スマホは壊れるし、恋人はいつか死ぬし、会社も潰れるということ
この前スマホが壊れた。
もっとちゃんと書くと、バイト終わりに飲みに行き、ビール4杯とカクテル2杯な帰り道に改札に思っきりスマホをかざし、ぶつけ、液晶が映らなくなった
…という推測をしてみた。
記憶がないとはこのことらしい。
黒く黙り込んだ液晶に映る僕はソルマックを欲している。
…修理に出さなくてはならない。これすなわち1万円の出費。12月はただでさえ財布が寒いのに、世の中は羅生門のごとく僕を剥ぐ。
まぁ仕方ない。スマホがないと僕は死ぬ。なのでさっと修理屋に持って行ったのだ。
向かったのは地元密着型な修理屋さん。少し小太りなお兄さんが僕を出迎えてくれた。
そこからは早かった。迅速に症状を伝えてくれてプランを伝えてくれて。すぐに作業に取り掛かってくれた。
ここでお兄さんと話したことが今日のネタ。
「信じられないかもしれないけど、スマホは壊れないって本気思ってる人がいるんですよ」
そう、スマホは壊れるのだ
バックアップとってますか?
で雑談は始まった。
無論僕は生粋のz世代。バックアップなどしていないわけがない。(過去に痛い目にあった)
もちろんです!写真はクラウドに、ラインは複数端末からログインしてます!!(過去に痛い目にあった)
と元気に返事する。こちとりゃいつ死んでもノーダメなのだ。(過去に痛い目にあった)
「よかったよかった。
こんな商売してるからなんだけどいろんなお客さんが来てさ。スマホは壊れないって思ってる人が多くて。壊れたらこっちにキレてくるんだよね。もちろんバックアップもしてないから、直っても直ってないんだよね。」
まぁ仕方ない。僕も痛い目あってからバックアップとったりしてたから。おばさんはやらないだろうなぁ。
と優越に浸っていると、違和感に気づく。
なんで壊れてもいい前提で使ってるんだっけ
僕らはやっぱり無力
バックアップあるからと、スマホを都合のいいただの箱のように思ってなかっただろうか。
24時間、電波さえあればなんでもできるスマートフォン。いつのまにか僕らと共にいて、なんなら人体の一部。そして家族や友達より自分を知ってる。
あまりにも便利だから、使わない生活なんてイメージできないし、イメージもさせてくれない。
「壊れない」と思ってしまうことに変に納得しちゃうし、それで怒ってしまう人も少し理解できてしまう。
当たり前に使ってるこのスマホも、なんならあなたのそのもちろん右足も、親指も、友達も、会社も学校も、日本も、全部「壊れる」ことができるのだ。
これは恐ろしい。壊れることが怖いのもあるが、壊れてしまった時の自分を想像できないということが怖い。
「失って気づく」ってあるけどまさにそれ。
それが無くなった喪失感だけじゃなくて、それがないとなにもできない自分を知り、それに生かされていたことに気づく。
壊れないように生きるのはもちろんだが、それが無いと何もできない自分の弱さ、無力さを謙虚に知っておきたい。
友達でも恋人でもパソコンでもスマホでも。
僕らは生かされていて、誰かを生かしているんやで
僕たちは必ず「何か」に生かされている。そしてその「何か」は普通に壊れる。消える。死ぬ。
それをそっと知っておこう。そして自分の弱さを受け入れ「何か」に頼り強く生きよう。
あなたも誰かの「何か」なはずだから。
…一万円の修理代をエッセイネタに変えたので結果オーライだぜ。泣いてなんかないぜ。