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セックスレスの話③悪循環(どうせセックスしないくせに)編

【注意】
これは一人のレスられ女の過去日記みたいなものです。レス解消の参考になりません。


①では「うちってセックスレスでしかも私が断られる側?」と自覚した時のことを、②では誘って失敗した時のことや問い詰めた時のことを書いた。
誘っても応じてもらえない状態が続くと不満が蓄積されていく。断られた直後だけではなく日々の全て、相手の一挙手一投足に対して不満を覚えるようになった。
何かにつけて「どうせセックスしないくせに!」が浮かんでしまうのだ。


我が家はスキンシップが多い。皿を洗っていれば尻を揉まれ、ベッドで横になっていると腹や乳を触られる。
「もしやこれからエロいことがおっぱじまるのでは?まさか前戯?」という触られ方ではない。残念ながら、断じてそういう触られ方ではないのだ。
「ハァ〜柴犬の子犬ってきっとこんなお腹なんだろうな、犬飼いたいね」と言いながら腹を撫で、乳に至っては変なリズムをつけて揉んでくる。確実に頭の中で何か歌っているとわかる。こいつさてはどんぐりころころのリズムで揉んでやがるなと気付いた時は苛立ちが頂点に達し肩に一撃入れた。
スキンシップが嫌いなわけではないが、なんでもない時に乳や尻・下腹部を触られたって愉快な気持ちにはなれない。馬鹿にされている気しかしない。不快極まりない。
「不愉快だからやめろ」「包丁を使ってる時に股間を押し付けてくるな」と強めに注意すると五分くらいはしおらしくしているが、すぐにまたペタペタ触ってくる。端的に言って完全に舐められている。
舐められていることにも腹が立つし「どうせ性的魅力を感じてないだろうになぜ触るのか」「つうかどうせセックスしないんだから触るなよ」「舐めるならクリトリスにしろッ」とモヤモヤが積もる。


風呂上がりにイチモツをプラプラさせているのも腹が立つ。そんなものを目の届く範囲でプラプラさせないでほしい。風呂上がりは大体食事の前なので余計に見たくない。
皮を剥いて「ヨシ!」と言うのは見栄なのかギャグなのか、もし見栄を張っているつもりならフニャフニャではなくバキバキに勃起したモノを己の股間の沽券にかけて披露するべきだし、ギャグならつまらないのでさっさとパンツを穿いてほしい。
どうせセックスしないくせになぜ性器(通常時)を見なきゃいけないのだ。男性はどうだか知らないが、ほとんどの女性はセックス時以外唐突に性器を見せつけられたところで興奮も感動もしないと思う。
『臨死!江古田ちゃん』という漫画で「好きな男のモノでも見ながら食事はしたくない程度には不快」なんてことが書かれていたが、本当にその通りだと赤べこのようにうんうんと頷いた。
食欲が失せるからそんなものを出すんじゃないよと百回は注意しているが、そのたびに「俺は町子ちゃんの〇〇〇を見ながらご飯食べられるよ!」と元気よく返されてしまう。そういう話ではないし、どうせセックスしないのならこちらの性器について言及しないでほしい。そもそも当たり障りのない風景と化すほど披露した覚えはない。
別に見ながら食事をされたいとも思わないし、食事中にいきなりご開帳する趣味もないので、ベッドや風呂場で出した時にはきちんと興奮してもらいたい。

料理を作っていても「セックスしない男になぜこんなことしなきゃいかんのだ」とイライラしてしまう。半分は自分のためにやっていることなのに。

今日も愛してるよと言われようが「どうせセックスしないくせに何言ってんだこいつ」とやさぐれてしまう。
数日愛の言葉がなければ「やっぱりもう私のこと好きじゃないのね!だってセックスもしないし」と被害妄想を膨らませる。

好きだと思って買ってきたよとお土産を渡されても「こいつまさかこれでセックスしないことがチャラになるとでも?」と可愛げのない感想しか出てこない。

今日なんか腰が痛くて…と相手がこぼしただけで「なんでセックスしてないくせに腰が痛いんだこいつは。まさか外で腰を痛めるほどセックスしてるのか?許さん」と、心配する気が起きないどころかとんでもない方に想像力がはたらき脳内で呪詛が渦巻く。
ついでに自分の腰が痛い時まで「セックスしてないのになんでよ…イテテ」と己の加齢を棚に上げ謎の恨み節が出てくる始末だし、生理が数日遅れただけで「女性ホルモンに異常が出てるのでは?だってセックスしてないし」となんでもかんでもセックスのあるなしに結びつける。
マッサージをねだられた日には「なんで私がお前の腰をほぐしてやらにゃいかんのだ!調子が良くなったところでどうせセックスしないくせに」と一気に不機嫌になる。



自分が相手に何かしても、相手が自分に何かしてくれようとも、全てに対して「どうせセックスしないくせに!」が頭に浮かぶようになった。

この「どうせセックスしないくせに」状態だが、おそらく利点はひとつもない。
相手にイライラし、そんな相手を好きな自分にイライラし、好きな相手を責めてしまうことにイライラする。終始イライラしっぱなしになる。
もしかしたら「どうせしないくせになによ!嫌い!別れてやる!ハイ別れた!あ〜別れてよかった!幸せ!」コースもあるかもしれないが、ここまで潔く別れを決断し即実行に移せる人はそもそも「どうせセックスしないくせに」と長期間悩みはしないだろう。

自分を責めるより相手を責める方が楽なので、悩んでいる真っ最中は楽な方に傾きがちだ。「なんで私ばっかりこんな我慢しなくちゃいけないの」「向こうが悪い、私かわいそう」と、他責的な考え方が癖になる。

相手のために何かする→なんでセックスしない男にこんなことまでやらないといけないの?→あーあ、こうやっていつも私ばっかり我慢してる
自分が何かしてもらう→こういうことはできるんだ、どうせセックスしないくせに→しかし本当にこいつセックスしたがらないな…いいですね「したくない」が叶ってて!私の「したい」は叶わないのに…ホラやっぱ私ばっかり我慢してる

「どうせセックスしないくせに」と「私ばかり我慢してる」の合わせ技により、常に私は不機嫌だった。言葉も態度も刺々しくなっていった。

なおこの状態のとき、向こうから奇跡的にセックスのお誘い(らしきもの)があったと記憶しているが、結局性交には至らなかった。

「私がしたいときはあんなに断ってたくせになんなの?自分がしたいときはいつでもできると思ってんの?勝手すぎない?ずるくない?なめんなこのバカ」としか思えず、それっぽい感じで触ってきた手を払い除けたり、「ハァ?するっつってどうせしないんでしょ?期待させて落とすのやめてくんない?」と冷めた態度を取ったりした。
自分が常に我慢させられている気でいるから、相手の思い通りにことが運ぶのが癪に障るのだ。こうなってくるとどちらがレスり側なのかわからない。

もう自分でも何がしたいのか、相手にどうしてもらいたいのかもわからない。相手のやることなすこと全てが気に入らない。常にうっすら不機嫌な女とセックスだなんて、私が男でも普通に嫌だ。
常にニコニコ笑って穏やかに接したい気持ちはもちろんある。その方が仲良く過ごせることはわかってる。
しかしこちらの希望を無視し続ける相手に「ニコニコ笑って穏やかに」なんて無理だ。
こちらが何も気にしてませんよと言わんばかりに穏やかに接したら、どうせ向こうは「最近セックスセックス言わなくなって楽だな〜」「しなくても仲良しだもんね〜このままでいいや〜」としか思わないだろう。


私は好きな人には優しく接したいし、自分に負担のない範囲で相手の喜ぶことをしたい。相手が私のために何かしてくれた時は素直に喜びたい。
そう思って長年仲良く過ごしてきたはずなのに「どうせセックスしないくせに」「私ばっかり我慢してる」が浮かんでしまうと、セックス以外で感じていた幸せすら100%享受できない。自分から不幸になろうとしているのではないか。

他人から見たら「もうただイチャモンつけたいだけなのでは?」と思われても仕方がない状態だし、正直自分でも薄々そう感じていた。
しかし、イチャモンをつけたり不機嫌になったり「私は不満なんだぞ」と意思表示していないと、私の悩みは相手の中でなかったことにされてしまう。それはどうしても嫌だった。

日々のあれこれとセックスレスは別問題、こんなことばかり考えていると優しくしたくても優しくできない、どうせどうせと常にピリピリイライラしている人間となんてセックスする気が起きないに決まってる、私だって仲良く過ごしたい、でも一旦浮かんでしまった「どうせセックスしないくせに」が消えなくて素直に優しくできない、そんな自分が嫌いだが私がこんなのになってしまった原因は向こうにもあるだろう、いっそ相手のことを嫌いになれたら楽なのに…同じようなことを頻繁にウニャウニャ考え、時々枕に顔をうずめて「ワーッ」と奇声を上げていた。


④に続く

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