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私的な音楽体験をもっと大事にしようというおはなし

 新年ですね。おめでたいひともそうでない方も、2022年という年が皆様にとって良いものになりますようにと祈念いたします。

 家族行事、帰省、親戚&ご近所づきあいなどなど、年末年始はとかく「自分の時間」が取れない時期でもありますね。わたし自身も、孫の顔を見せるためにひさびさに新幹線にのり、子の世話に明け暮れ、やっとの思いで余暇の時間を確保できたかと思いきや初対面の方との会話に気を使いすぎたりして(コミュ障あるある)、ひとりの時間をなかなかつくれずにいます。

 忘れがちなことなので自戒を込めて言いますが、そんな大変な時でも、ふとした拍子に聴いた1曲が凍てついた心を溶かしてくれたり、涙さえ誘うということがあったりするので音楽はやめられないわけです。かつて多感なティーンエイジャーだった頃、何度もそうして助けてもらった恩返しのためにいま現在私は音楽関連の仕事に汗をかいているといっても過言ではありません。

 中学生になってピアノ教室をやめたあと、時々弾いていた曲集をいまでもふと思い出すことがあります。ハノンやツェルニー(そしてふるめかしい教授方法)に飽き果てた中二病患者を救ってくれたのは、てきとうに弾いても映画と同じ音のするこれらの作品集と、ピアノを弾いている間は声などかけずにそっとしておいてくれた家族が生み出した静寂でした。わたしはわたし自身の精神を、自分で弾くピアノの音によって慰めることができました。決して良い生徒ではなかった(=練習しない)のですが、このシリーズの曲集はとても演奏しやすく、何冊も好んで集めていました。

 本を読んだり、ピアノを弾いたりしてひとりの時間に没入することが、いかにわたしにとって重要なことだったか。それは、そういう時間を取れなくなって初めて気づくものです。

 しかしこれらの懐かしい曲たちを、たとえば街のストリートピアノで弾こうとは思えないわけです。理由は簡単で、誰かに聞かせたいわけではなく、誰も聴いていない場所でそっと自分にだけ聞かせられれば良いからです。他人に品評されたくもないし「いいね」もいりません。

 
 仕事をはじめ、家族が増え、いつしか自分で楽器を演奏する機会から遠ざかり続けていますが、他者のまえで演奏する喜びと同じくらい、わたしは自分のために演奏してきたのだな、と感じます。ふつうの一軒家で演奏しても迷惑にならない楽器を習おうかなと思うくらい(管楽器やアコースティック・ピアノはさすがにつらいです)恋しくなることがあります。

 実家のアップライトピアノがとうとう処分されるときいて、こんなことをつらつらと書く気になりました。
 ひとりの時間なんかなくても別に問題ない、という方はどうぞそのまま。でも、Soritudeを愛してやまないすべての方々に、新しい年はどうかすこしでも、ひとりで奏でる音楽に浸って心を休められる時間がありますように、あるいは、録音物を自分ひとりで再生して楽しむ時間をもっと気軽につくれますようににと願います。そうしたごく私的な音楽の時間が自分を支えるよすがになり、先のみえない人生の慰めになることを信じています。


 


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