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科学コミュニケーション 記事まとめ

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科学コミュニケーションに関する記事をまとめています。
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広すぎず、尖らせすぎない科学コミュニケーションとは?

科学教育や啓発に何らか関与するイベントや広報誌に関する仕事をする際、私が注意することがあります。それは、参加する/読む対象を、広すぎず、しかし尖らせすぎないということです。 マーケティング的に言えば、ペルソナ(対象)はより具体的で明確な方が良いのでしょうが、こと教育や啓発に関しては「普及」も大きな目標の1つ。そうなると、ターゲットとなる対象はある程度絞りつつも、その周辺に当たる浅く広い裾野の人ともほんの少しでも良いから関連性が見えるようにすることが大事だと感じます。 尖ら

考える道具としての言語。伝える道具としての言語。

私が頭の中で何か真剣に考え事をしているときは「〜である」口調の日本語を使っていることが多いです。真剣ではないときはもう少し砕けた感じの口語に近いですが、基本的には変わりません。 一方、誰かに何かを伝える意志が強くはたらいているとき、ここ数年は「〜です/〜ます」口調を使っています。相手を強くイメージし、その人とコミュニケーションをとることを強く意識します。その人に話しかけるようにすると、自然と丁寧語に近い言い回しになります。私にとって「〜である」口調が【考える道具としての言語

学問の楽しさって、入り口は「分かるとおもしろい」だと思う

私は現在科学エデュケーター/科学コミュニケーターとして活動をしています。学校教育では現在大学で理科の教職科目を担当したりもしています。詳しくは自己紹介をご覧いただけると嬉しいです。 こんなプロフィールを書くと、側から見るとさぞ理科や科学が好きなんだろうと思われるかもしれませんが、実のところ、私は最初から理科が好きだったわけではありません。残念ながら、宇宙がすごく好きだとか、昆虫が好きだとか、そういう分かりやすいエピソードを持っていないんです。 じゃあなんで理科や科学の教育

難しい内容は「表現」をやさしくして、わかりやすく伝えよう

先日、私が書いたコラムが慶應義塾大学SFC研究所 健康情報コンソーシアムのWEBサイトに掲載されました。このコンソに関わるメンバーが連続してコラムを執筆するという企画なのですが、そのトップバッターになってしまい、ちょっと気恥ずかしくなっています。 このコラムでは、新型コロナでより一層の難しさを感じる、医療・健康と一般の方とのコミュニケーションをより良くするために、小さな改善から始めてみませんか?という提案をしました。 私は2021年4月から健康情報コンソーシアムの活動に加

知識のアップデートの必要性、どれくらい理解されている?

新型コロナウイルス感染拡大が止まりません。 第5波の特徴は大きく二つ。一つは新型コロナウイルスの中でもデルタ株と呼ばれる種類の感染力が、これまでの種類よりも大きいということ。もう一つはより若い世代でも感染するということ。 後者については、18歳未満の子どもの間でも感染が広がっていることが、ワクチン接種の進んでいるイスラエルやアメリカといった国で報告されています。マスク着用義務の緩和など示していた国が、もう一度着用を促すなど、これまでの政策からの転換が見られます。 先にあ

科学の「先端」は「すみっこ」と紙一重

「先端科学」「先端技術」「最先端の研究」って、どんなイメージでしょうか? 未来的? すごい? 逆に、先端を行ってない科学技術の価値はなんでしょうか。 今回は「先端」という語を切り口で、科学や技術をどう語ることができるのか、考えてみたいと思います。 戦後、経済が急成長する中で、日本は最先端の研究を行い、最先端の技術を多く生み出してきました。けれど、当時最先端ではない技術を集めて作られた「iPhone」は、残念ながら日本からは生まれませんでした。 日本に足りないのは、イ

科学コミュニケーションの場で意識する、機能的価値と情緒的価値

私はこれまで、科学と社会をつなげるためのコミュニケーションの場をつくる「科学コミュニケーター」という仕事をしてきました。 この仕事をしていく上でいつも苦心してきたのは「そもそも何でコミュニケーションが必要なのか?」ということを、情報の送り手である研究者と受け手である参加者にどのように実感してもらうか、でした。 社会の中の文脈ではコミュニケーションスキルは重要視されますが、その割には実はコミュニケーションという言葉が含有する範囲をせまく見積もったり、その価値を見出していない

科学教育と科学コミュニケーションの違い #3 マーケティングと広報

このnoteでは「科学教育と科学コミュニケーションの違い」について、方向性と文脈という観点からこれまで私が考えてきたことを整理してきました。 今回は、科学教育の理念とは全く異なるところから科学コミュニケーションを捉えてみます。その一つが今回紹介する「マーケティングと広報」という観点です。 マーケティングと広報が科学コミュニケーション?まず素朴な疑問として、マーケティングや広報が科学コミュニケーションとなりうるかという点について触れておきます。 結論から言うと、なります。

科学教育と科学コミュニケーションの違い #2 文脈

同タイトルで、前回は方向性の違いについて書きました。 その中で1番最後に次のようなことを書きました。 科学教育と科学コミュニケーションの違いを考える別の論点も考慮する必要があります。それは、フォーマルとノンフォーマルの違いです。 今回はその続き。フォーマルとノンファーマルに関係する「文脈」の違いについて整理します。 フォーマルとノンフォーマルの違い教育学の世界では、教育環境の違いから「フォーマルな教育」「ノンフォーマルな教育」「インフォーマルな教育」という3つの概念を

科学教育と科学コミュニケーションの違い #1 方向性

これまで考えてきたことを少し言葉で整理してみようと思います。今回は、科学教育と科学コミュニケーションの違いについてです。 前提として、この違いは大多数の人にとってはどうでも良い話だと私は認識しています。多かれ少なかれ誰かがこのどちらかに出会う機会があったとして、それがどちらかであるかは重要ではありません。これはあくまで出会いをつくる側の都合の問題です。 しかし、科学の出会いをつくる人間が勘違いをしていると、伝えたいものが伝わらず、浅い学びしか提供しないといったことは起こり

私が「科学エデュケーター」を名乗るワケ

私は最近自分のことを「科学エデュケーター」と名乗っています。 別にこういう肩書きがあるわけではなく、ただ名乗っているだけ。この記事を書いている時点では「科学コミュニケーター」という別の肩書きを持っていながら、敢えてこの肩書きを名乗っているのには理由があります。 教師(ティーチャー)ではない現職の前は、理科の教師をしていました。その時は「教師」とか「教員」と名乗っていればよかったのですが(もっと正確に言えば「教諭」)、現在は科学館に勤めているので、その肩書きを使うのは誤解を

不登校生に学んだコミュニケーション

科学コミュニケーターという仕事に就く前は、地方の理科教員でした。 主に中学校と高等学校を7年。うち2年は大学院に通いながらの非常勤講師。学級担任を受け持ったのは3回、副担任を加えると4年。経験豊富とは言えませんね(苦笑)。ただ、コミュニケーションスキルという意味では、今役に立っている私の技術の大部分は、この期間に身についたと言えるでしょう。 なかでも、不登校になった子どもたちや保護者と付き合ったことが大きく影響しています。 数えてみたら、担任を受け持った3年間の間に約3