見出し画像

#20 六条河原院のこと

 NHK大河ドラマ「光る君へ」が好評である。平安時代というよく分からない時代を扱う難しさはあろうが、丁寧な脚本と演出、音楽、俳優の名演はかつての「篤姫」を彷彿とさせる。時代考証も素晴らしく、歴史的な小道具の数々も物語に華を添えている。
 主人公の紫式部は言わずと知れた『源氏物語』の作者であるが、残念ながら筆者はまだ読んだことがない。ドラマの中で藤原道長とまひろ(紫式部)が逢瀬を重ねる「六条」の邸宅跡は、おそらく『源氏物語』の主人公、光源氏のモデルとなった源融(822~895年)の邸宅「河原院」をイメージしているのだろう。光源氏の豪邸「六条院」のモデルでもある。どうやら「光る君へ」には、『源氏物語』の場面を意識した演出が多いらしい。
 河原院は、平安京左京六条四坊十一町から十四町までの4町に亘る広大な邸宅であり、現在の下京区河原町五条周辺にあたる。陸奥出羽按察使であった源融は、陸奥国の歌枕でもある「塩竃の浦」の景観を邸宅内の苑池に再現し、風流を楽しんだことで知られる。難波から海水を運ばせ、塩焼を行ったとの伝承もある。実は現在でも塩竈町、本塩竈町という地名が残っており、塩竃山上徳寺(浄土宗)なる寺院もある。平成6年(1994)の発掘調査では、河原院の苑池の一部が見つかっており、池底に青い粘土を貼り、その上に拳大の石を敷き詰めていたという。
 源融は嵯峨天皇の第十二皇子であり、臣籍降下して嵯峨源氏融流の祖となった。一世源氏の貴族として順調に出世し、貞観14年(872)には太政官首班の左大臣に任じられている。仁明天皇、文徳天皇、清和天皇、陽成天皇、光孝天皇、宇多天皇に仕えており、源融の死後、その子、源昇は河原院を宇多上皇に譲り、仙洞御所としている。
 ちなみに、宇多天皇の孫が左大臣源雅信であり、その娘は道長の正妻、倫子である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?