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科学コミュニケーション 記事まとめ

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科学コミュニケーションに関する記事をまとめています。
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#コミュニケーション

考える道具としての言語。伝える道具としての言語。

私が頭の中で何か真剣に考え事をしているときは「〜である」口調の日本語を使っていることが多いです。真剣ではないときはもう少し砕けた感じの口語に近いですが、基本的には変わりません。 一方、誰かに何かを伝える意志が強くはたらいているとき、ここ数年は「〜です/〜ます」口調を使っています。相手を強くイメージし、その人とコミュニケーションをとることを強く意識します。その人に話しかけるようにすると、自然と丁寧語に近い言い回しになります。私にとって「〜である」口調が【考える道具としての言語

科学の「先端」は「すみっこ」と紙一重

「先端科学」「先端技術」「最先端の研究」って、どんなイメージでしょうか? 未来的? すごい? 逆に、先端を行ってない科学技術の価値はなんでしょうか。 今回は「先端」という語を切り口で、科学や技術をどう語ることができるのか、考えてみたいと思います。 戦後、経済が急成長する中で、日本は最先端の研究を行い、最先端の技術を多く生み出してきました。けれど、当時最先端ではない技術を集めて作られた「iPhone」は、残念ながら日本からは生まれませんでした。 日本に足りないのは、イ

科学コミュニケーションの場で意識する、機能的価値と情緒的価値

私はこれまで、科学と社会をつなげるためのコミュニケーションの場をつくる「科学コミュニケーター」という仕事をしてきました。 この仕事をしていく上でいつも苦心してきたのは「そもそも何でコミュニケーションが必要なのか?」ということを、情報の送り手である研究者と受け手である参加者にどのように実感してもらうか、でした。 社会の中の文脈ではコミュニケーションスキルは重要視されますが、その割には実はコミュニケーションという言葉が含有する範囲をせまく見積もったり、その価値を見出していない

私が「科学エデュケーター」を名乗るワケ

私は最近自分のことを「科学エデュケーター」と名乗っています。 別にこういう肩書きがあるわけではなく、ただ名乗っているだけ。この記事を書いている時点では「科学コミュニケーター」という別の肩書きを持っていながら、敢えてこの肩書きを名乗っているのには理由があります。 教師(ティーチャー)ではない現職の前は、理科の教師をしていました。その時は「教師」とか「教員」と名乗っていればよかったのですが(もっと正確に言えば「教諭」)、現在は科学館に勤めているので、その肩書きを使うのは誤解を

不登校生に学んだコミュニケーション

科学コミュニケーターという仕事に就く前は、地方の理科教員でした。 主に中学校と高等学校を7年。うち2年は大学院に通いながらの非常勤講師。学級担任を受け持ったのは3回、副担任を加えると4年。経験豊富とは言えませんね(苦笑)。ただ、コミュニケーションスキルという意味では、今役に立っている私の技術の大部分は、この期間に身についたと言えるでしょう。 なかでも、不登校になった子どもたちや保護者と付き合ったことが大きく影響しています。 数えてみたら、担任を受け持った3年間の間に約3