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科学コミュニケーション 記事まとめ

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科学コミュニケーションに関する記事をまとめています。
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#教育

考える道具としての言語。伝える道具としての言語。

私が頭の中で何か真剣に考え事をしているときは「〜である」口調の日本語を使っていることが多いです。真剣ではないときはもう少し砕けた感じの口語に近いですが、基本的には変わりません。 一方、誰かに何かを伝える意志が強くはたらいているとき、ここ数年は「〜です/〜ます」口調を使っています。相手を強くイメージし、その人とコミュニケーションをとることを強く意識します。その人に話しかけるようにすると、自然と丁寧語に近い言い回しになります。私にとって「〜である」口調が【考える道具としての言語

科学教育と科学コミュニケーションの違い #3 マーケティングと広報

このnoteでは「科学教育と科学コミュニケーションの違い」について、方向性と文脈という観点からこれまで私が考えてきたことを整理してきました。 今回は、科学教育の理念とは全く異なるところから科学コミュニケーションを捉えてみます。その一つが今回紹介する「マーケティングと広報」という観点です。 マーケティングと広報が科学コミュニケーション?まず素朴な疑問として、マーケティングや広報が科学コミュニケーションとなりうるかという点について触れておきます。 結論から言うと、なります。

科学教育と科学コミュニケーションの違い #2 文脈

同タイトルで、前回は方向性の違いについて書きました。 その中で1番最後に次のようなことを書きました。 科学教育と科学コミュニケーションの違いを考える別の論点も考慮する必要があります。それは、フォーマルとノンフォーマルの違いです。 今回はその続き。フォーマルとノンファーマルに関係する「文脈」の違いについて整理します。 フォーマルとノンフォーマルの違い教育学の世界では、教育環境の違いから「フォーマルな教育」「ノンフォーマルな教育」「インフォーマルな教育」という3つの概念を

科学教育と科学コミュニケーションの違い #1 方向性

これまで考えてきたことを少し言葉で整理してみようと思います。今回は、科学教育と科学コミュニケーションの違いについてです。 前提として、この違いは大多数の人にとってはどうでも良い話だと私は認識しています。多かれ少なかれ誰かがこのどちらかに出会う機会があったとして、それがどちらかであるかは重要ではありません。これはあくまで出会いをつくる側の都合の問題です。 しかし、科学の出会いをつくる人間が勘違いをしていると、伝えたいものが伝わらず、浅い学びしか提供しないといったことは起こり

私が「科学エデュケーター」を名乗るワケ

私は最近自分のことを「科学エデュケーター」と名乗っています。 別にこういう肩書きがあるわけではなく、ただ名乗っているだけ。この記事を書いている時点では「科学コミュニケーター」という別の肩書きを持っていながら、敢えてこの肩書きを名乗っているのには理由があります。 教師(ティーチャー)ではない現職の前は、理科の教師をしていました。その時は「教師」とか「教員」と名乗っていればよかったのですが(もっと正確に言えば「教諭」)、現在は科学館に勤めているので、その肩書きを使うのは誤解を