【多文化共生Vol.1】来日10年目: 外国ルーツとして感じたこと



■ はじめに
 

 皆さん,こんにちは!とある教育NPO団体で多文化共生教育に携わっている者ですが,今回は,私自身のバックグラウンドや,多文化共生との関わり,そしてインターンを通して学んだことについてお話しできればと思います.最後まで読んでいただけますと嬉しいです.


■ バックグラウンド


 【来日したばかりの頃・中学時代】

 ・「日本社会に慣れようとする」ことから,「孤独を感じた」

 私は12歳の時に来日したが,日本に来た最初の頃は,日本語を一言も話せなかった.母親の「日本社会に慣れるためには,周りに外国の方がいない環境にあなたの身を置くべきだ」の言葉で,ほとんど純ジャパしかいない地元の中学校に通うことになった.日本語に戸惑いながら,“日本社会に慣れるために”,スポーツが苦手であるにも関わらず,バトミントン部に入部するなど,自分なりに努力していた.しかしながら,段々とその限界を感じ,無理をしてまでも“日本社会に慣れなければならない”ことを嫌になったり,そこで苦しんでいる自分を誰も理解してくれないと孤独を感じずにはいられなかった.

 ・日本語がわかるようになったからこそ,つらくなった

 案外のことに,学校側から日本語教育サポートもなく,学校のカリキュラムに慣れない部分もあったが,最初のうちはあまり生きづらくなかった.なぜならば,日本語がわからなかったため,もちろん悪口なども意味がわからなかったからだ.いわば,必要の時以外に,自分と他者を完全にシャットダウンして,自分一人の世界を送っていた.

 しかし中二の後半になると,状況は一変した.日本語もわかってきて,かつ修学旅行などの行事もたくさんあった時期で,集団で行動せざるを得ないことが続いた.周りの人からの一つ一つの言葉をどうしても気にせざるを得なくなり,私は過度に神経質になった.なぜ不登校になったのか,きっかけ(具体的な出来事)は忘れていたが,当時はかなり精神的に病んでしまった.その結果,高校受験に集中し自分の精神をこれ以上に削りたくなかったために,受験直前では不登校という決断をした.驚いたことに,その時の先生が,私自身よりも学校での業績を優先し,学校に行かせる説教をし続けていた.「あなたがあまりにも日本語を上手に話せているから,みんながあなたが中国出身であることに気づけなくなった」と周りの不親切を弁明する先生のこの言葉に,私は衝撃を覚えていた.
 
 【高校時代】

 ・これ以上の無理はできないと再び不登校になった

 無事に第一志望の県内のとある女子校に合格したが,そこでも波乱万丈の生活が待っていた.最初から,自分から誰かに声掛けるのを遠慮していた.というのも,自分が中国出身であることをバレたくなかったからだ.話すと“かおるちゃんの母語,日本語?”と言われるのが怖かった.私は日本人の名前で,日本人らしく振る舞うことに精一杯だった.

 ただ,日本の授業のカリキュラム(というよりも文化)にどうしても慣れない部分があった.それは,みんなと違う行動を取ってはならない,異なる行動を取る=ズルをするということだった.私の高校では,水泳を履修しなければならなかったが,授業では初心者向けのフォローは特になかった.水泳経験もなく,水に全身を長時間入れることに恐怖を覚えていた私は,恥ずかしくなく授業に参加するために,地元の水泳スクールに通うことにした.しかし,それでも運動することが苦手である私にとっては,とても辛かった.泣きながら,私は水泳選手になりたいわけでもないのに,なぜそこまで自分を無理にしてやらなければならないんだ,と思った.そこで,体育の授業を全部切ることにした.先生からしつこく「いつになったら出れるの?」と言われ,クラスメートから「あの子はずるしている」と言われ,段々と精神的に病み始めた.なぜそう言われなければならないんだ,私は誰かに悪いことをしているはずでもないのに,と思うと同時に,なぜそこまで自分に無理をさせて日本社会に慣れなければならないんだと思う,中学の気持ちが再び蘇った.とても辛かった.それで不登校になった.

 ・孤独を感じずにはいられなかった

 高校の恩師のおかげで,私は学校に戻った.不登校から学校に戻れたけれども,自分は高校時代全般においてどうしても孤独を感じずにはいられなかった.自分のルーツやバックグラウンドを公表できず,自分の発音や他者の目線を気にし,自分の考えていることをなかなか言えない日々だった.アイデンティティの葛藤を感じながら,誰も理解してくれないんだろうと.これらの課題を解決できず,常に“私”と“私以外の人”の対立構造を気にするまま,中央大学法学部に進学した.


■ 多文化共生との関わり


 【外務省プレゼンテーションコンテスト】

 多文化共生について考えるようになったのは,2019年外務省が主催する国際問題プレゼンテーションコンテスト(テーマ:私の提言 外国人の受入れと共生社会の実現のために)にファイナリストとして出場したことがきっかけだった.
 私はチームで“外国人支援官”という新しい職業の創出(公務員)及び先進地域の好事例の普及の二つを中心に提案した.受賞を逃したが,自分自身の経験を踏まえた自分なりの提案を公の場で発表できたのはとても貴重な経験だった.またあの時,頭の中には“プレコン”しかなかった時間を思い返すと,友人と池袋駅あたりで外国人の方にインタビューを行ったり,提出締め切りギリギリまで文章を練ったりするのが,とても懐かしく思う.
 そして何よりもそれまでには,どうしても自分自身のことだけで精一杯で,自分と似たようなバックグラウンドを持つ方への支援を考える余裕などがなかった私が,このプレコンを通して,日本社会で暮らす外国ルーツの方が住みやすく働きやすくするためには何が必要だろうか,と考えるようになった.同時に,日本で多文化共生を実現するためには,自分のような,“日本人のマインドセット”と“外国ルーツのマインドセット”を両方持ち合わせている方の力が必要だと感じ,使命感みたいなものをなぜだか感じていた.ある種,“自分が先頭に立ってやれば,自分と同じ気持ち同じ境遇にいた人たちを救える.多文化共生環境づくりには自分みたいな方にしかできないであろう.”という気持ちだった.

 【外国ルーツ高校生支援プロジェクト】

 カタリバの外国ルーツ高校生支援プロジェクトと出会ったのは,とても偶然だった.いよいよ就職が本格化する大学2年の終わりの頃,私も例外なく自己分析をしていた.その時に,ふと自分は若者に良い影響を与えるような人間になりたい,もしできれば“教育に携わるという形で”という思いが頭をよぎった.なぜなら,私の人生に大きな好影響を与えたのは,まさしく高校時代・予備校時代・大学時代に出会った先生方だったからだ.彼らからいただいた御恩をなんとかこの社会に還元していきたい,と思った.それで教育NPOを検索してみた.サイトに出てきたのは“カタリバ”だった.カタリバのHPをじっくり拝見したところ,“外国ルーツ高校生支援プロジェクト”が出てきた.“これだ!”と運命を感じ,私は急いで問い合わせて,なんとかルーツ事業に携わる立場になった.

 私自身の2020年を振り返ってみると,多文化共生とはほど遠い取り組み(GCPでの長期インターン,学生団体・外交研究会での活動,英語プレゼンテーションコンテスト,オンライン留学など)をしてきた.が,2020年度の尻尾で参加し始めたルーツ事業でのインターン活動は,改めて自分は多文化共生に興味関心があると気づかせてくれた.ここで出会った一つ一つのご縁を大切に,多文化共生教育に関する知識を身につけるだけではなく,たくさん実践していきたい.また,自分のビジョン・目標・ありたい姿・理想とする社会像はまだ不明瞭ではあるため,ここでのインターン活動を通して,じっくりと考えていきたい.


■ インターンを通して学んだこと


【教えるのではなく,共に学び合う姿勢と,引き出し役に】 

 “支援する立場として,何が一番大事だと思う?”とのカタリバスタッフの一言に,私は戸惑っていながら,“相手のニーズを考えること?”と答えた.そこで,教えてくれたのが“支援対象の課題を解決してあげるのではなく,支援対象が今後課題に直面した時に自分で解決できるように今をサポートすること”とのことで,今でも心に深く残っている.

 そのためには,何が必要だろう.私は,教えるのではなく,ともに学び合う姿勢,そして引き出し役に徹することが大切であると思った.ただ引き出し役に徹しようと考えても,生徒のためだと思って自分の意見を言いたくなるような私にとっては,とても難しいものであると感じた.

 そんな私にヒントを与えてくれたのが,多文化研修の時のディスカッションだった.多文化研修では,他のインターン生の実体験を聞くことができると同時に,それをもとにスタッフの方が話を深めてくれるので,その一つ一つの学びは具体的で応用が効くものばかりだった.そこで,引き出し役になる際に具体的に参考になったのは,「インターン先の先輩の伴走姿勢」である.先輩が生徒の伴走の際に,自分の意見をあまり言わずに,生徒に対して“好きなことは?苦手なものは?”と問いを投げかけた.これは,生徒の状況を判断した結果であるとのことで,その場その場の生徒のコンディションを敏感に感じ取り,判断しなければならないと大変勉強になった.また,相談に乗る際には,自分のスタンスを“的確なアドバイスをする”ことにするのか,それとも“ただ最後まで話を聞く”ことにするのか,もその時その時の生徒の様子を見て判断しなければならないという話も印象的だった.これらのことは,多文化研修で皆の経験を共有できたからこそ,自分が学べたと感じた.ただ,自分がどんな“引き出し役”になりたいのか,がまだ自分の中では不明瞭である.自分の“他者のニーズを考えながら動くこと”という強みを生かして,これらの経験を踏まえ,自分のありたい姿をインターンでの活動を通してもう少し具体化していきたい. 

【居心地の良い場づくり】

 居心地の良い場づくりの大切さを実感させてくれたのが,インターンのキックオフと多文化研修の時だった.生徒の自己理解の深まりや想像性の育みには,引き出し役として彼らを導くのはもちろんのこと,それ以上に生徒との間に信頼関係を築く必要があると感じた.そのためには,まずいかに居心地の良い場所を提供できるのかが大事だと感じた.ただ,塾講師や家庭教師を含め,ほとんど場づくりの経験のない私にとっては,オンライン日本語教育伴走がとても悩ましかった.

 そのため,まだはっきりと全体像を見えていない状態ではあるものの,居心地の良い場を提供できるようになること,これが私がこのインターンを通して達成したい第一のゴールであると決めた.先輩のインターン生の授業に見学し,その雰囲気に惹かれ,自分もそんな感じになりたいと思いながら,生徒伴走において,私が考える居心地の良い場とは,まずは生徒が憚ることなく自分の疑問・意見を積極的に言える・言いやすい環境であるということに至った.

 また多文化研修の際に,居心地の良い場づくりは,コンテンツや行う形式だけで構成されていないということを学んだ.些細な行動,呼びかけ,ファシリテーターの姿勢がこの居心地の良い場づくりにもつながる.例えば,学校支援の時には生徒の顔と名前を覚えたり,生徒の話を最後まで聞いたりすることがあげられる.また,生徒と接する際には(これはオンライン伴走にも当てはまる話ではあるが)生徒ができなかったこと,生徒が不安に思っていることに否定的な立場を取らないこと,生徒の強みに着眼しGood&Moreのフィードバックをすることも重要だと思う.どのようにしたら生徒の自信がつくのか,褒める際にはどういったところを注意しなければならないのか,について議論もできて大変楽しかった.

 このように,私は生徒が自己認識,そして自分の将来への想像性を考えるきっかけとなる“居心地の良い場”づくりをこれから意識していきたいと思った.また,“居心地の良い場”とはどんなものであるべきか,についてもこれから自発的に考え,どんどんブラッシュアップしていきたい.その際には,自分の“他者のニーズを考える”強みを生かし,常に生徒が望む場とは何かを,生徒との対話を通じて模索していきたい.

■ 終わりに

 最後まで読んでいただきありがとうございます.外国ルーツとして日本に在住してから今年で10年目になりました.私が経験したことはこの文章では書き切れないほどのものではあるが,このノートを通して,みなさんに少しでも外国ルーツの若者の現状を知っていただけると嬉しいです.これからも,多文化共生について発信していきたいと思います.よかったらいいね,フォローしてください!

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