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ベンチの2本 #シロクマ文芸 ー「ラムネの音」

(読了10分くらい)

(始)

「ラムネの音 を探してほしい」

年齢は60代くらいだろうか、初老の男性からの依頼であった。

なんでも病床にある父親が「最期に聞きたい音」として、子供の時分に好んで飲んでいたラムネの開封音を切望しているとのことだった。

(なかなか珍しい依頼だが、聞けばガラス製のビンを単一の音源として発せられる音というし難しい依頼ではあるまい。それに金払いもよいことだし・・・)
”探音士”のMはこの依頼を引き受けた。
「承知しました。作成した音源は2ヶ月後に納品します。支払いは完了払いで」

探音士は「音」の探索および再現を生業としている職業である。
主に基底現実のあらゆる音源をバーチャル空間上で再現する業務が多く、一昔前であれば同業者も多かったものだが、すでに考えられるほとんどの音源がバーチャル空間上に再現されている現在では、斜陽の業界である。

Mはまず「ラムネ」について調べはじめた。

M自身はラムネの実物を見たことがなく、Web上に残る映像記録と製造方法をもとに想像を深めていった。

ラムネ瓶の製造はすでに60年前に終了しており、最後の国内製造元であった「大東硝子工業」もそれから程なくして倒産となっている。
瓶の素材はガラスであり、飲み口にゴムやプラスチックを利用した派生品もある。
栓は”ビー玉”なるガラス玉を利用し、製造初期は内部のサイダー飲料の炭酸による圧力により、その後は工業化が進み機械による吸引により封をするらしい。
そして、この封となっているビー玉を押し入れることで開封するものとのことだ。

「理解できないほど非効率な製造方法。ガラスの製造からサイダー飲料の投入、そして、このガラス玉による封印・・・ペットボトルに勝る要素が一つもないのではないか」

Mはその製造法についてなじりつつも、頷いた。
「とはいえ、なるほど、この機構から発する音は特異なものに違いない」

Mの考えた「ラムネの音」の再現案は3つ。

1つ目は、実物を入手し収音する方法。だが、これはすぐ却下した。
すでに製造は終了しており、残る現物は「和暦博物館」にしかない。よしんば入手できたとしても内容物のサイダー飲料の炭酸が抜けており開封音の再現は難しいだろう。

2つ目は、残る映像物などから音をダビングする方法。これはこれまでの仕事でも使い慣れた手法であり、録音した音をチューニングし音質の劣化をカバーするだけで、ほぼ現物と同じ音を再現できた。
ただ、これも1週間ほどの調査のうえ却下された。

「昭和」と呼ばれた元号において撮影された映像が残っていたものの、映像そのものの劣化が激しく、また背景音として”風鈴の音”や”複数人の子供の声(小学生くらいの男子数名か)”、”セミの鳴き声”がラムネの開封音に覆いかぶさっており、対象の音のみを抽出することが難しかった。

3つ目(結局はこれを採用した)。
知り得た製造方法や素材、形状、開封方法からコンピュータ上でシミュレーションし、それらしい音を再現する方法である。

すでに2つ目の案を調査する過程で、なんとなくの音はMの頭の中にあったことから、シミュレーション結果と比較検証・リトライすることで再現が可能と見込んだ。

1ヶ月半の作成期間のあと、Mのなかで満足できる出来栄えの再現音が完成した。

早速Mは依頼主の男性に連絡を取った。
「依頼いただいていた「ラムネの音」について再現ができました。ついては、納品のため伺いたいのですが」

「あっ、そうですか。ありがとうございます。父も完成品を聞きたいそうなので、○日の土曜日、XX病院まで来ていただけますか」

数日後の○日、MはXX病院のまえに来ていた。
白磁の塔、というにはやや煤けた印象の壁面だったが、この地域一帯で一番大きな病院とのことで設備は整っているようであった。

依頼主とその父は、3階の個室にいた。

「これはこれは、ご足労いただきご苦労さまでした。この日を楽しみにしておりました。ささ、早速「ラムネの音」をお願いしますわ」
依頼主の父は九十を超える老人ではあったが、口調ははっきりとして痴呆が入っているようでもない。

Mは、老人とその隣に立っている依頼主にビジネス的な微笑をしつつ、SONY製のヘッドホンを老人に渡し、再現音を再生した。

「ートンッ、ツッ、カ(ン)・・・シュヂュヮー・・・・」
時間にして5秒足らず

老人は目を閉じ音に聞き入っていた。

再生し10秒後

老人は眉間によったシワを緩めながら目を開けた。
「んん・・・こんな音だったかの。うん、確かに、こんな感じのガラスの響く音と、その後の炭酸シュワワ〜があったか。そうそう、こんな音だったな、うんうん・・・」

老人の思い出と若干の相違があったようだったが、もう80年以上も前のことであるし、理論的にはほぼ完璧に再現された音とどちらが”それらしいか”は老人も理解していた。

「親父、どうだ?こんな音だったか」
依頼主は老人に訪ねた。

「うむ、こんな感じで間違いないの。あの頃は、カっちゃんやノブ、みっちゃんとよく公園で遊んでいての。帰り際、よく近くの駄菓子屋でコレを飲んでいたもんだ。もう残っているもんも少ないがの、ククク、フ・・」
老人は子どものような、はたまた年相応の老人のような目で依頼主と、Mに目を向けた。

依頼主に請求書を渡し、Mは病院を出た。

病院の外にでると、まだ昼過ぎの陽光が眩しく、近くの公園で休憩することにした。

土曜日の休日ということもあり、何グループかの子供らが鬼ごっこなのかただのかけっこなのか、ワイワイと遊んでいた。

子供らから少し離れたところの木陰にベンチがあり、Mはそこへ腰をかけることにした。

納品に向けて根を詰めていたためか、ベンチに腰掛けたときから、目の裏がじんじんとほのかに熱く、半ばウトウトと無意識に午睡の準備をしていた。

「今回はなかなか難しかった。ここ最近は深夜までシミュレータを回していたから、ちょっと課金がきついかもな。それでも、上手く再現できたほうだろう、来月には十分リターンも入る。
ただ、ちょっと老人の思い出と違っていたようだったな。まあ記憶の中の音なんてそんなものだろうしな・・・」



・・・
「・・・お〜い、マー、そろそろ帰ろうぜ。明日も学校じゃんか」
親友のガクだろうか。公園の出口のほうから手を振っている。

「そうだね〜、あっ、小テストって明日だっけ?」
気の抜けた返事。
授業でサッカーをしたのに、その帰りに鬼ごっこで走りまわって、さすがに疲れたようだ。

さっきまでジャングルジムの真上にあり、この世の主役かのように爛々としていた太陽も、もう目線のやや上の高さまで下がっており、青一色だった空ももうオレンジ色が視界のすぐ外にあるようだ。

ガクに追いつき、自宅までのいつもの道程。
いつもの駄菓子屋の赤いベンチに、2人同時に腰を下ろす。
ランドセルの底に忍ばせたガマ口財布から小銭を出し、店の奥に引っ込んでいるおばあちゃんに声をかける。

「おー、いつもの坊っちゃん方か、また来たね。ほんとは買い食いはダメなんだよ。でも君んらのお家は、すぐ近所だからね。一回帰ったことにして・・・」

店主とおぼしきおばあちゃんが奥の冷蔵庫から、ビンを2本取り出し、そして・・・

風鈴とセミの鳴き声が耳にうるさかった。

(了)


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