次男が80点くれた ちょこっとしたお話 〈 その時 〉


ちょっと悲しげな拗ねたような口調。
「アンタがいなくなったら淋しくなるよ・・・」
「私もよ。あなたと一緒にお仕事ができて、本当に楽しかったわ。今までありがとうね。でも、お屋敷のことを思えば・・・あなたはせめて、夏が終わるまでは頑張ってちょうだいな。」
「今年の夏も猛暑らしいからね。せめて今年の秋か冬までは頑張れるといいんだけどねぇ。」

今度は穏やかなくぐもった声が。
「今まで、長い間、お勤めご苦労さまでした。僕も最近お暇することを考えるんですよ。ちょっと喉の調子が良くないし・・・こんな身体では、いつまできちんとお勤めを果たすことができるか。」
「まぁ、あなたまで。私達3人一度にお暇するのはご迷惑でしょう。あなたは若いんだから、まだまだ頑張らなくちゃ。」
「若くもありませんよ。この身体がどこまで保つか。まぁ、もちろん、やれるところまでは頑張るつもりですけどね。」
「そうですよ。奥様はあなたをとても頼りにしているんですもの。」

「それにしても、いつのまにか随分時間が経ったものだね。アタシとアンタがこのお屋敷に入ったのがつい昨日のことみたいだけどねぇ。」
「本当に。いろいろありましたねぇ・・・」


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私の記憶が正ければ、このお屋敷には15年前からお勤めしております。
ご主人様ご一家が、以前のお屋敷からこちらに住まいを移される時に、ほとんどのものが新しく採用されたんですよ。

ご主人様はお仕事がお忙しくて。このお屋敷に引っ越してから4年目の春からはお仕事の関係で長期間家を空けられていましてね。
月に数回は帰宅されますけれど。
今も地方にいらっしゃるので、だいぶ長い間、家のことや坊ちゃまのことは奥様が全て取り仕切られて・・・


奥様ですか?
それは、やはり、お一人で全てやってらっしゃるので、ご苦労がおありだと思いますよ。
お仕事もされていますしね。

でも、うちの奥様は何といいますか、大雑把、いえまぁおおらかな方で。
楽天的というんでしょうかね。
ご主人様がお留守にされていても、さほどお辛そうなご様子はなくて、淡々とやるべきことをされていますねぇ。
時間も自分ができることも限られているからと、よく仰っています。
つまり、無理をしないで、やれる範囲でやるしかないと。

そうなんですよ。それで、私もお役に立てることは何でもお手伝いさせて頂きました。主に調理場でのお仕事が私のお勤めでしたので、お食事も坊ちゃまのおやつも、作って参りましたよ。

あぁ、もちろん奥様もお料理をされますよ。
でも、どちらかというと、手のこんだものより手軽なもの、時短料理というんでしょうか?そういったものを作られていらっしゃいますね。
私が下ごしらえまでやっておいて、仕上げは奥様がされることも多いですね。できる範囲でご自分で手を掛けたものを坊っちゃんにって、思っておいでなんですよ。

お仕事以外にも、趣味も多くて色々活動されていますからね。時間のやりくりは、いつも考えていらっしゃる感じですねぇ。

坊っちゃんですか? えぇ、私とも仲良しですよ。
奥様がお留守がちなので、よく一緒に過ごしてきました。
ふふふ、二人でおやつを作ったりもしましたよ。

奥様は、ほら、ちょっとおおらかな方なので・・・
坊っちゃんのこだわりが強い部分が、あまり理解できない時期もあったようですね。
例えば、お料理も奥様はパパッとされるでしょう。
坊っちゃんは、全てが丁寧なんですよ。
お料理していても、調理中の食材の温度まで気にされて。お好みもちょっと細かくて。

以前、奥様は、そんな坊ちゃんの真面目である意味融通が効かないところを、ちょっぴり心配もされていましたけれど。
真面目で丁寧なことに、なんの問題があるんでしょう?
私は、坊っちゃんによく言うんですよ。
そのままでいいんですよって。
これからも、自分のやりたいように、自分のやり方でって。

でも、最近は奥様も坊っちゃんのことを理解されて、今はとても良い親子関係だと思いますね。
坊ちゃまも成長されたし、奥様も親として成長されたんでしょうね。
あら、ごめんなさい。とても偉そうなもの言いでしたね。
ご主人様ご一家は私にとって家族と同じなもので、つい。
余計な心配と思いつつ、見守らせて頂いてきました。

もちろん、これからもずっとお勤めしたいと思っておりますけれど・・・
えぇ、そうですよね。
そういう訳にはいかないでしょうね。

そろそろ、その時が近づいている予感はしています。


――――― あぁ。


やっぱり。
そうなんですね・・・


今が、その時なんですね。


でも。


最後にどうかもう一度だけ、お勤めをさせて頂けないでしょうか。
ちょうど、今、坊っちゃんが呼んでいらっしゃるんですよ。
どうか。

ありがとうございます。

では、奥様がいつも、仰るように・・・
やれるところまで、やってみますね。


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「あれ。母さん、なんか、レンジおかしいんだけど。」


数えきれない程、やってきたお勤めだけれど・・・
なんとか最後に坊っちゃんのご飯を温めてあげたかったけれど。
もう、私にはその力が残っていなかった。
坊っちゃん、本当にごめんなさいね。

坊っちゃん。
坊っちゃんは、きちんと冷凍食品を裏返して調理方法を見るタイプ。
「これは、4個で2分か。」
冷凍チキンナゲットもよく温めましたね。
ちゃんと確認してから私のスイッチを押してくれるので、いつも安心してお勤めできましたよ。

「ご飯あたためは、65℃」
そうそう、ご飯は基本は80℃設定だけれど、熱くなりすぎるからとご自分で調整して65℃に変更。
いつもちょうど良いお好みのご飯を用意することができて、喜んでいただけて幸せでした。

坊っちゃんに初めてお会いした時は本当に可愛らしい幼稚園入園の時だったのに・・・
あと2年で成人式なんて。
すっかり大きくなられて。
せめて、成人式の頃まで、お勤めできたら良かったけれど。
でも、もう充分、お勤めは果たしてきたので、後悔はありませんよ。
いつも、そっと丁寧にドアの開け閉めをしてくださって、ありがとうございました。
これからも、坊っちゃんらしく、やりたいことをやって、頑張ってくださいましね。

奥様。
奥様は、時短、手抜き、ずぼら料理がお好きでしたね。
本当に私をよく活用して下さって、毎日が忙しくて、張りのある日々でした。おかげで電子レンジとしての天寿を全うできたなぁと感謝しております。

まぁ、欲をいえば、オーブン機能ももっと活用していただけると良かったですけれど。あ、それと、庫内のお掃除はもう少しこまめにしていただきたかった。見た目は、わりとキレイにしてくださってましたけどね。

今でも、私はそんなにおばぁさんには見えないみたいで。ふふふ。
そのせいか、奥様は私をもっと若いと思っていらしたみたいですね。
奥様はあんまり、数字には強く無いですものね。
7~8年前に新しく入られた炊飯ジャーさんと私を勘違いしていたのかもしれませんね。

そうそう、奥様はよく坊ちゃまのお弁当のおかずをチンして、忘れてしまって。
なんとかお知らせしたかったのですが、声が届かなくて・・・
「あれ、なんか隙間がある~っ」と、慌てて冷蔵庫さんから金時豆を出してお弁当に詰めていらっしゃるのを見るたびに申し訳なくて。
でも、どうして、そこで私のことを思い出さないのかしらと不思議でした。

おおらかなのは良いけれど、勘違いや早とちり、うっかり、をもう少し減らしていけるように、どうかお気をつけくださいましね。

ご主人様。
ご主人様に直接お礼が申し上げられないことが、心残りではありますが。
まぁ、あまり、私とお話しする機会もありませんでしたしね。

これからは、お屋敷に戻られることが増えるとのことですので、ご主人様もお仕事以外に、何か趣味などを見つけられると良いのではと思いますよ。
最近、少しお料理に興味を示されているので、老後も安心な電子レンジを活用したお料理を勉強されるのはいかがでしょうか?

振り返ればあっという間の15年・・・
このお屋敷でお勤めできて、本当に楽しゅうございました。
どうか、皆様、これからもお健やかにお過ごしくださいませ。


あぁ、もう、そろそろ・・・ですか?
お待たせいたしました。

ええ、もうご挨拶もできましたし、思い残すことはありませんよ。

―――― 参りましょう。


***********


リビングから母の声が響いてくる。

「いや~まだ、7年くらいしか経ってないと思ってたら勘違いでさ!2005年製だった!このマンションに引っ越して来る時に買ったものだったんだよね。15年経ったら家電の寿命だよね。」

「考えたら、冷蔵庫も15年だよ、やばくない?夏に冷蔵庫壊れたら最悪だよね。テレビも最近微妙で、音大きくすると音割れしてるから心配。まとめてお別れすることになったらボーナスふっ飛ぶよ。」

「そうなんだよね~次のは迷ってて。サイズ小さくてもいいかなとも思ってさ。今のも結局、ほとんどオーブン機能は活用できなかったし、もう2段じゃなくてもいいかな。いや全然、パンとかも焼かなくなっちゃって。」

「ご飯もさ、今は二人でしょ。少しずつ炊くのも効率悪いし、まとめて炊いて冷凍してるからさぁ。レンチンできないと、冷凍ご飯も食べられないよ。まぁ、とりあえずは1~2合ずつジャーで炊くしかないよね。」

「もうね、レンジめっちゃ使ってたからほんと不便!時短料理には欠かせないじゃん。考えたら今までよくハードワークに耐えてくれたと思うよ。無くなると改めてその存在の大きさに気づくよね。」


母のおしゃべりは止まらない。昨日、突然壊れた電子レンジの話しを延々としている。
よそ行きの声じゃないから、電話の相手はおそらく叔母だろう。
コロナ禍で外出自粛の今、新しいレンジは店舗ではなくネットで買うつもりのようだ。

レンジは前触れもなく、あっけなく壊れた。
直前まで普通に使っていたのに、突然、全く温まらなくなった。
母がアレコレ試してみたけど、もう庫内の食品はどうやっても冷たいままだった。  

考えたら、ここに引っ越した時からあったものは、もうそんなに無いことに気づいた。
家電は壊れ、どんどん入れ替わり。
俺は成長し、洋服や持ち物も買い替えてきた。

そんなの、あたりまえだし。
モノにそこまで思い入れはないけど。
母の話し声を聞きながら、ちょっぴりレンジに感謝の気持ちが湧いてきた。

母が留守の時には、作り置きしてくれたおかずの説明と「○と○はレンチンしてね。」とよくメモが残されていた。微妙なイラストが添られて。
まぁ時には、「今日は買い弁でよろしく!」の指示とともにお金が置いてあったけど。
そして、最近は連絡事項はメモじゃなくてLINEになったけど。

大雑把でほとんどのモノを「あたため」一発ですませる母と違い、俺はきちんと冷凍食品ならば表示を確認しその通りに温めてきた。

母の作ったおかずはやむを得ず「あたため」にするが、それ以外はできる限り最適な設定でやってきた。
冷凍ご飯は基本設定の80℃ではなく、65℃が俺の好みだってことも見いだした。

「レンジは頭いいんだから、お任せしちゃって大丈夫だよ。」
と、母は言うが。
なぜ、そこに書かれている説明や数字を読まないで平気なのか理解に苦しむ。
おかげで俺は今まで電子レンジでの失敗は記憶にない。

まぁ、ともかく。
レンジのおかげで、いろいろ温かいものを美味しく食べられてきた。
一番あっためたのは、生協の冷凍チキンナゲットかな。

決して誰にも言わないけど。
俺はそっと、心の中でつぶやいた。

レンジさん、今までありがと。


~完~


最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

先月、電子レンジが突然壊れました。7年前くらいに買ったと勘違いしていたけど、まさかの2005年製。私の記憶いい加減すぎ。何をいつ買ったとか、その値段がいくらだったとか、本当にすぐ忘れてしまう。15年・・・。かなりレンジを活用してきているので、よくもった方なのかなぁ。

電子レンジに感謝の気持ちを込めて、書いてみました。
登場人物のモデルである次男が読んで80点という高得点をくれて(親ばかならぬ子ばかの採点ですが)嬉しかったので、投稿してみることに。

ちょっぴりファンタジー風ですが、ノンフィクションのような、そうでもないような・・・。
確実にノンフィクションなのは、うちの次男は冷凍ご飯を65℃に設定してチンすることです。