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#64 長寿寺のヤマユリ

 過日、北鎌倉の宝亀山長寿寺(臨済宗建長寺派)を訪ねた。とは言っても拝観はせず、山門前の山百合(ヤマユリ)を見に行ったのである。今はちょうどヤマユリの季節であるが、ここは隠れた名所として知られている。境内にも咲いているのだが、山門前の石段周辺には多くのヤマユリが咲いており、白い大ぶりの花弁とともに強い芳香を楽しむことができる。
 長寿寺は、創建や開基は不明であるが、南北朝時代に鎌倉公方足利基氏が、父尊氏の菩提を弔うために建立したと伝えられている。境内には尊氏の遺髪を納めたという五輪塔もあるらしい。ちなみに、山門前には亀趺に乗り、「佛頂尊勝陀羅尼」と刻まれた石塔が建てられていた。同様の石碑は全国各地に点在している。
 また、長寿寺は、尊氏が帰依していた禅僧、古先印元が第2代将軍足利義詮(基氏の実兄)の求めに応じて開山になったともいい、境内には古先印元の墓所もある。正宗広智禅師こと古先印元は薩摩生まれであるが、鎌倉円覚寺に入門して得度し、文保2年(1318)、元へ渡った。天目山の中峰明本らに師事し、嘉暦元年(1326)、清拙正澄の来日に随って帰国、同じく建長寺へ入った。その後、甲斐恵林寺の住持、京都等持寺の開山となり、長寿寺の開山として招かれるのもこの頃とされる。尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うために建立した天龍寺の大勧進を主導したことでも知られる。全国各地に禅師を開山とする寺院があるが、京都真如寺、万寿寺の住持、鎌倉浄智寺の住持などを歴任し、正平14年(1359)には円覚寺29世、次いで建長寺38世となった。晩年は長寿寺に居住し、当寺で没したという。
 ヤマユリは百合の王、女王とも称されるほど大きな花弁が特徴的であり、山(ヤマ)が冠されるように我が国固有種の百合である。ユリ科ユリ属の多年草で、鱗茎(球根)がユリ根として食用になるため、料理百合の異称もある。中国名は「金百合」、学名の「リリウム・アウラツム」はラテン語で「黄金色の百合」の意であり、花弁に金色の筋が何本も見えることから名付けられた。白い花弁と斑紋が特徴的である。北陸を除く近畿以北の日本列島に分布し、草丈は1~1.5mに成長する。茎の先に1つ~数個の花弁を付ける。花期は夏(7~8月)で、鱗茎植物らしく群集で咲くことが多い。強い芳香があり、山野でもよく目立つ。筆者の住まう神奈川県の花でもある。
 鱗茎は食用ばかりでなく、生薬としても知られており、鎮咳、強壮、不眠に効果があるとされる。ユリ根は縄文時代から食用に供されていたとする話もよく聞くが、縄文遺跡から直接的な証拠である植物遺体が検出されたとの話は寡聞にして知らない。たしかに大きく美味で、簡易なアク抜きだけで食用にできるヤマユリの鱗茎を縄文人が見逃すとは思えないが、現代人の常識で数千年前の過去を推し量るのは慎重な判断を要するだろう。

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