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他人とのつながりは、かくも面倒で愛おしい

❶他人を叱ることには、責任と覚悟が伴う / 
❷他人を叱る自分に、自信が持てないこともある / 
❸ただ、叱ることを厭わず向き合うことでしか、迷いや自信の無さから解放されない / 


こんばんは。
k.ueno | ありがとうの辞書 です。


今日は、「叱る」について。


華ー華 さんの投稿から
引用させていただきました。



「他人を」というところが
ポイントかと思うのですが、

叱るという行為は、
やはり、負荷がかかりますよね。


相手と自分との関係性を
どこまで大切に考えられるか、
のバロメーターのような気もしています。

今回、
引用させていただいた投稿を通して

華ー華 さんのお人柄や
他人への配慮、
誠実さが伝わってきて、


色々考えを深められる時間に
なりました。

ありがとうございました!


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わたしは他人を叱れない

でも年齢を重ねるにつれ、他人を叱れなくなってきました。
いろいろなことを学び、経験を重ねることで

わたしは何もわかっていない

ということに気がついたからです。



華ー華 さんがおっしゃっていること、
僕はとてもよくわかりました(^_^;)


怒ると叱る、
個と公の区別がないというのは、

同じ職場の人間としては
悲劇としか言いようがない体験ですが、


自分自身が年齢を重ねて、
いざ人を指導する立場になると、
一概に何が正解かわからなくなってくる。


相手には相手の考え方があり、


自分が関与することが果たして
プラスに働くのか、
という疑問が湧いてくる状態。


自分自身も
発展途上の自覚があると、
なおさらですね。

ただ、華ー華 さんは

「責任と覚悟」とおしゃっるくらい、


他人を叱ることを
真剣に考えられているので、


その熱量は、ちゃんと相手にも
伝わるのではないかと思いますし、

本気で向き合ってくれているんだな、と
感じるとは思います。



大の大人が自らの発言を
いとも簡単に撤回したり、
薄っぺらい謝罪を繰り返す昨今。


責任と覚悟を持って
指導してくれる上司がいるなんて、
すばらしいじゃないですか!

捉え方次第で「正しさ」は
カタチを変えるので、

今の葛藤を乗り越えて
相手を大切に思いながら、厳しく叱れる
華−華 さんでいてほしいな〜と
思います。



そういう大人がいてくれると、
とっても心強いから(*^^*)



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他人のためにしてあげられることは
そう多くない

『叱る』というのは「相手の成長を促す」目的で行うものです。
相手に響いていないと意味がないのです。



非常に申し訳ないことに、

叱られ続けてきた僕自身を振り変えると、
残念ながら、あんまり響いて
なかったのかなぁと思います。

(お前みたいなのがいるから!というヤツですね ^_^; )


僕を指導する立場だった人は、
かなり的確なことを
言ってくれていたと思うのですが、
素直に聞いた自覚があまりないです。



さらに言うと、僕の場合は
自分が叱る立場になって、
ようやく「わかる」ということばかりです。



あのとき、
赤の他人の僕に対して、
こういう気持ちで、
ここまで言ってくれたんだな、と。


何十年も心の奥底に埋まってた
種が急に芽を出した感じで、


叱ってくれた内容の正しさや
素晴らしさというより、


人との関わり方として
思い直した時に、腹落ちするのです。



褒めることは、認めること。
叱ることは、導くこと。



いい年をしてまだまだ未熟な僕は、
相手を導くまではできないですが

自分自身の経験から、

叱る相手のことを信じたいとは
思います。


間違っているかもしれないし、
すぐにはわかってもらえないかも
しれないけど、


自分を信じて、
相手を信じて、

その都度手を差し伸べるくらいしか

縁に応えることはできないのかな
と思うから。

華-華 さんのnoteに出会えたのも
何かの縁ですしね。



何十年も経って
思い出す記憶や言葉に

叱られた時のものが多いのは


そこに、

華-華 さんがおっしゃるような
他人を叱る上での「責任と覚悟」、


あと、

多くの方が同じように抱いている迷いや
葛藤が秘められていたからだろうと
気づかされました。



勇気を出して叱ってくれて
ありがとうと言う代わりに、


近しい他人を叱る
というバトンを、
大人の責任として繋いでいきます。


周りまわって、いつの日か、

誰かの心に
気づきの種が芽吹きますように☆


華-華 さん、気づかせてくれて、
ありがとうございます!




おわり




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