短編映画「点」を観て

自分が浪人していた時のことを凄く思い出しました。嫌な思い出が多いから封じ込めていた部分がありましたが、それを開放してもらったような感覚です。

自分は浪人を通して、自分からもう逃げなくなったと思い込んでいましたが、やっぱり逃げてると気付かされました。浪人生として始まった春に思い描いていた自分には成れていなくて、結果には妥協していたし、過程もどこか自分の中で美化してしまっているなと気づきました。

4月からは大学4年生ですが、残り1年の学生生活、また本気で何か頑張ってみたいなと思いました。アカリの様に本気で悔しいと思えるような人間になりたいと思いました。
この作品が観れて本当によかったです。



(以下、自語りです。)



もう浪人生だった時のことなんて、同級生からズレている一年のことなんて、コンプレックスでもなんでもない。

そんな言葉を吐いてきたけど、やっぱり嘘だ。めちゃくちゃ嫌だし、めちゃくちゃ気にしている。

4月から社会人になる友人たちの背中と、この短編映画を観て、やっぱりそう思った。


勉強から逃げ続けた高校生だった。ちゃんと勉強に対するのは3年ぶりだった。

毎日ギリギリじゃないと塾に行けなかったし、自習中、授業中も集中力が続かなくて何度も寝ちゃったし、寝なくても睡魔と戦ってばかりだった。電車で単語帳を開こうとは思うけど、実際に開けたのは数回だった。

俺は頑張ってると言い聞かせてサボった。周りとは違う、孤独だと思い込んで、親友に嫌な思いをさせた。勉強しなきゃいけないとわかっていても、日曜の休講日は全然勉強できなかった。

同じ塾の高校生が眩しかった。学校で青春謳歌して、放課後は部活も勉強も頑張って、どっちもいい成績残している子も居た。どっちもいい成績を残せなかった自分には、そんな存在はコンプレックスでしかなかった。廊下で先生とその子が話しているのが聞こえる。「君は完璧主義すぎるから、無理しすぎないように」。これは高校受験の時にも、同じことを成績のいい奴が言われていた。自分だって無理して頑張っているつもりでも、結果が数字で現れていない以上、まだ頑張れていないのだと、現実を突きつけられる世界は本当に残酷だ。自分にしては頑張っているでは意味がない。

8月の終わり。中3の頃に好きだった子から連絡があって、花火をしようと言われた。丁度、夏の最後の模試が終わった日の夜だった。全然楽しめなかった。その子はずっとスマホ見てるし、残り2人のキラキラした話を愛想笑いで聞くのが精一杯だった。

何もない自分には、今、頑張るしかないのに頑張れない。そんな自分が嫌で吐き気がして、塾に向かう電車を途中で降りた。塾に「すみません、今日は体調が優れなくて休みます。」と震える声で電話をした。悔しくて、情けなくて、不安で、朝のホームでうずくまって、1人で泣いた。見知らぬ親子、特に幼稚園くらいの男の子からの、心配そうな優しい視線が突き刺さって痛かった。

本腰入れて勉強できたのは10月くらいからだったと思う。できることは増えてる気がするのに、全然周りとの差が埋まらなくて、模試の結果も偏差値40を超えられなかった。英検ももっと早く受けておけばよかった。1月の模試で偏差値35が出た時は焦ったけど、もうやるしかないから気にせず頑張った。

基礎勉強が終わったのは、共通テスト当日の朝、試験の1時間前だった。だから共通テストで偏差値50出せたのは、本当に運が良かっただけだと思う。ばあちゃんが力貸してくれただけ。赤本を解く時間も殆ど無くて、今通っている大学もラッキーで受かった。

自分で自分を甘やかすのが、許すのが上手くなっただけで、やっぱりやり切れたわけじゃない。チューターの大学生や、スタッフの方、先生方に上手くメンタルコントロールされていただけで、物事の考え方、捉え方は変わったけど、自分自身は何も変わっちゃいない。もう1年浪人をしても、成績は上がらなかったと思う。それなのにいつの間にか、あの1年間を美化している自分がいる。

就活の面接で、浪人の一年について話すことが度々ある。これまでの人生で頑張ったことは何ですかと聞かれた時だ。「偏差値15くらい上げて、人生初、自力で合格を掴み取ることができました!」と話す。でも、合格して嬉しかった、とは言ったことがないし、浮かびもしない。やっぱり後悔している。やり切れなかった。もっとできたはずなのに。その気持ちに蓋をしていた。

浪人生の4月、偏差値35だった。今から頑張れば早稲田に入れると言われて、塾の特待生になれば、いくらか塾に通った金額も返ってくると聞いた。早稲田の中でも興味があった「文化構想学部」を第一志望にして、特待生でいることも目標にしていた。冬頃の目標は、「どこでもいいから1つ合格をもらうこと」に変わっていた。特待生への切符は6月には消えていた。

最後に塾長に挨拶した時、「君はどこも受からないと思った」と言われた。これまで冗談だと思っていたけど、割と本気の言葉だったのだと、今書いていて思う。

あの一年を思い出しながら書いていて、めちゃくちゃ悔しい。今まで部活のことにはフォーカスして、その時の感情を開放してあげていたけど、浪人のことはあまり振り返れていなかったから、今日振り返れてよかった。こんなに悔しくて、やり切れない思いを抱えていたんだな。こいつをどうにかする一年にしよう。いや、する。今度こそやり切る。

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