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#33 香炉峰の雪

 今夜のNHK大河ドラマ「光る君へ」は、いろいろと物語は進んだが、個人的なクライマックスはやはり中宮定子と清少納言のやり取り「香炉峰の雪はいかがであろうか」の場面であった。先週の予告編から話題となっていたようだが、これは『枕草子』の有名なエピソードであるため、『源氏物語』だけでなく、『枕草子』の場面も盛り込んだ形となった。
「香炉峰の雪」といえば、女性の機智に富んだ対応そのものを指す慣用句ともなっているが、かかる『枕草子』の一節を基とする。雪の積もった朝、御簾も格子も締め切って炭櫃(囲炉裏か火鉢)で暖をとっていたところ、漢学の素養も高かった定子が女房たちを試すように「香炉峰の雪はいかがであろうか」と言葉を発し、それにすぐさま反応した清少納言が格子を開けさせ、御簾を高く上げたというエピソードである。作者の清少納言は自身の仕える中宮定子の教養の高さを強調するとともに、自らの教養や機智も示唆しているわけだ。このようなアピールこそ紫式部にこき下ろされる原因なのだが、それはまた別の話。
 ちなみに、香炉峰の雪とは、唐代の詩人白居易が詠んだ漢詩に由来しており、長安から揚州(江西省九江)に左遷された白居易は、左遷の怨みではなく、悠々自適の境遇を楽しむように廬山の風景を漢詩に詠んだ。その一節に「遺愛寺の鐘は枕を欹(そばだ)てて聴き、香炉峰の雪は簾(すだれ)を撥(かか)げて看る」がある。詩の文脈としては、すでに日は高く昨夜は十分寝たのに起きるのが億劫だ、布団は十分に暖かい、聞こえてくる鐘の音は枕を高くして聴き、近くにそびえる香炉峰の雪景色は(横になったまま)簾を高く上げさせて見る、の意である。白居易は司馬という刺史(地方長官)の補佐役に任じられたが、地方官の司馬とは実は閑職で、左遷のための役職であり、実際の職務などなかったのである。そのため、昼まで寝ていてもよいし、考えようによってはこんなに贅沢な境遇はない、郷里は長安ばかりではないと詠んだ。
 さて、かかる境遇は中宮定子とあまり共通点はないようにも見えるが、関白藤原道隆の箱入り娘として育ち、一条天皇中宮にまで上り詰めた自身の姿に重なる部分を感じていたかどうかは分からない。悠々自適な時期だったのかもしれないが、女性でありながら漢学の造詣が深かったことは、母である高階貴子の影響でもあるのだろう。貴子は和歌や漢詩の才能に恵まれ、特に漢学の素養の高さで知られており、殿上(宮中)の詩宴に招かれるほどであった。

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