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ノンシュガーガムシロ散歩


ある日の日記


散歩を試みた。
しっかり歩いていないなと思ったから。歩くのは健康的だと言われているから健康を得ないとなと思った。歩けば歩き続けられるほうだ。天気もいいし。早めのお昼ごはんを食べ、出かけた。
聴けてないラジオを片っ端から聞きながら歩こうかと思い、そうした。

知らない道を歩くのを私もやりたくて、この道行ったことないなという道を探しながら行くことにした。

しかし、長く住んでるわりに自意識が邪魔して余所者の不審者と思われたらとか、行きどまりの私有地に知らずに入っておばさんに睨まれる妄想をしてしまう。
それで知った道を歩く。

歩くとまたいつも視界に入り続けてるけど入ったことのない路地を見つけて「ああ」と思う。知らない誰かに怒られる妄想がまたはじまり、路地行きは脳で却下される。視線は路地を向いたまま通り過ぎる。目の前の人が曲がったほうに付いていくのはより怪しまれるからただ見知った道を無意味に遠回りし、また同じ管轄内で鉢合う恐れのある郵便の原付の進む地区を無意味に避け(またこの人いると思われたくないから)、公園のベンチに辿り着く。

ここ数年で発見した裏山の近道を行こうと思ったら「管理車両以外侵入禁止」のラミネート看板が新設されていて、足が止まった。裏から来るとこの看板までは距離があって、人の歩ける歩道がある。
だから正面からこの看板を見たとき、私は車両ではないから侵入可能では?と一休の頓知がよぎったけど、人間も実は内包していたらどうしようとか、知らないおじさんに怒られてトラブルになると思って回れ右をした。人の入る隙間はあったからほんとは良いのかもしれないけど、奇抜で訴えの強い看板に怯んでしまった。

こんなことがいくつか起きつつ起こしつつ歩いていたのて心が本当に疲れてしまった。体はまだ歩けるのにもう気力をゼロにして這いつくばってコーヒーチェーン店に来て飲む気のなかったアイスコーヒーをMサイズでたのみ、気の迷いで砂糖を欲していたのにノンシュガーのガムシロを選び、惰性でミルクのポーションを取り、「ああ」と思いながらコーヒーを啜った。

家に帰るのもまた決断が要る。どのプランで帰ろうか考えることが多い。歩くか寄り道するか電車かバスか。散歩の帰りにタクシーは馬鹿馬鹿しい。気持ちがバテてしまった犬は飼い主がなんとかしてくれるけどひとりの人間はどうにもならない。どうにもならなくて「散歩 気力なくした」「散歩 動けない」で検索すると、飼い犬の記事しか出てこない。

人間は自分の意思で行う散歩で気力をなくさないし、「人間がもし散歩の途中で気力をなくしたらどうすべきか」という情報を、金稼ぎ目当ての雑なサイトでもわざわざ残さない。散歩は健康にいいとか、だるいときは散歩をやめましょうとか、その程度だった。

ガムシロのノンシュガーを選んだのも健康に囚われた強迫観念かなにかなのかもしれない。ラジオも頭に入ってこなくて何十分も無音のイヤホンを聴いているが、おば様の会話が貫通してくるのでそろそろ店を出るかと思い始めることができた。

そこからまた1時間歩き、疲弊したまま電車に乗ってイヤホンの音量を操作をミスって最大まで上げて耳を壊す。音漏れしたろうな。恥で落ち着かなくなった。

そのまま降りようと思った駅も乗り過ごし、次の駅で降りた。食事のできるコーヒー店に入るとだれもこんなに疲れていなくて、皆ゆったりしている。
自分もゆったりしてやろう、と思わされる空間。人もまばらだ。ゆったりした人のフリがゆるされているし、そうせざるを得ない。すべてを諦めてドリンクとポテトフライを頼む。自分の身の丈に合った健康を手に入れるのは難しい。

微妙に遠いところまで来てしまい、どうやって帰ろうかの不安だけがある。ゆったりしきるまで頑張ろうと思う。照明が赤橙で助かる。これを書きながら文体に既視感があるなと思った。いつも書く夢日記の文体だ。





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