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日本国民じゃない僕は、選挙カーに大きく手を振る。

やぁやぁ二十歳大学生だ。

小三くらいだっただろうか、夕焼けが眩しかった母との買い物帰り。片手にはホネホネザウルスというおもちゃ、もう一方で母の手を握りイチョウの道を歩いていた時のことだった。

せんきょかー

があった。トミカが大好きであったあの頃の僕は、パトカーやゴミ収集車などの車+αなビジュアルにはどれも惹かれていたのだが、選挙カーは、嫌い、というか苦手だった。辛くなるからだ。

選挙カーの当時の印象は

・車の上の人がめっちゃ日本のために頑張ってはる
・前を通る人はみんな素通りしてはる

ということ。

選挙というのはすでに学校で経験していた。というのも何を隠そう、当時の僕は しんぶんがかり の りーだー に選ばれていたのだ。

それが日本レベルまで広がったということだろうか。方向性は違っていても、この国をよくしたい!という気持ちがメガホン越しからガンガン聞こえ、各々の候補者が未来を語る姿は、見ていてとっても勇気をもらえた。

しかし、街ゆく人たちはみんながみんなこう思っているわけではないだろう。うるさいなぁとか、そういうことも考えてるのだろう。だれも耳をかさなかった。

あまり目を合わせずに、車の近くだけスピードをあげてスッと足早に去る。

話している人も、それを見ないようにするためか、もっと多くの人と目を合わせるためか、視線をグルグルまわす。同じ話題を何度もする、寒くて声が出にくそうで、ときたまにうつむいて。それでも誰かに向けて声を発する。

あともう一つ、選挙カーについて思っていることがあった。

・僕たち がいこくじん は何もできないということ

どうやら、「にほんにすんでいるひと」と「にほんこくみん」は違うらしい。

だから僕も素通りする人にならざるを得なかった。何もできないから。まぁ未成年だったので選挙すら無理だが、おじさんの声を、思いを、二十歳の僕ですら答えることができないのかと思うとなぜか申し訳なくなった。

選挙カーのおじさんが、対向車線側の僕たちあたりに向いて、もう一度同じ話をしはじめた。

目を逸らした。母の影に隠れた。あなたの声をこれから一生かけても答えられない生き方をするくらいなら、受信すらしたくなかったからだ

「ほら、隠れないの。」

母はそういうと僕と繋いでた手をほどき、選挙カーのおじさんに大きく手を振った。おじさんと目が合うまで。

するとどうだ、おじさんはさっきよりも大きな声で、綺麗な笑顔で

「ありがとうございます!とてもうれしいです!」

僕も負けじと手を振った。その時は母より小さかったので、少しジャンプもしながら。ほねほねサウルスをかしゃかしゃ言わせながら、両手で、というか全身で手を振った。

「僕もありがとう!せいいっぱいがんばるよ!」

なんにもできないけど、何もできないわけじゃないよね。母の言葉をよく覚えている。

それ以来僕は選挙カーを見るたびに大きく手を振っている。あなたの言葉はしっかり受信されたよってことをしっかり伝える。そうすることで、演説の人が少しでも元気になって、頑張ってもらえるのなら、僕はそれで大満足とはいかないが、満足なのだ。

さて、僕は今年で二十歳をむかえた。友達からは選挙一緒にいこうとか言われるけど、ひとつづつ断っている。先述したように僕は外国籍だからだ。選挙カーは手を振ることができるが、選挙会場は流石に何もできないからね

この記事を書くにあたって、外国籍の投票券の問題を調べてみたところ、

「俺だって大阪府民や」

の記事を見つけた。去年の10月11日の大阪都構想の選挙での出来事だ。

まぁざっくりまとめると、在日韓国人やフィリピン人の方が選挙権を求めて声をあげたところ、市長の松井さんに「ほんなら日本国籍とりーや」と一蹴した出来事。

答えが短絡的すぎて笑えてくるのだが、郷に入っては郷に従えのやつだろう。

候補者さんのお話を覗いてみると

「外国人労働者の子どもについては、学校教育の機会を保障するとともに、その受け入れ体制の整備を行います。」
「国籍や民族の違いを理由に、人権が制約されたり、差別されたりすることがあってはなりません。多様性を認めあいながら共生する社会をつくります。」
「日本には性別や国籍・民族が違う人、障がい者など様々な人々が暮らしています。差別に反対する長年の努力の一方で、ネット上などでは差別的な表現が横行しています。「ヘイトスピーチ解消法」などをより実効性のある包括的な差別禁止法にし、共生社会の実現をめざします。」

っとまぁまとめると「選挙権はないけど、わいに任せといてな!うまいことやるし!」

ということ。外国人へのメリットとかをいくら述べたとて、選ぶのは"にほんこくみん" という本末転倒っぷり。

これをうけて、僕はこの文章でヘイトだのを書くつもりはない。法改正の部分とかいろいろ大人の事情ってのがあるんだろう。

なにを伝えたいか、

表向きは「手をふることで頑張ってる人を笑顔にするゾ!」

ということにする。

ただ、本当は

「選挙権がなくても、黙ってはいないぞ」

というアナーキズムだったりヒップホップだったりといった精神が大きいのかもしれない。

なんにもできないけど、何もできないわけじゃないよね。

選挙カーの人に手を振った、あなたを元気にさせた人が、外国人であり、傍観者であり、何の力も持たない人だったら、彼らはどう思うだろうか。

…なんか暗くなってしまった。

この記事一つで明日から僕に投票券が渡されるわけではないし、予定通り日本国民だけの選挙が行われる。

だから、これを読んでいるあなたにいいたい。

僕の代わりにでも投票をしてくれませんか。

僕の思いは投票券をもらうことではありません。僕の推してる政治家さんに票を入れろとかそういうことではありません。あなたの決断の一部になれたらうれしいなということです。

先述した外国籍に向けた政策は僕らに向けられては居ますが、僕らはそれに答えることができない。素通りしなくてはなりません。

そのほかの政策も然りです。にほんにすんでいるひと に向けられたメッセージを僕たちは素通りすることしかできないのです。

にほんこくみん ではありませんが、あなたと同じ日本に住み、日本を愛しています。

それを頭の片隅にすこしでも置いてもらったうえでの、あなたが応援する人に僕は心から賛成します。そしてこころからありがとうって伝えます。

少々熱が入りすぎてしまったような…(急にデスマス調になった笑)

いよいよ明日が選挙当日。よりよい国を作っていけますように。

がいこくじん の僕はこのnoteを持って政治参加したと満足させていただきますね。

では夜ご飯買ってきます!





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