行ってみたくなった。また、夏本番になったら無事行って帰って来られる自信がなかったので、勇気を持ってすぐに決行することにした(というほど大げさな行程ではないけれど……)。
前回はヤビツ峠から歩いていったのが、大倉から大倉尾根を通っていったほうが近いので、今回はそちらから行くことにした。
渋沢駅で下車する。渋沢駅は、これからしばらくの間日常的にお世話になる予定の駅であり、あや、と思った。食料は用意していたが、近くにあった100円ローソンをうろつき、二色大福を選んだ。
やがてバスが来ると、秦野駅発のヤビツ峠へ向かうバスとは比較にならないくらい、人が少ない。楽々座りながら、登山口へと向かう。途中の公園で、クライミングの施設を見かけた。オリンピックと関係があるとかないとか聞いていた気がするが、けっきょくどうなったのか知らない。
大倉尾根は、とりつきのあたりは何度かうろうろしていたが、きちんと登るのは初めてだった。今日は、予定では八時間程度歩くつもりだったので、休みつつ、あまり遅れないように慎重にいく。適宜食料補給をする。さほど暑くもないので、水分補給はほどほどに。前回の大山は長袖だったが、今回は半袖にしたせいか、汗の出方が違い、のどの渇き方が全然違う。山に来ると、体の機能を意識するようになる。
ずっと曇っていて、涼しめで歩きやすいもののあまり視界が開けない。塔ノ岳山頂でもそれほど休憩はせず、足早に丹沢山へと向かう。バイケイソウというのだろうか、シカの嫌いな植物がどんと陣取っている。私が普段うろうろうしているところにはあまりなかった植物であり、見慣れない風景だ。晴れていたら、どんな様子だったのか気になった。また秋にでも来てみるか。
一時間ほど歩いただろうか、ようやく着いたときには、ものすごく達成感があり、珍しく山頂の記念碑と一緒に写真など撮ってしまった。私が来たのとは違う登山道から登ってきた人も、山頂に着いた瞬間、感嘆の声を上げていた。私がいたのを見て、気まずそうにしていた。
ここではさすがにゆっくりしようと思っていたら、気のせいか水滴が……、とうとう雨が降ってきてしまったようで、やはりそれほどゆっくりはできなくて、そそくさと今きた道を引き返す。
運の悪いことに、頭も痛くなりつつあった。半ばあきらめているけれど、翌日なにかこういったイベントがあると、寝られなくなることが多いのだ。昨夜もほとんど寝ていなかった。とはいっても寝不足で倒れたことはないので、気づかないうちにそれなりに寝てはいるのかもしれないが……。
塔ノ岳に近づくにつれ、アオバトが姿を現すようになってきた。警戒心が強く、普段人前に姿を現さないアオたちがなぜ私の前には姿を現したのか、それは私が鳥と親和性が極めて高いため、ではもちろんなく、葉の生い茂った木の枝かなにかに止まっていて、こちらからはまったく視界に入っていなかったアオバトたちは、私がそばを通ると、恐怖にかられるのか、飛んで逃げていくのである。その場にいることに、私は露ほども気づいていないのに、逃げることにより逆に自らの存在をアピールする、アオバトは不思議な鳥なのだった(やはり鳩はあまり頭がよくないのか?)。今日は天気が悪いので、大磯に出張していなかったのか、それとも日ごろからすべてのアオバトが出張するわけでもないのか、けっこう山にいるようだった。
歩くにつれて、天気はますます悪くなっていく。どうりで朝人が少なかったはずだ。
本当は、塔ノ岳山頂からくだったところにある湧き水も汲みたかったのだが、さすがに今回はやめた。帰りに道で出会った人は、ほんの二、三人だった。多く日は立ちは、ちゃんと雨のやむ前に下山したのだろう。
雨の中を歩くのが大好きというわけでもないが、大学のころ所属していた部活では、雨の日でも気にせず山へ行っていたため、私はおそらく普通の人よりも、雨の中で歩くことに抵抗はないほうだと思われる。それに、南米へ行くために買ったものの南米では雨があまり降らずほぼウインドブレーカーとしてしか使用していなかった雨具が、こうして本来の目的で使うことができるのはうれしい。
なんとか四時過ぎには下山できた。思ったほどへとへとにはなっておらず、不思議なことに筋肉痛ともほぼ縁がなかった。
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