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沖縄慰霊の日

どうも通事誠です

今日は、沖縄での組織的な戦闘が終わった日と、定められた慰霊の日

77年を迎えました

今日も、青い空に白い雲が輝く沖縄ですが、被害があって今の平和がある事を忘れちゃいけない…

6/23この日は、幼少期から学校が休みでした!

12時にはサイレンが鳴り黙祷をする…

野球の試合で、試合途中で黙祷捧げたのを思い出しました

そして今日の12時は、ダンプに乗って高速道路を走っていました

もちろん目は瞑らずですが、黙祷を捧げました!

さて、77年前は昭和20年、僕の親父は昭和25年生まれ

祖父や祖母が戦死していたら、僕らの存在は無かった事になります

そう考えると生命は奇跡ですし、授かった命を大切に使っていきたいですね☆

戦死された方も悔しい思いがあると思いますが、

生き残った方で、“何故私だけ生き残ったのだろう?”と悔やんでいる方に出会ったことがあります

東京は吉祥寺、僕が沖縄料理店でライブをし始めたころでした

その当時乗っていたスクーターが沖縄ナンバー(具志川市)で、隣近所のおばぁが話しかけてきたのです

『あら~懐かしい名前、沖縄の子?』と…

コミュニケーション取るうちに、家に上げてくれました

ちょうどその頃、慰霊祭に出演しないか?と依頼があって、沖縄の戦争を調べ始めていた頃でした

そして、おばぁにストレートに聞いたのです!

『おばぁは戦争を体験したの?』と…

すると、『もう忘れたわ!』と返ってきました

その後、数日経って、また家に招いてくれました

そして、奥から持って来たのが、厚めのアルバム…

『これが私よ!』と指を挿して写真を見せてくれたのですが、それがひめゆり学徒隊の写真だったのです

それから戦争の体験話は、僕が数日前に何気に聞いた、“おばぁは戦争を体験したの?”と、軽々しく質問したことを後悔させる事となりました

あまりにも衝撃な話だった為、何日間か頭を整理していました

そして、この話は曲にしようと、書き綴りました

タイトル

~おばぁの話~

ねぇおばぁ 戦争の話を聞かせてくれないか?

うつむいたまま話してくれた 僕は言葉を失った

目を瞑るたび 今尚残る 瞬きのたび倒れてく人

友達の声 今も聞こえる 先に逃げてと最後の言葉

走って逃げた 行くあてもなく 死体だらけの地獄の道を

喉は乾き 涙も乾き 空見上げれば 鉄の雨

今なおいえぬ傷は 繰り返し誰かが背負うのか

平和の願い届け 世界中に届け

エイヤーサーサー エイヤーサーサー 手と手合わし 祈りを捧げ

エイヤーサーサー エイヤーサーサー 声を合わし 平和を願う

何処へ逃げても 死んだ人を多く見る毎日が続き

家族失い 友を失い 生きてる意味さえ失った

記憶をかえすことが恐い 残酷地獄恐怖の日々は

何十年と経った今も 思い出すたび震えてしまう

戦争という文字は いつしか世界から消えるだろうか

平和の願い届け 島の願い届け

エイヤーサーサー エイヤーサーサー 手と手合わし 祈りを捧げ

エイヤーサーサー ユイヤーサーサー 声を合わし 平和を唄い

シケニトゥドゥチタボリ (世界に届きます様に)

ねぇおばぁ 戦争の話を聞かせてくれないか
_______________________

口づさみながら書きましたが、

当時の事を思い出し、熱くなりました

この話には続きがあります

実はこの曲がCDになって、おばぁの想いが綴れた!と、渡しに行ったのです!

が、次の日に封も開けずに、ポストへ投函されていました

僕は何をしているんだろうか?これでおばぁの傷が癒せる??

いや、更に深くしてしまう!と反省したのを憶えてます

思い出したくはない…そう聞こえてきました

おばぁの戦争は、終わることはないのです

通事誠でした また明日






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